第4章 犠牲者たち
第26話 ファルネーゼの悔咎
「――休暇中とはいえ、実験を始めて三〇分も経たずに打ち切ったのはどういうわけかな?」
いつも通りの時間に報告書を提出しに来たファルとセルに、ファルネーゼ総督は自席の背もたれに身を預けながら、咎めるような調子で言った。
「シフォン大尉、お前が答えろ」
「コンディション不良です。開始から動作が思わしくなく、ファルネーゼ軍曹に集中力が欠けているように見えたので、やはり止めようと私が決断しました」
事前に打ち合わせをした通りに、セルが釈明してくれる。しかし、総督はそれだけでは納得してくれない。
「お前、そんな中途半端な状態で休みを潰したの? それで今日も上手くできなくて死体が損壊したら、ここまでの進捗が台無しになるって理解しているのかな?」
「申し訳ありません、総督」
隻眼の追及が自分の方へ向くと、ファルは直立不動のまま失態を詫びた。そこへセルが進言する。
「今日から通信機能を使って、私もファルネーゼ軍曹をサポートしようと思いますが、よろしいでしょうか?」
「お前がやるの?」
「はい。ここから先は些細な失敗も許されなくなりますので、万全の体制で臨むべきかと」
二日目から無許可でやっていたサポートのおかげでここまで来れたが、それはファルと二人だけの秘密だ。正式な許可を得ればもっと柔軟に支えることができるし、今日がその好機とは、セルの提案だ。
「まぁ確かに、コンディション不良だとか寝惚けたことを言う奴には、サポートもしてやらないとね」
見るからに不本意といった顔で、しかし総督は頷いてくれた。
「分かった。衛星の監視システムへのアクセスは許可しておく。サポートまでするからには、ファルの失敗はお前の失敗にもなる。肝に銘じておきな」
「了解です、総督」
ここまではセルの筋書き通り。報告書を提出して叱責される窮地を利用して、サポートの許可を得ることができた。
そしてここから先は、彼女も知らないファルだけの企みだ。
「総督、一つ教えてください」
退室を命じようとした総督に先回りする形で、ファルが問いかけた。
「総督は共和国軍の戦いぶりをどう評価していますか?」
「まぁ、精鋭を初手で溶かしまくった割には、よくやってると思うよ。核兵器に対する抵抗のなさには、呆れたけどね」
それが何か? と、今度は総督が咎めるように訊き返す。
「前線で戦っている兵士が無理矢理徴兵された難民だと、総督はご存知ですか?」
「そうらしいね」
少しは良心に咎められるような反応を期待したが、叔母は相変わらず冷静な言葉を返してきた。
「大尉にも聞いたし、情報部の調査でもそういう報告は上がっているよ。レムナリアの連中は戦死者数を誤魔化しているが、実際にはその三倍以上の人数が戦死している、ってね。それらは全て大ソリスから受け入れた難民の可能性が極めて高いって分析結果も聞いたよ」
「それを知ってて、どうしてレムナリアの味方をするんですか? 人種に基づく不当な差別は、連邦が否定する悪じゃないですか」
「そんな建前のために友好国一つ切り捨てろって言っているの? そんな馬鹿を参謀総局に推薦なんてできないね」
「それは今関係ありません! 私は人道的に間違ったことをしてる国を肯定するのはおかしいと言ってるんです!」
声を荒げた姪に、総督はため息交じりに首を振ると、
「大尉はもう行って良いよ。軍曹と私的に話したい」
「了解です」
敬礼をして、セルが執務室を後にすると、総督は背もたれに寄りかかってファルを見つめる。
「まぁ、レムナリアの連中にそこまで怒るのも、お前らしいね」
いじめを見過ごせずに加害者の顎を砕いて、それが原因で停学処分を受けるような性分。それは叔母も理解してくれてはいるようだった。
「私も連中の戦術は気分が悪いよ。難民に同情しているわけじゃないけどね」
そう応じた叔母は、デスクの引き出しからシガーケースを取り出す。
「あの戦術は、ファルネーゼ・ドクトリンの模倣だろうね。お前も分かるだろう?」
そう言われてファルは怒りに息を飲んだ。
革命期の帝国が採用した、軍事ドクトリン。粛清対象の者達の子供を収容所に送り、虐待と拷問で心を破壊し、罪の意識を植え付け、要人暗殺のための使い捨ての駒に仕立て上げる。諸侯連合の支配者だった大帝とその一族を暗殺し、東の大陸の大国を分裂に追いやったこの戦術は、発案者の名前から取ってファルネーゼ・ドクトリンと呼称され、三〇〇年が過ぎた今も史上最も非人道的と非難されている。
発案者の血統に当たるヴィクトリアにとって、このドクトリンを模倣して難民の口減らしに利用するレムナリアがどれほど不快な存在か、身内のファルにはよく分かった。
だからこそ、納得がいかない。
「そんな連中のために、どうして戦わないといけないんですか?」
首都に住むレムナリアの国民は、今ものうのうと平和を噛みしめている。最前線でマイツと蔑んでいるカイトのような人達が、今も死んでいっているのを知りもしないで、自分達だけ安全なところで、彼らを迫害し続けている。それがファルには許せなかった。
「さっきも言ったでしょ。私やお前の個人的な感情で、友好国を切り捨てるなんてできないんだよ」
感情的なファルに対して、叔母は冷静だった。総督として、連邦の国益を優先して、不快感など無視していた。
「まぁお前がどうしても許せないっていうなら、縁を切るための大義名分でも探してみることだよ」
「大義名分?」
「お前が言っていた建前を正当化するための証拠だよ。前線に難民を送り込んでるってだけだと、根拠としては弱いからね。それができないなら、諦めることだよ」
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