第30話 憎悪なき日の思い出
街に戻ったのは午前三時。深夜の中、銃火の轟音は遥か遠く、しかも疎らだ。
(今日中に前線まで出られたりしないか?)
(無茶は止めましょう。慎重に行かないと)
(だよな)
ファルが窘めて、カイトは素直に応じた。
無人の街の中を西へ進んでいく。以前通った道とは違う、見慣れない景色。アトラクのプラズマ榴弾で吹き飛ばされたランドマークの時計塔は、残骸だけが残っている。
大通りに出ると、イタクァに轢き潰された車が行儀良く並んで、その隙間に兵士の死体がいくつも転がっている。それを幼馴染に見せまいと、
「エレン、あの店に入ろう。休憩だ」
視界を遮って、歩道から最寄りの店にエレンを促した。
閉店の看板をぶら下げたガラス張りのドア。錠を拳銃で撃ち抜くと、無力化したドアを押し開き、店に踏み込む。死体も転がっていない店内は整然としていて、ガラス壁の向こうに広がる戦場の景色とはまるで別世界だった。
カイトはエレンと共に、レジの奥に身を隠す。二人並んでレジに背を預け、静かな店内に吐息を響かせた。
「疲れたか?」
「まぁ、ちょっとね。でも、これくらいなら平気」
エレンは気丈に笑って見せるが、表情には疲労の色が滲んでいる。
(今日はここまでにした方が良いかもしれませんね)
二日がかりで町を出てきたばかりのエレンに、これ以上敵地の中を歩かせるのは却って危険に思えた。いくらメタノイドを相手にした潜伏に長けているとはいえ、体力的な無理は禁物だ。
(そうだな。悪い)
(謝ることじゃないですよ。無理して敵に見つかったら、元も子もないんですから)
カイトも、もっと前進したいというのが本心だろう。少しでも早くエレンを安全な場所に逃がしてやりたいのだ。
「ねぇカイト、このお店……」
ふと何かに気付いて、エレンがレジから顔を出す。
「おい、危ないから」
カイトに諫められて頭を引っ込め、笑みを見せた。
「やっぱり。このお店、覚えてない?」
「え?」
「ほら、これ!」
エレンはカウンターからレジ袋を引っ張り出して、カイトに見せた。印字されたロゴを暗がりの中で凝視して、カイトは心当たりに行きついた。
「あぁ、通学かばんを買ったところか」
「そう。思い出した?」
「懐かしいな」
カイトは相槌を打つと、置いてきぼりのファルに補足した。
(昔、この街の郊外に住んでたんだ。で、学校に通うために、ここで通学かばんを買った)
(そうだったんですか)
強制移住もさせられていない頃の思い出。迫害を受けていなかった、平和な頃の記憶。
(国が俺達のために学校へ通うための費用を支援してくれて、それでかばんや制服が買えたんだ)
まだその頃には、それだけの寛容さがこの国にはあったのだ。それはもう過去の遺物となってしまったが、その時には確かに、彼らは守られていたのだ。
(カイト、静かに!)
ガラス壁の向こうの気配に、ファルは咄嗟にエレンの口を塞いだ。
大通りから聞こえてくる足音が四つ。そこに機械的で多足の足音が時折混ざる。足取りは淡々としていて、この場に相応しい人間的な焦りや緊張は感じられない。
悠然とした歩調の正体がメタノイドなのは明らか。不規則な多足の足音はイソグサのそれだろう。
ガラス壁を挟んだ店の奥。息遣いで気取られることはないし、生体観測機にも引っ掛からない。このままやり過ごすことはできる。
メタノイド達の足音が通り過ぎていこうとしたその時、そんなファルの希望的観測は崩れた。
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