第2章 カイト・リース

第9話 幼き日の邂逅

 巨大な運河で遮られたムルス大陸の南北は、気候がまるで正反対で、そのせいか育まれてきた文化も大分違う。


 こと食文化に至ってはまるで別物で、農業に不向きな北が肉食中心なのに対して、温暖で肥沃な土地が広がる南は農業と畜産が発達していった。三世紀前のこの一帯は世界に冠たる一大農業地域であり、世界の食糧事情を支えていたと言っても過言ではない。


 そんな地域で生まれ育ったカイトは、どちらかというと肉の方が好きだった。ソーセージとハムは特に大好物で、卵と一緒に焼いたものをパンと一緒に食べるのが日々の幸せだった。


「ほら、カイトの分」


 開封済みのパックをエレンが差し出してくると、カイトはそれを受け取った。カイトと同じ、南部生まれの多数派を占める白い髪に、青い瞳の少女は、カイトとは三歳からの付き合いだ。地方新聞の記者だった父と懇意にしていた大学教授の娘で、カイトよりも二つ年上。ボサボサ髪のカイトと違って柔らかな髪質をしたロングヘアをゴムで結って、年齢相応に萎んだ顔をするカイトと違って気丈に表情を引き締めている。


「これお肉入ってる?」


「入ってないよ。野菜スープだから」


 コンソメの風味がうっすらと漂う、黄色く濁ったスープを、カイトはプラスチックのスプーンで掻き回してみた。浮き上がってくるのはトウモロコシとキャベツ、それにニンジンとタマネギ。やはり肉らしきものはない。


 しょんぼりしつつ、カイトは平らなお腹を悲しげに鳴らして、すぐ傍のコンクリート壁の残骸に座った。砕けた鉄筋コンクリートは表面がゴツゴツしているし、平面でもないから座り心地は最悪。だがアスファルトに座るよりは食べやすい。


「何だ少年、野菜が嫌いなのか?」


 顔を上げたカイトに、女は歯を見せて笑いかける。痩せ身で小柄な母親とは似ても似つかない、迷彩戦闘服のよく似合う女。背は父より高く、黒シャツから覗く腕も母親の倍近い。男のような体格なのに、赤みを帯びた茶髪は艶やかで、こんな殺伐とした廃墟に似つかない、ティアラのようなサイドアップの編み込みをしている。


「少佐さん、ソーセージとかはないですよね?」


 カイトの隣に座ったエレンが、女に訊いた。「少佐さん」というのはこの女の階級から来る呼び名だ。昨日彼女に助けてもらった時に教えてもらって、それからエレンはそんな呼び方をしている。


「うーん、今はこれしかない。我慢して食べてくれ」


 うんともすんとも言った覚えがないカイトを後目に、話が進む。とにかく野菜が好みでないことだけは理解してくれたが、甘やかすつもりはないようだった。カイトの青い瞳を覗き込んだ女は、白い髪をくしゃくしゃと撫でた後、エレンと挟み撃ちでもするかのようにカイトの隣に座った。


「しかし少年はアレだな、嬢ちゃんと違って無口だな。私にも君くらいの子がいるが、それはもううるさいぞ」


 隣に座った女がそんなことを言った。


「もしかしてアレか、私を恐がっているのか?」


「そんなことないですよ。ね、カイト?」


 カイトの隣に座るエレンが、失礼を窘めるように言った。しかしカイト少年は素直で、嫌いと言うほど嫌ではないが、何だか気分的には落ち着かないので、首肯する。


「私を恐がることはないぞ、少年。優しいから!」


 そう言って満面の笑みを見せる女だったが、昨日この女が目の前で兵士を三人瞬殺するところを見ているだけに、カイトの胸中は穏やかではなかった。自分を殺そうとした連中より、そんな窮地から救ってくれたこの人を恐がるのは筋違いだと分かっているが、如何せんそんな器用に切り替えることができない。


「私は恐くないですよ!」


 エレンが気分を害さないようにとアピールする。


「嬢ちゃんは強い子だけど、少年はそうでもないのかな?」


「そうかも……カイトは人見知りするし」


「そうかぁ。その辺はうちの子とは大違いだな。うちのはアレだ、ガキ大将みたいな感じだから」


 軍人の女は楽しげにエレンと語らう。そこへやり取りを見守っていた女性兵士が、


「エレンちゃんもカイトくんも、気を使うことないよ。少佐は恐いから」


 カイト達とよく似た白髪の女性兵士は、そんな言葉で女を冷やかした。高祖父がこの地域の出身ということで、彼女は何かと気にかけてくれている。


「恐くないって! 私は天使だよ、天使!」


「少佐は天使でも能天使ですよ」


「え、ノー天気?」


「悪魔殺しまくる天使のことですよ。知らないんですか?」


「知らない知らない。聖書読まないし、神とか信じてないし」


 じゃあ何で天使を自称したんだろうと気になったが、カイトはあまり深く考えないことにした。


「我が家は代々、神なんて信じてきてないんだよ。だから教会にも行かないし、お墓は超適当。それがうちの習わしだから」


「ほんと罰当たりなんだから。絶対ロクな死に方しないですよ?」


「死ぬ時のことは特に考えてないねぇ。無駄だから」


 ただ、と女は右手を空にかざす。


「ただ、恥のない生き様ができたと思えるように生きられれば、それが幸せなことなんじゃないかな。ねぇ?」


 右手を伸ばしたまま、女はカイトとエレンに問いかけた。


「二人とも、少佐の相手は良いから早く食え。それ冷めると不味いから」


 すぐ近くで胡坐をかく男が促した。


「俺は美味しいものが食べられたら幸せ」


 カイトがボソッと呟くと、女は右手を挙げたまま、目を丸くした。


「だから美味しいものが食べたい」


「お~。それはそうだね、少年」


 感心したように頷いて、女はスープにスプーンを突っ込む。


「食べてみろ、少年。美味しいから幸せになれるぞ!」


 スプーンを口に運んで、咀嚼して、飲み込む。そうして笑みを見せた女に倣って、カイトはスプーンでニンジンを掬って、口に運ぶ。


「どう? 美味しい?」


 ゆっくりと咀嚼して飲み込んだカイトは、澄ました顔で答えた。


「微妙」


「微妙! じゃあ微妙に幸せになったね! やったな少年!」


「少佐、幸せの押し売りは良くないですよ」


 窘める部下には目も繰れず、笑みを弾ませる女から目を離して、少年はスープを啜った。

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