第14話 交友

(――で、そんな相談を俺にしたってわけか)


 カイトは呆れたようにそう言って、ガラスの割れた窓から覗く月を見上げた。今日は満月で、しかもこの季節にしては雲が薄い。月明かりがいつも以上に照らすせいで、電力供給の断たれた街も夜とは思えないほどに明るい。


 こんな状況下ではまともに動けないと、昨日の地点から八〇〇メートルも進んだ先にある民家の二階に身を潜めて、もうすぐ一時間。実験は午前七時までと決められているだけに、早く先へ進みたいところだが、今日はあいにく天気が味方してくれない。


 そんなわけで暇潰しがてら、カイトに首都はどんなところかと訊ねて事情も説明してみたわけだが、反応は冷たかった。


(俺は首都には行ったことない。たまにテレビで見るくらいだったからな)


(あれ、そうなんですか? てっきり首都の出身なのかと思ってました)


 連邦軍主催の軍事訓練は、主に首都で行っていたし、今連邦軍が駐屯している基地もその頃に整備されたものだ。首都に住むエリート階級の出身とばかり思っていたが、そういうわけではないらしい。


(まぁ、テレビで見た感じだと、結構綺麗な街だったな。何だっけな……レインズ川ってとこの近くに、美味しいピザ屋があるとか)


(へぇ~)


 観光情報まで教えてもらえたのは望外の展開だ。どうせ休日を潰すのなら、それ相応に楽しみたい。


(店の名前は忘れたけど、確かキノコとトマトを使ったピザが人気だとか言ってたな)


(ピザにトマトを使うのって、普通じゃないですか?)


(そこのは四つ切にしたトマトを生地に乗せてるんだ。トマトの存在感凄かったぞ)


 それほど大きなサイズのトマトを乗せているのなら、確かに見栄えはインパクトがありそうだ。


(カイトはピザとか好きなんですか?)


(別に。俺は肉の方が好きだからな)


(ピザにも肉を使ったものはあるでしょ)


(そうじゃなくて、肉料理が好きなんだよ。ソーセージとか、ハムとか)


 それは肉料理ではなく加工食品では。そんなツッコミを入れるのを躊躇していると、何やら思い出したようにカイトは続けた。


(連邦では畜産とか農業が全部機械化してるんだってな。前に聞いたことがある)


 別に機密でもない情報なだけに、そんなことをカイトが知っていても特段驚くことはなかった。


 帝国のそれには及ばないにしても、連邦の人工知能やその周辺技術もそれなりに優れたもので、今では全ての産業の自動化を成し遂げるに至っている。職業として存在するのは軍人だけで、その中で医療や兵器開発、製造の分野で研究を続け、発展させていくのが人間の役割となっている。


(畜産どころか、サービス業も全部機械ですよ。だからどんなものでも食べられますけど、どこに行っても味は同じです)


(それは面白くないな)


(でしょ? 士官学校の同期はみんな飼い慣らされてるから、何とも思ってないみたいなんですけど、やっぱりつまらないですよ)


 カイトが同調してくれて、ファルは嬉しさのあまり愚痴をこぼしてしまう。思えば、連邦以外の国の人と話すのは、これが初めてだ。


(そういえば、食事ってどうしました?)


 ふと、気になった。行動開始から一時間。何かを食べたわけではないのに、この身体は空腹感を覚えていない。


(お前が来る前に済ませた)


 カイトは何でもないことのように答えた。

(迷惑かけるわけにいかないから、食事とかトイレとか、そういうのは全部先に済ませた。一応、あんた女なんだろ?)


(一応じゃなくて、れっきとした女です)


 戦地に性別は関係ないものの、随分と失礼な物言いだ。


(トイレくらい気にしませんよ。兵士なんですから、最悪の場合は垂れ流しも覚悟します)


(そういうの聞きたくなかったな……)


 幻滅したように言われると癪に障るが、これが連邦とそれ以外の国との価値観の違いだろう。国民皆兵で兵士になることが義務付けられている連邦では、そういう不浄も全て受け入れなければならないのだ。


(とにかく、トイレくらい気にしなくても構いませんよ。そんなの生理現象なんですから、仕方ないですよ)


 気遣いからそんな言葉をかけたファルだったが、カイトはそれにどういうわけか口元に笑みを浮かべた。


(生理現象なら我慢しなくて良いのか?)


(えぇ、構いませんよ)


(じゃあマス掻きも?)


(え? マス?)


 何のことかと考えて、思い当たるものに辿り着くのと同時に、カイトが右手を前後させるのを見せた次の瞬間、一気に顔が熱を帯びていく。


(な、何言ってるんですか! それは、駄目です。絶対駄目!)


(あれも生理現象だろ。知ってるか? 人間は死に直面してる時ほど、生殖本能が活発になるんだ)


(だから駄目ですって!)


 荒ぶるファルは身体の主導権を奪って、何かを握るような右手を拳に変えて、カイトの腹を殴った。


「痛っ……!」


 思わず声が出てしまい、カイトが口を塞ぐ。


(馬鹿、冗談だよ! 俺も人前でする趣味なんかないから、安心しろ)


(当たり前です! 何なんですかあなた! こっちは気を使ってあげてるのに、そんな卑猥なこと考えて……恥を知りなさい!)


(分かったから、そんな怒るなって。ていうか、顔熱いから落ち着いてくれ。あと勝手に動かすな)


(今のはあなたのせいでしょ!)


 怒り心頭で取り付く島もないファルに、カイトはまた余計なことを言った。


(お前絶対彼氏いないだろ?)


(だったら何ですか?)


(経験ないだろ? 反応で分かる)


(ありませんよ! じゃああなたはあるんですか?)


(さあな)


(絶対ないでしょ! あなたの方が恥ずかしいですからね。私まだ十八歳なんですから!)


 売り言葉に買い言葉の末、年齢をバラしてしまった。ハッとなったファルだったが、それにカイトは思わぬ反応を示した。


(お前、そんな若かったのか?)


(え? えぇ、まぁ……)


(マジか。俺と同い年だったのかよ……)


(カイトも十八歳なんですか?)


(あぁ、うん。先月誕生日だったから、十九だけど……ていうか、身分証見せただろ?)


(生年月日までちゃんと見てませんでした。すみません)


(あぁいや。俺の方こそ、さっきはごめん……)


(いえ……)


 それなりに妙齢の人間が相手だと思ってのあの冷やかしだったのなら、仕方ないのだろうか。反省している様子のカイトに、ファルもそれ以上は咎めないことにした。


(でも、十九歳で極秘の任務を任されるなんて、やっぱりカイトは凄いですね)


 微妙な空気を切り替えるべく、そんな賛辞を贈る。


(お前だって、それは同じだろ)


(私の場合は、ちょっと事情が違いますから)


 自嘲めいた物言いで続ける。


(士官学校の成績が足りなくて、第一志望に通らなくて、それで身内のツテを頼ってこの任務をやらせてもらってるんです。ここで成果を挙げて、推薦してもらおうと思って……だから悪い言い方をすると、カイトを出しに使ってるって感じですかね)


 そんな言葉を使ったのは、良心の呵責からか。胸の痛むファルに、しかしカイトの反応は好意的だった。


(お前行動力あるなぁ。普通そこまでしないだろ)


 呆れ半分、感心半分。そんな言い草に、ファルは心持ちが軽くなるのを自覚した。


(どこに行きたいんだ? 宇宙軍とか?)


 宇宙軍は連邦の花形だ。世界でも数えるほどの国しか宇宙開発競争に参画できておらず、何億キロも離れた星を開拓して資源を持ち帰っているのは連邦と帝国だけ。人工衛星を稼働させるだけで精一杯のレムナリアにしてみれば、真っ先に思い浮かぶことだろう。


(参謀総局ってところです。戦略策定をしたりする組織で、エリートが集まる場所ですよ)


 宇宙軍と比べれば地味。ファルもそれは分かっているだけに、何となくばつが悪い。


(昨日と今日の感じだと、エリートって感じじゃなさそうだったけど?)


 茶化すカイトに、ファルはムッとなる。


(失礼ですね。これでも十五歳までは神童扱いされてたんですよ?)


(それ落ちこぼれによくある話だろ)


(気にしてるんだから言わないでくださいよ!)


(あぁ、悪かったよ)


 苦笑するカイトに、ファルも笑った。

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