第32話 友のために
午前七時に実験を終えて、セルと二人で報告書を提出。いつもと同じ執務室での締めくくりに、進路が大きく変更されていることへの総督からの指摘に応じる形で、ファルはカイトとの約束を切り出した。
「昨日実験の際に、生存者を発見しました。彼女を前線の部隊に保護してもらいたいと思い、移動中です」
「生存者?」
総督が聞き咎めて、訝る。つい最近まで激戦区だったのだから、生存者がいることを疑うのは当然のことだ。
「名前はエレノア・バーンズ、二〇歳。ノーマン海岸沿いの町に住んでいる、大ソリス出身の難民です」
身元確認が取れていることにも納得したように総督は頷く。そこへ質問されるのを先読みして、セルも続く。
「私から見ても、彼女は人間と見て間違いないと考えます。作戦の障害となり得るので、早急に保護して、前線から遠ざけるべきかと」
「じゃあ、現地部隊に拾ってもらうと良いよ。あそこにいる共和国軍の大隊に、連絡しておきな」
「それについてなんですが、連邦軍の部隊を救援に寄越してもらえませんか?」
与えた指示を拒むようなファルの物言いに、総督は首を傾げた。
「保護対象者は大ソリス王国出身の難民です。レムナリアの兵士に引き渡したとして、ちゃんと保護してくれる保証がありません」
昨日の言い合いの後とあって、ファルの考えていることを総督は察してくれている。そこへ合理的な理由を、セルが付け加えてくれた。
「彼女はノーマン海岸の町から避難してきたそうです。現地の状況を知っている可能性が高いです。作戦遂行に役立つ情報を提供してくれるかと」
「なるほど。共和国軍の連中に渡しても慰み者にしかならないし、
打算とともに笑みを浮かべ、総督はファルに訊いた。
「合流予定地点は?」
「あ……現在地から西に進んだ先の前線に向かおうと思っています」
「そこなら高射砲連隊の基地があるね。明日の六時に来れるようなら、部隊を編成して送ろうか?」
「はい、お願いします!」
「じゃあ合言葉は? お前決めて良いよ」
「えっと、じゃあ『通学かばん』でお願いします」
「変な合言葉だね。まぁ、別に良いけど」
昨日のエレンとのやり取りで思いついたものだから適当そのものだが、合言葉としては想像しにくくて却って良いだろう。
そんな開き直りと嬉しさでにんまりとしているファルを後目に、セルが切り出した。
「総督、作戦部隊の配備もそろそろ行った方がよろしいかと」
「あぁ、そうだね。あと二、三日もあれば、ファルの任務も完了するだろうし」
「その際になんですが、キャリアーを一緒に送ってもよろしいでしょうか?」
総督が首を傾げ、ファルも不意打ちに目を丸くする。
「どうも軍曹が利用している死体の神経伝達が異常を来たしつつあるようでして、このままではこの後の任務に差し支えるおそれがあります」
「それで新しい死体に移すために、キャリアーを送りたいと?」
「前線には正規兵の死体も転がっていますから、難民の身体よりも使い勝手が良いかと」
そんな事実はない。進言を聞き咎めたファルは反論しそうになったが、セルの意味深長な横顔の笑みに、何らかの企みがあることを察して、口を噤んだ。
「大尉がそう言うなら、別に良いよ。軍曹も、それで良いかな?」
「はあ……あの、今の死体はその後どうなるんですか?」
「そこに置いとくよ。別に回収とかはしないし、そのまま放置。何か問題でも?」
むしろ回収される方が問題だ。企みに気付いたファルは、しかし露見することへの不安を表情に出し、それを庇うように、セルが苦笑で告げる。
「まぁ死体が変わって不安なのは分かるけど、これまで上手くやってこれたんだから、自信持ってよ」
「確かに、難民よりは正規兵の方が身のこなしは軽いだろうしね。今のお前なら、大丈夫だと思うよ」
総督も太鼓判を押してくれる。嬉しさよりも、セルの意図に気付かれていないことへの安心の方が強かった。
「これまでの働きも、期待していた以上に良くやっているよ。お前なら足を引っ張ることもないだろうし、破壊任務の補助もやらせてあげるよ。成功したら、推薦状の中身も華やかになるね」
「あ、ありがとうございます」
着任したばかりの頃なら、立場も弁えずに喜んでいたはずの、待ち望んだ言葉。それをもらえたのに、ファルは自分でも驚くほど冷静に、叔母の言葉を受け止めていた。
執務室を出てエレベーターに乗り込むと、セルに進言の意図を問い質した。
「この先はベヒモスの破壊任務だよ?
セルは何のことでもないように、涼しい顔で答えた。
「下手したら爆弾と一緒にそこで自決してもらわないといけないんだから、こんな時こそ死体の出番だよ。だから、カイトはお役御免にした方が良いかな、ってね」
「そうですか……」
ベヒモス破壊の切り札として運用されるのは、原子炉を破壊するための小型核爆弾だ。兵士一人で背負うことができる重量で、それでいて威力は一〇キロトン。強靭な装甲に覆われたベヒモスといえど、動力源である核融合炉を吹き飛ばしてやれば停止するはずだ。
「嫌だった?」
冷やかすような問いに、ファルは首を振る。
「むしろありがたかったです。カイトもエレンさんと一緒に救ってあげたいと思ってましたから」
本心だった。迫害され、理不尽な徴兵で最前線に放り込まれ、命を捨てさせられるカイトを、何とかして助けたいと思っていた。
セルはそんな思いを汲んでくれたのかもしれない。そう思うと、感謝しかなかった。
「本当にありがとうございます、セル」
「別に。まぁ、友達のためならこのくらい当然だよ」
じゃ、また後で。
研究所で停まったエレベーターを降りたセルは、そう言い残して研究室へ向かっていった。
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