第31話 緊迫が過ぎ去った後で
エレンが棚から引っ張り出したレジ袋。積み上げられていたそれは、引っ張ったことで前へ引き出され、垂れ下がっていた。そしてメタノイドが通り過ぎようとした瞬間、ゆっくりと崩れて、重し代わりに乗せられていたバーコードリーダーごと床に滑り落ちたのだ。
バーコードリーダーが床に叩きつけられて、散らばったレジ袋が微かな摩擦音を立て、広がっていく。メタノイドはその雑音を聞き逃さなかった。
(ヤバい……!)
カイトが息を飲んだ。メタノイドが四体に、イソグサが一体。玄関の前に立っているのが、影で分かる。
(私に任せてください。何とかします)
できるか分からない安請け合いをして、自動拳銃を抜く。息を殺すエレンの手を取って、バックヤードへの入り口を確認。ドアノブに手をかけたメタノイドが踏み込んでくるのを足音で認め、生体観測機の赤い光が、蠢く四体の影を壁に映し出す。
覚悟を決めたファルに迫ってくるメタノイドの足音は、しかしあと数メートルというところで止まった。
(え……?)
生体観測機の赤いランプも消え、メタノイド達が店から出ていく。それをレジ越しに聞き取って、ファルは困惑した。
(どうしたんだ……?)
(分かりません……)
前線に動きでもあったのか。とにかく窮地を脱したところへ、緊張が解けたエレンが大きなため息を吐いた。
「エレン、大丈夫か?」
「うん。死ぬかと思ったぁ」
エレンは安堵の吐息とともに笑みを返した。
(やっぱり今日はここまでにしましょう。メタノイドの動きも気になりますし)
(そうだな)
「今日はここで休もう。続きはまた明日だ」
カイトがそう言うと、エレンは小さく頷いた。
「ここで寝るの?」
「奥に休憩室くらいあるだろ。そこで休もう」
さっき確認したバックヤードへの通路に向かって這っていく。
奥には思った通り、店員用の休憩室があった。更衣室も兼ねているらしく、奥にはロッカーが三つと、小さな冷蔵庫が並んでいて、簡易ソファもある。エレンを休ませるには十分だろう。
「ソファはお前が使って良いぞ。俺はまだ眠くないからな」
「あたしも眠くないけど、まぁ、カイトに花を持たせてあげますか」
生意気なことを言って、エレンが笑う。ソファに横になった幼馴染を尻目に、カイトは冷蔵庫を開けて、未開封のミネラルウォーターを取り出す。
(彼女、ほんとに強いですね。弱音を吐かずにここまでついてこれるなんて)
(アリッサさんの教え子なだけはあるだろ?)
小窓から外を確認して、ブラインドを下ろす。外から射し込む月明かりから逃れるように床に座ると、ミネラルウォーターを呷った。
「カイトが無事で良かったよ」
壁にもたれるカイトに、エレンが声をかけた。
「小父さんと約束してたからね。あたしがカイトを守る、って」
「小さい時のことだろ。今は俺がお前を守る側だ」
「でも、あたしの方が年上でしょ。だからカイトを守ってあげなきゃ」
そう言って笑いかけてくるエレン。優しい表情に、ファルも安心感を覚える。
(エレンさん、カイトのお姉さんみたいですね)
(そんな感じだな)
ファルの印象をカイトが肯定した。
(小さい頃から俺のことをずっと守ってくれてた。だから、今度は俺がエレンを守ってやりたかったんだ)
そのためにカイトは、町を出て鉱山で働くことにしたのだろう。収容所同然の町に残るよりも、お金を稼いで、彼女の生活を楽にしてあげられる。
「他のみんなは、もう死んじゃったからね。カイトだけでも、無事で良かった」
陰りのある声色で、エレンがそう言った。重苦しい空気が漂うと、ファルがカイトの背中を押す。
(な、何か別の話題を!)
戦場で必要以上に気落ちするのは生存率に関わる。明るい話題で、心理状態を上向かせなければ。
そんな使命感からの提案に、
「なぁ、ちょっと訊きたいことがあるんだけど」
カイトは悩んだ末、直近の関心事を投げかけた。
「漏らすのは構わないけどマス掻くのは駄目って女、どう思う?」
「え?」
(はっ?)
エレンとほぼ同時。ファルは間抜けた声を上げた。
(な、何でそんなこと訊くんですか!)
(他に思いつかなかったんだよ……)
(あなたどんだけコミュニケーション能力低いんですか!)
ファルのせいで、顔面が紅潮するカイト。エレンは戸惑いがちに、
「それってカイトの彼女のこと?」
(かの……!)
「ち、違います! 彼女とかじゃないです!」
「何でいきなり敬語?」
思わず声に出して否定したファルは、しまったとカイトに譲りつつ、真っ赤な顔をさらに熱くする。
「彼女とかじゃなくて、その……連邦の知り合いだ」
「あぁ、そういうこと……まぁ個人の趣味にとやかく言うつもりはないけど、その人変態だと思うよ」
(これ誤解されてますよ! そういう話じゃないでしょ!)
軍人としての心構えであるはずが、性癖の話と思われている。恥辱の極みだ。
「ていうか、何でそんなこと訊くの?」
「あぁ、いや。元気なさそうだったから、面白い話でもしようかと……」
応じたカイトに、エレンは苦笑を返した。
「カイトは昔からデリカシーないもんね。幼稚園の時なんか、スカートめくりの常習犯だったし」
(やっぱりカイトの方が変態じゃないですか!)
(うるさいな! 幼稚園の頃なんて大抵そうだろ!)
(そんなわけないでしょ!)
頭の中で言い合いを繰り広げる間に、
「安心したら、眠くなっちゃった。おやすみ」
生意気な物言いとともに、エレンは寝返りを打った。
「あ、あぁ。おやすみ」
休憩室に静けさが戻ると、ファルも頭を切り替えることにした。
(セル、前線まであとどのくらいですか?)
カイトには聞かれない、研究室との通信。現在地を把握しているセルに、情報共有を求めた。
(このペースだと四時間くらいかな? まぁ近くをアトラクが飛んでるから、迂回するとしたらもう一時間は見積もった方が良いかも)
(了解です)
ミネラルウォーターを呷ったカイトに、ファルが頭の中で告げる。
(早ければあと四時間ほどで前線に着けます。だから、明日の六時には保護できそうです)
(そうか、良かった)
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