第10話 頭の中の侵入者

(――バルノン通りってことは、ここは……あぁ、そっか。最前線から五〇〇メートルの地点か)


 ぼんやりする頭の中で、声が響く。女の声だ。


(この辺にメタノイドはいそうですか? ……そうですか、良かった……)


 視界は流れていく景色をはっきりと映し出す。瓦礫の街。黒煙が夜の闇に舞い上がっていく、地獄のような景色。近くから響いてくる重苦しい爆発音と銃声が、ここを戦場と告げる。


(夢か、これ?)


「え?」


「ん?」


 自分の口で、疑問符を二度、立て続けに紡いだ。


「ど、どういうこと? え、ちょ、あなた誰?」


「は? 何だよこれ? どうなってるんだ?」


 自分の口で、驚きを二度、立て続けに叫んだ。


「お、お前、誰だよ!? 俺の頭、おかしくなったのか……?」


「え、あの、とりあえず喋らないで! 敵に見つかっちゃうから!」


「お前の声がでかいんだよ! ていうか喋るな!」


 闇夜の中で一人叫び続け、そして示しを合わせたように押し黙る。


 廃墟の市街地の只中にいるのは得策ではない。カイトは手近な建物のドアを開けて、奥の階段に身を隠すと、頭の中で聞こえたあの声に、無言で問いかけた。


(何なんだよ、お前? 一体何がどうなってる?)


 返事が返ってこなければ、ただ寝ぼけていただけと割り切ろう。


(一応確認なんですけど、所属は?)


 寝ぼけていたわけではないらしい。しかも、この頭に語り掛けてくる謎の声は、この期に及んで必要なのかも怪しいことを訊ねてきた。


(何だよ、所属って!?)


(所属を答えないということは、あなた連邦軍じゃないですね。もしかして、この身体の持ち主……?)


(そうだよ! カイト・リース。ほら、これ見ろ)


 カイトは迷彩服の胸ポケットから、身分証を取り出して見せる。今時珍しい紙の身分証は、くしゃくしゃになってしまっているが、月明かりで文字は判別できる。


(そうみたいですね。レムナリアの言語、勉強しておいて良かったです)


(で、お前は誰なんだよ? 俺が名乗ったんだから、今度はお前の番だぞ)


 迫るカイトに、女の声は一瞬間を置いてから、


(連邦軍の者です。名前は……ファルとだけ名乗っておきます)


(かっこつけるな! 俺は身分証まで見せたのに、お前はコードネームかよ!?)


(これは愛称です! コードネームならもっとかっこいい名前を付けます!)


 名乗れと言ったのに愛称で応じるなんて、こいつ本当に軍人なんだろうか。そんなカイトの疑念を知る由もなく、ファルと名乗った侵入者は続ける。


(私は第三軍団総督の下で、極秘の任務を行っている者です)


(その極秘の任務が俺の頭の中に入ることか?)


(これは何かの手違いです。内容は詳しく言えませんが……)


 何とも歯切れの悪い答えは、極秘故か。連邦軍なら少なくとも味方だろうが、頭の中に入ってくる実験なんてどうかしている。まともな人間とは思わない方が良いだろう。


(とにかく、出ていってくれ。ていうか、俺の頭にどうやって入ったんだよ?)


(それは無理です! いや、無理じゃないんだけど……とにかく、今はまだできません)


(それ完全にお前の都合だよな? 何で俺がそれに従わなきゃならないんだ?)


(それは……)


 女は一瞬言い淀んだかと思うと、次の瞬間すらすらと言葉を並べた。


(あなたが死んでしまうからです)


「は!?」


 思わず声に出してしまい、自重する。


(これは本来死亡している兵士をナノマシン技術によって延命することを目的とした実験です。つまり、今のあなたは本来死亡しているところを、我が国のナノマシン技術によって生かされている状況です。ここで私があなたの身体から離脱してしまえば、この延命措置の恩恵を受けられなくなる。つまり、あなたは死にます!)


 めちゃくちゃな話だが、そもそもこの状況がまともではないだけに、ありえないとも言い切れない。


 それに、本来死んでいた、というのも嘘とは言い切れない。意識を失う直前、ロケット砲が炸裂した時の熱も、崩落する建物の瓦礫に埋もれていく痛みも、確かに感じていた。あの状況で生きている方が不自然だ。


 ここで死ぬわけにはいかない。


(じゃあ、お前いつまで俺の中にいるつもりだ?)


 実験である以上、無期限ということはないだろう。そんな目算の問いに、


(期限は定められていませんが、実験が無事終了したら、二度とあなたの中には入りません。その後も死なないようにします)


(当たり前だ)


 提示された条件に、吐き捨てるように答える。


(期間が定まってないってことは、何か目的があるんじゃないのか? それを果たせば、文句ないだろ)


 とにかく、一刻も早くこんな気持ち悪い状況は打破したい。そんな思いで訊いてみると、


(いや、うん……どうでしょう)


(お前実験に参加してるんじゃないのかよ!)


(いや、してますよ? してますけど、何というか……)


 連邦軍のくせに頼りない奴だ。呆れ果てるカイトに、女は意を決したかのように答えた。


(この実験の目的は、そう……偵察です!)


(偵察?)


(そうです! 敵地のど真ん中に連邦軍が侵入するわけにいかないでしょ? だから、共和国軍の方の身体をお借りしているんです)


 共和国の兵士の死体なら、仮に殺されても言い訳は立つということか。身勝手で不愉快な理由だが、理屈としては分かる。


(偵察って、何を偵察するんだよ? 目的地は?)


(えっと……そう、ノーマン海岸です)


 女が告げた地名に、カイトは心臓が跳ねるのを自覚した。


(ノーマン海岸で、帝国軍に不穏な動きがあるんです。詳しいことは言えませんが……)


(それを調べることが、お前の任務なのか?)


(そうです!)


 さっきまでの歯切れの悪さが嘘のような断言は、開き直ったからか。


 いずれにせよ、海岸を目指すというのなら好都合だ。


(ノーマン海岸なら、俺も行こうとしてたところだ。ちょうど良い、協力してやる)


(え、そうなんですか? 何かの任務とか?)


(そんなところだ。こっちはこっちで、極秘の任務だからな。他の共和国軍の連中に見つかるわけにはいかないんだよ)


 カイトがそう言うと、女は少しの思案の後、


(分かりました。じゃあ、よろしくお願いしますね)

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