第29話 再会と転身

 午前二時を回って、ファルはいつも通りに八階の研究室へ赴いた。


「迫害の証拠ねぇ。そんなのどこ探せば出てくるかなぁ」


 コンソールに関心を向けて実験の準備を進めながら、セルが思案する。ファルが総督から言われた、難民救済の条件。事前に話を通していなかったにもかかわらず、セルは一緒に考えてくれている。


「すみませんでした。相談もなしにあんなこと言ってしまって」


「あぁ、うん。まぁびっくりはしたけど、そんな謝ることないでしょ」


 セルは手を止めて、ヘッドギアを着けて横たわるファルに笑みを見せた。


「こう言ったら失礼かもだけど、ファルってやっぱり参謀総局には向いてないんじゃないかな?」


「え?」


「あ、これ嫌味とかじゃないよ? でも、何ていうかさ。あんなに難民のことを思ってあげられる人が行くところじゃないんじゃないかな、って」


 セルの指摘も尤もに思えた。連邦の戦略を策定する機関に、現地人に肩入れし過ぎる人間が適性を持っているかといえば、そんなことはあり得ないことは、ファルも感じているところだ。


「まぁ進路については任務を終えてから考えれば良いか」


 セルはそう言って、ファルの気分を切り替えさせる。


「総督から正式に許可をもらったから、これまで以上にサポートはしやすくなるよ。だから昨日のことは引きずらず、任務遂行を意識して。分かった?」


「わ、分かりました」


 昨日の別れ方もあって、カイトの中に入るのは何となく気まずさがあるが、そんなことを言っている場合ではない。


 曖昧になっていく意識の中で、ファルは覚悟を決めて、目を閉じた。



(――カイト、生きてますか?)


(あぁ、生きてる)


 いつもの問いかけに、いつものように返事をしてくれて、ホッとする。と同時に、目の前に壁があることを見咎めて、どうかしたのかと訊こうとしたその時だった。


「カイト、どうかした?」


(え?)


 まるで自分の代わりに問いかけたようなその声に、ファルは思わずカイトを振り返らせた。


 そこにいたのは一人の女性。窓から微かに差し込む月明かりと、暗闇に慣れた目のおかげで、表情は判然とする。暗がりでも目立つ絹のような白い髪がまっすぐに伸びていて、丸みを帯びた青い双眸には愛らしさがある。体格は見た感じ、ファルより少しだけ背が高くて、肉付きも良い。どこにでもいる普通の女性といったところだ。


「えっと……?」


(幼馴染だ)


(え、あの前に話してた?)


(あぁ。エレノア・バーンズ。俺はエレンって呼んでる)


 カイトがノーマン海岸の町へ戻ろうとしている理由。二人で母と行動を共にし、死線を生き延びた幼馴染。


 しかし、はいそうですかと受け入れられるわけもない。


(セル、どう思いますか?)


 疑うべきはメタノイドかどうか。ファルに訊かれたセルは少しの間を置いてから、


(敵国の人間に擬態したメタノイドを作った事例はあるけど、今の戦況で難民に擬態させる理由もなくない?)


(それは、そうですよね……)


 戦況は膠着している。帝国が打開策として何らかの策謀を弄することは十分に考えられても、大ソリスの難民に擬態させるメリットはない。


 それに、彼女はカイトと共に大ソリスの戦争を生き延びたのだ。大陸全土を不毛の汚染地帯に変えてしまったあの戦争と比べれば、レムナリアへの侵攻はずっと小規模。彼女一人なら生き延びていても不思議はない。


 とはいえ、確認しておきたいことはある。


(彼女、ここまで歩いてきたんですか?)


(そうらしい。夜中に行動して、夕方この店に来たって)


(それまではどこで何をしてたって言ってました?)


 質問を続けるファルの態度に、カイトは眉を顰めた。


(何だよ、疑ってるのか?)


(念のためですよ。メタノイドが他人になりすますこともありますから)


「ねぇ、大丈夫?」


 エレンが怪訝な顔で訊いてきた。明るい色のパーカーは草臥れていて、スカートを履いた足には生傷がある。着の身着のまま逃げてきた様子の彼女から、首都で余暇を過ごす同年代の子らのような香水の匂いはしない。


「ああ、大丈夫。ちょっとボーっとしてただけだ」


「やっぱ眠いんじゃないの? もう少しここにいた方が良いんじゃ……」


「いや、大丈夫だから。銃の手入れするから、ちょっと待っててくれ」


 心配する幼馴染に背を向けて、自動拳銃を抜く。手入れをする素振りをしつつ、カイトはファルの疑念に応じた。


(お前が疑うのも分かるけど、こいつは間違いなくエレンだ。もし機械の兵隊なら、俺はとっくに殺されてるだろ)


(それはそうですけど……じゃあ、これまでどうやって過ごしてたんですか?)


(帝国が上陸してきた時、教会の地下に隠れたって。教会は避難所にもなってて、食糧もそれなりに保管してたから、そこに一人で隠れてたんだったら、今まで生きていられたのも納得だろ)


(そう、ですね……)


(じゃあ信じてもらったところで、お前に相談なんだけど)


 自動拳銃の弾倉を抜いたカイトが、ばつが悪そうに切り出した。


(エレンを安全なところに逃がしたい。海岸へ行くのは後回しにしても良いか?)


 探していた肉親と再会できたのだから、カイトの目的は果たせたのだ。そう頼みたいのは必然だろう。


(もちろんです。というか、さすがに民間人を連れて、敵地の中を進むわけにいきませんし)


(それもそうか)


 カイトは苦笑して、


(連邦軍で保護してもらうことってできるか?)


(連邦軍で?)


(あぁ。共和国の連中は信用できない。頼む)


 信用できない理由は、もうよく分かっている。あの扱いを知った後だと、女子供だろうが徴兵しかねないし、もっと酷い目に遇わされることもありえる。


(良いよ。言い訳なら考えとく)


 セルがそう言って背中を押してくれた。ファルは感謝しつつ、


(分かりました。どうにかしてみます)


(そうか、ありがとう!)


 声を弾ませたカイトに、ファルも気分が高揚する。


(問題は時間ですね。来た道を戻るとなると、それなりにかかりますよ)


 ここまでの道のりは一週間少々。いくら母の薫陶を受けているとはいえ、二人で行動すればもっと時間がかかる。


(いや、明日には保護できるかもしれないよ)


 懸案にどうしたものかと考えていると、セルが吉報を告げてくれた。


(市街地に入って西に一〇キロ進んだ先が最前線になってて、そこから二キロ先に連邦の高射砲連隊の拠点がある。一緒に歩兵大隊もいるから、そこに保護してもらおう)


(ほんとですか?)


(うん。まぁ総督を説得しないといけないけど、そこは任せてよ。良い感じにしてみせるから)


(ありがとうございます、セル!)


 セルに感謝を告げると、ファルは早速カイトに聞いた情報を教えてあげた。


(市街地から西に進んだところに、連邦軍の部隊がいます。そこで保護してもらいましょう)


(本当か?)


(はい。手配しておきますから、安心してください)


 カイトが安堵のため息を吐く。それを認めて、ファルも安心した。


「準備できた?」


 声を潜めて、エレンが訊ねる。


「あぁ。そろそろ出発しよう。連邦に保護してもらうんだ」


「連邦?」


 訝しげなエレンに、カイトが答える。


「俺の知り合いに、連邦軍の人がいる。アリッサさんの身内の人だ。その人に保護してもらうよう、約束してるんだ」


「少佐さんの? 凄い、いつの間にそんな人と知り合いになったの?」


「まぁ、色々あってな」


 興味津々な様子の幼馴染に、カイトはそう言って流す。


 カイト達は雑貨屋を出ると、元来た道を戻り始めた。足取りは慎重を期したが、曇の散る空の下、まるで平時のような静けさの中にいると、一時間と持たずに足を速めた。

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