第20話 夜明け

 雨の中を進み、夜が明ける頃には、カイトとファルは街を出た。


 森と川に挟まれた公道を進み、小さな雑貨店を見つけたのは、午前六時五〇分のこと。実験終了まで残り僅かというところで、雨足も小康状態に入り、夜の暗闇もほんの少し薄れつつあった。


(やっと街を出られましたね!)


 裏口の戸の鍵を拳銃で撃ち抜いて壊し、中に誰もいないのを確認すると、二階の居住スペースを見つけて安堵したカイトと同じように、ファルも脱力した声を上げた。


(あぁ、ほんと長かったな)


 寝室のベッドを背に、なるべく音を立てないようにして座る。屋根を叩く雨粒の音に紛れる最前線の銃声も、ここにはあまり届かないらしい。


(ここからあと五キロ進んだら、俺達の町だ)


(そこがノーマン海岸ですか)


(そうだ)


 前線から遠ざかっている以上、帝国軍の警戒網もさっきまでの街よりは薄くなるはずだ。ここから先、もっと進むペースは速められるだろう。


(お前、明日は来ないよな?)


 光明が差して気持ちが軽くなるファルに、カイトが訊いた。明日は休暇。実験もオフだ。


(一人で先に進んどくか? 俺は別に構わないけど)


(危ないですよ。私がいないとまともに戦えないんだから、明日はカイトも休んでください)


 ファルのような近接戦闘術は、カイトも体得していない。あれはファルが身体の主導権を握っているからこその芸当だ。


(幸い、ここには食糧もありますし、今のうちにゆっくり休んでおいてください。身体に疲労が溜まってるでしょ?)


 自分の身体同様に動かしているからこそ分かることだ。初めて入った時と比べて、明らかに動きが鈍くなってきているし、節々も痛みを覚えている。ちゃんとした休息を摂るのも勤めの内だ。


(あなたはレムナリアが誇るべき逸材だと思いますよ。正式に入隊したら、きっと特殊部隊にも入れますよ)


(そうか? まぁ、別にどうでも良いけど)


 最大の賛辞を贈ったファルに、カイトは適当な相槌を打った。


(とりあえず、明日はオフってことで良いんだな?)


(えぇ。じゃあ、お疲れ様です。また明後日!)




 快活な言葉を残して、ファルが頭の中から消えると、カイトは一息吐いて、迷彩服を脱いだ。


 雨水を吸えるだけ吸った迷彩服とその下のシャツは、重りのように重たく、肌に張り付いてくる。ファルがいるのに着替えたいなんて言えずに我慢していたが、その不快感は彼女も共有していたのだ。


 ファルとは身体だけでなく、五感も共有している。カイトが痛みを覚えればそれをファルも受けるし、降り頻る雨や吹き付ける風の冷たさも彼女は知覚している。


 それでも彼女は、文句の一つも言わなかったし、嫌な気分をおくびにも出さず、ここまで一緒に来てくれた。軍事国家で士官学校首席を名乗るだけの胆力を、彼女は間違いなく持っているのだ。


「あなたにそっくりだな、アリッサさん」


 苦笑して、今はもういない恩人に、そんなことを呟く。


 下着も全て脱いで、ハンガーに適当に吊るす。ベッドの下の引き出しからタオルを取り出して、濡れてべたつく肌を乱雑に拭うと、毛布を引っ張ってきて身体を覆う。


 さすがにこの状況下、ベッドの上で呑気に寝るのは恐い。枕と毛布だけ借りて、ベッドを背に横たわる。


 手には連邦の自動拳銃。予備の弾倉は傍に置いておく。これでもしもの時はすぐに応戦できる。


 雨が屋根を叩く音と、鳥の鳴き声が聞こえてくるが、帝国の戦車の走行音も、アトラク=ナクアのジェットエンジンの音も、今は聞こえてこない。


 久しぶりに感じる、落ち着いた心地の中で、顔も名前も知らない協力者のことを思い返す。最後まで付き合うと言ってくれた時、それを嬉しく思う自分がいた。戻ってくるまでここにいろと言われた時、妙に安堵する自分がいた。


 その思いの原因が何なのかを考える余力は、カイトには残っていなかった。目を閉じた次の瞬間には、彼の意識は深い眠りの中に落ちていった。

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