第25話 憎悪の犠牲者

(――カイト、生きてますか?)


「え? ファル?」


 薄暗がりの中、カイトが思わず声を上げる。横になっていた上体を起こして、身体に巻いていた毛布を被り直すと、そこでファルは違和感に気付いた。


「わっ!」


(ちょ、なな、な、何で裸なんですか!?)


 思わずファルが悲鳴を上げてしまって、すぐさま口を閉じて、心中で咎める。


 一糸纏わぬ恰好なのが、肌に触れる毛布の感触と、全身を撫でる冷たい空気の感触で理解できてしまった。今までにない非常事態に、ファルの動揺を受け取った心臓が拍動を速める。


(服を乾かしてたんだよ! お前今日来ないって言ってたから、大丈夫かと思って)


 昨日の雨の中での活動で、下着までぐっしょりと濡れていたのはファルもよく分かっている。あのままの姿でいろとはさすがに言えない。


(と、とにかく、早く服着てください! さすがにもう乾いてるでしょ!?)


(分かったから、落ち着け)


 毛布を脱いで、立ち上がる。ハンガーに掛けた下着と服を取って、ベッドに放り投げた次の瞬間、


(ああああああ! 見える! 見えるから目を閉じて!)


 五感を共有してしまっているだけに、視界に映るものは全てファルも見えてしまう。軍人とはいえ、恋人すらいたことのない乙女には、異性の裸体が与える刺激は劇物のそれだった。


(お前目を閉じて着替えとかできるのか?)


 当てつけのような問いに、しかしカイトの顔を紅潮させるファルに応じる余裕はない。


(できないけど! できないけど頑張って!)


(お前無茶苦茶だぞ!?)


(しょうがないでしょ! とにかく見ないようにして! 恥ずかしくて死ぬから!)


 カイトを赤面させながら、頭の中で騒ぐファル。それでもカイトは配慮してくれて、薄目で衣類を探しては目を閉じて着る、という手順を手間暇かけてこなし、いつもの迷彩服姿に戻った。


(で、どうしたんだ? 仕事でヘマして休みがなくなったとか?)


 水気の残るブーツを履いて、床に胡坐をかいたカイトは、予定を変更した理由をファルに問い質した。


(いえ、予定通り街には行きましたよ。カイトに教えてもらったピザ屋にも行きました)


(そうか。美味しかったか?)


(それが、食べられませんでした)


 気を利かせてくれての問いに、ファルは期待通りには答えられなかった。


(お店でちょっとあって、この国の実態を知りました。カイトのような人達が、どんな扱いを受けているのかも)


(そうか……)


(ごめんなさい。あなたに、無神経なことを言ってしまいました)


 カイトはこの国の誇りだ。正規軍でも通用するくらい優秀だ。


 心からの称賛のつもりで投げかけたその言葉は、カイトのような人に対して、どれほど無意味で、そして苦しめるものか、考えるだけで罪悪感が湧いてきて、吐きそうだった。


(お前がレムナリアの人間だったら、もう三回はキレてたかもな)


 過去の自分を責めることしかできないファルに、カイトは冗談めかしてそんな言葉を返した。


(連邦に俺達の状況を全部察して助けてくれだなんて、そもそも無茶だろ。そんなことにいちいち怒るほど、俺はお前らに期待なんかしてないよ)


 憎まれ口に、耳が痛い。


(私が、私が何とかするから)


 堪らず、ファルは言葉を紡ぐ。


(何とかって、どうやって?)


(戦争を終わらせるんです。そのためにも、一日でも早くノーマン海岸に……)


(それで俺達の扱いの何が変わるんだ?)


 諦念の滲む苦笑を浮かべたカイトの問いかけに、ファルは答えてあげられなかった。


(俺達がどんな扱いを受けてたと思う?)


 咎めるようにカイトは言った。


(今の政権になってから、難民は地方に強制移住させられた。諸侯連合との国境沿いの田舎に、それに帝国の領土が海の向こうにあるノーマン海岸。過疎化でとっくに廃れた町を、自分達で復旧させろって言って押し付けてな。周りを柵で囲んで、銃を持った警察が一日中監視してるんだ。まるで収容所だろ)


 向かいに広がる部屋の暗がりにじっと目を向けたまま、カイトは続ける。


(次の年には国籍がない人間の学費と公共料金は倍になった。帰化申請も全然通さないのにな。あの政権の支持者どもは、俺達に同情的な人間を売国奴呼ばわりして、襲撃まで仕掛けるような奴らだから、そのうち誰も俺達を助けようとしなくなった。公立学校は学費が高過ぎて入れないのに、私立はどこも難民お断りって言い出した。難民は学校なんか行かずに働いてろって言ってるようなもんだろ)


 カイトが十六歳の年齢で働いている理由。何のことはない、それ以外の道をこの国が閉ざしたからだ。


(それで働き始めたら、今度は難民が働き口を奪ってるとか言い出した。この国の連中が俺達に何を望んでるのか、もう分かるだろ?)


 学校に行くな。働くな。この国から出ていくか、それができないなら死んでくれと、そう言っているようなものだ。


(前の国で民主派だった俺達を、どこが受け入れてくれる? 諸侯連合は絶対に御免だろ。帝国なんて論外。連邦も移民はもう受け入れてない。他の大陸の国は遠過ぎて渡航できない。じゃあ、どうしろっていうんだよ)


 カイトは拳を握り締めて、震わせていた。やるせない怒りを、ファルはどうしてあげることもできない。


(悪いけど、今日は休ませてくれ。今の気分で外に出ても、お前の足を引っ張るだけだ)


 カイトの胸の苦しさも、手足の微かな震えも、全身の不快感も、全てファルも共有している。背中を押す言葉は、見つけられない。


(ごめんなさい)


 ただその一言ですら、やっとの思いで絞り出した。

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