第22話 余暇の新兵
母艦とレムナリア各地を行き交う定期便は、三時間ごとに発着する。午前九時の便に乗ったファルとセルは、二〇分弱のフライトを終えて、首都郊外の空軍基地に到着した。
そこから市街地までは、軍の車両で十分程度。運転席でハンドルを握るファルは、助手席に座るセルの出で立ちに気を取られて、危うく前方の乗用車にぶつかってしまうところだった。
「ファルって運転下手だねぇ」
呑気な調子でそう笑って、セルはずれたサングラスを指で押し上げる。眼鏡の代わりと言ってかけているサングラスには度が入っているが、そんなものをかける必要があるほど陽射しは強くない。
それに頭に被っているキャスケットにも違和感がある。いつもの服装から白衣をコートに変えただけなのに、頭を隠す帽子には妙に拘っている感がある。長い髪も帽子の中に上手く隠していて、髪がほとんど見えないのも引っ掛かる点だ。
「あの、車の中なんだから帽子とサングラスは取りませんか?」
常識に照らし合わせて訊いたファルに、セルはサングラス越しに笑いかける。
「車の中で帽子とサングラスかけちゃ駄目って規則はないでしょ?」
「いや、それはそうですけど……」
「あ、信号赤」
「おぉっと!」
前方を指差したセルに釣られて、ブレーキを踏む。間一髪、横断歩道に踏み込みかけたが、何とか停めることができた。
「帰りは私が運転しようかな」
外れかけたサングラスをかけ直して、小言を漏らすセル。横断歩道を渡る青年が、中指を立てて何やら罵倒してきたが、ファルは聞かなかったことにした。
「ところで、今日はどこに行くか決めてるの?」
セルの問いに、ファルはハッとする。そういえば、ほとんど考えていなかった。せっかくの休日を無為に過ごすのは本意ではないし、セルを誘った手前、それなりに責任はある。
「カイトが言っていたピザ屋さんに行こうかなと」
「他には?」
「他は……散歩とか?」
悩んだ末の答えに、セルが失笑を漏らして、
「ファルって友達いないでしょ?」
「い、今それ関係あります!?」
憮然とするファル。図星ではあるものの、軍人として戦地に派遣される身となった以上、それを馬鹿にされる謂れはない。
「あぁ、怒らないで。私もファルみたいな感じになるだろうなぁ、って思ったら、おかしくって」
楽しげなセルに、ファルは複雑な面持ちで青信号を認め、車を発進させる。
「私は勉強ばっかやってたから、友達っていうよりライバルっていうの? そんな感じの人しか周りにいなかったんだよね。うちって両親が国防軍所属で、コンプレックス酷かったから」
連邦軍の中で、国防軍は最大勢力であり、そして落ちこぼれだ。優秀な者は中央機関か宇宙軍に配属され、その次が遠征軍、そしてそのどこにも配属されなかった者の末路が国防軍だ。戦地に派遣されることはないが、代わりに異性との結婚を強制され、最低三人の子供を産むことを義務付けられる。それもできなければ国防軍内の序列で隅に追いやられ、社会的に底辺を歩むことになる。
親の代が国防軍の者は、総じて遠征軍への配属を目指して死に物狂いの学生生活を送ることになる。大昔なら軍務どころではなくなるような大病や怪我も、再生医療技術によって脳以外ならどうにでもなるのだから、誰だって無茶をする。それが連邦という軍事国家の常識であり、セルもまたそうした人生を歩んだ一人だ。
「勉強しかしてこなかったのは、私も同じですね」
「参謀総局って難関中の難関だからねぇ」
恥ずかしそうに苦笑するファルに、セルも同調しつつ、
「ファルネーゼの人って、もっとエリートばっかなのかと思ってたけど、ファルみたいな苦労人もいるんだね。それが分かったのが一番の収穫かも」
「ファルネーゼも人間ですからね。それに、うちはうちで大変ですよ。家系が悪評まみれですから」
帝国時代から続く軍人家系のファルネーゼ家。爵位を与えられ、帝国軍の要職を担ってきた名門。そんな輝かしい功績の裏では、皇族や貴族、財閥の利権を守り、肥え太らせるために、左派勢力の弾圧を指揮し、虐殺と侵略を主導した負の歴史がある。革命によって帝国本土を追われ、セルペンスへ流れることになったのも、そんな背景があったからだ。
「三〇〇年以上前のことなんて、まともに理解して文句言ってる人いないよ」
ばつが悪そうなファルに、助手席のセルは変わらない調子でそう言った。
「そこまで遡ったら、私のご先祖は大ソリスとか諸侯連合のどこかの貴族とか官僚だよ? 今じゃ没落しきってただの一般人だけど。連邦の人間なんてみんな大なり小なり、祖国で何かやらかして追い出された人の血筋ばっかなんだから」
乱暴な言い方だが、それもまた事実だ。祖国の政治闘争に敗れて、その煽りで居場所を失った者が流れ着くのがセルペンスという不毛の凍土であり、反骨心の末に誕生したのが連邦という超大国だ。
「別にファルが悪いことしたわけじゃないんだから、名前に縛られることないよ。ファルはファルで、参謀総局を目指せば良いんじゃないかな」
「それもそうですね」
「まぁ個人的には、お人好しなファルには遠征軍が向いてると思うけどね」
「そう……ですかね?」
これまでの行動を知られているだけに、ファルは否定できなかった。
車は市街地を進み、やがて川沿いの道路に出た。レムナリア共和国を東から西へ流れる河川で、三〇メートルの川幅には立派な橋を架けている。並走する歩道は暖色の石畳が敷き詰められ、紅葉を付けた街路樹が並び、その足下を家族連れやカップルが穏やかな歩調で行き交う。
「平和ですね」
カイトとともに進む東コルシアの景観を思い起こして、ファルはふとそう呟いた。瓦礫と死体で覆われた、黒煙と銃火の支配する暗黒の街並み。そんな最前線と同じ国の景観とは思えなかった。
「帝国本土からのミサイルは撃墜してるし、海上封鎖で兵器も送れないからね。前線の状況もまともに知らないだろうし」
首都から最前線までは五〇〇キロも離れている上に、今は政府の統制で報道も規制されている。開戦初期の連邦による核攻撃で帝国軍が戦力の大半を喪失したことで、進軍能力が大幅に低下した上、ミサイル攻撃の被害も受けていない以上、この街の人達の気が弛むのもある意味当然だろうか。
「あのお店かな?」
複雑な胸中にあったファルは、セルが指差して告げた先に目をやった。
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