第4話 与えられる任務
カードキーをリーダーに通してスライドドアを開け、部屋に入る。無駄に広くて殺風景な空間には、ヘッドギアを枕元に置いたベッドが一つ。その傍には、コンソールが一つ。
「ほら、そこ座って」
セルに促されて、ベッドに腰掛ける。やはり何かの実験に付き合わされるらしい。そんなことのために来たわけではないのだが、と不満を漏らしそうになったところへ、コンソールの前に座ったセルが先ほどの問いの答えを差し出した。
「これ、今朝撮ったやつ。見てみて」
差し出されたのは一枚の写真。衛星から撮影したと思しきそれに写っていたのは、巨大な青白い物体。縦長なその物体は、近くに写り込んでいる家屋と比較して、幅も長さも何十倍と大きく、その威容のほどが簡単に想像できる。
「ベヒモス……」
「そう。建造はまだ初期段階だけどね」
慄くファルに、セルが頷く。
「これが動き出したら、止めるのは至難の業……いや、過去にこれを倒した実績はないから、無理っていう方が正しいかな」
太陽系の果てにある惑星から採掘した地球外の金属を、特殊な製法によって加工して作られた合金で構成されるこの青白い怪物は、六〇〇メートルを超える全長を一四本の脚で支えて歩行する機動兵器だ。背中のサイロには中距離弾道ミサイルに地対空ミサイル、空対地ミサイルと全ての局面に対応した破壊兵器を搭載し、接合部の軋む音を獣の呻きのように響かせ、都市を蹴散らしていく。この巨体を守る外装の剛性もまた圧倒的であり、戦術核ミサイルの直撃ではビクともせず、至近距離でメガトン級の水爆を起爆させてようやく脚を吹き飛ばせるほど。それでもほんの少しの足止めにしかならず、ものの数日で修復され、また何食わぬ顔で地上を闊歩する。その巨躯と登載する兵器の破壊力、そして核すらも耐える防御力の高さから、連邦軍での呼称はベヒモス。絶望を具現化したような戦略兵器にはうってつけのコードネームだ。
「核攻撃の前後で、帝国には三回も停戦交渉を打診したけど、全部無視してきてる。その理由がこれだよ。そりゃあ、無敵の機動兵器がいるんだったら、停戦交渉なんて応じるわけないよね」
セルは肩をすくめた。
「まぁこんな化け物が控えてる以上、少なくとも総督は撤退するだろうし、本国もそれを咎めはしないだろうね」
連邦軍が撤退すれば、レムナリア共和国の敗北は確定する。帝国を相手に停戦協議など不可能な以上、それはレムナリアの国民全員が死に追いやられることを意味する。
「私はどうすれば?」
この話をしてきた以上、これからの活動に何らかの意味があるはず。そんな見立てのファルに、セルは本題を切り出す。
「ファルには今から、最前線に行ってきてもらうよ」
「戦術シミュレーションでもやるんですか?」
士官学校で嫌というほどやらされた、仮想空間での戦闘訓練。まさか学生と同格と見なされているのではないかと気分を害したところへ、
「違うよ。東コルシアに行ってもらうってこと」
ここから北へ約四〇〇キロ。進軍する帝国軍と防戦一方の共和国軍がしのぎを削る戦線の一つ。そこへ今から行ってこいという。
「ネクロマンサー計画って、ファルも聞いたことくらいあるよね?」
当惑するところへ投げかけられた問いに、記憶を頼りに応じる。
「死体に意識を転送して、遠隔操作するって計画ですよね?」
「そうそう。それを今からやってもらうんだよ」
とっくに頓挫したと思っていただけに、ファルの胸中は驚きが優っていた。
前線で戦死した兵士の肉体をナノマシンで修復し、意識を転送することで、その死体を自分の身体のように動かすことを実現する。死体を操作するという方法から転じて名付けられたネクロマンサー計画。技術的課題の大半は既存技術の応用で克服したものの、さすがの連邦も倫理的観点から積極的になれず、いつしか音沙汰を聞かなくなった計画だ。
「でも、連邦軍は前線で戦ってないはずでは?」
死体を動かすには、ナノマシンが脳内に人工器官を生成し、意識を受け入れられるようにしておく必要があるはずだ。そのためには事前に兵士の脳内にナノマシンを潜伏させ、絶命と同時に起動するようにしておかなければならないのだが、連邦軍は叔母の方針から前線に出ていない。戦死者がいないのだから、動かせる死体もないはずだ。
「使う死体は共和国軍のものだよ」
セルはそう答えると、ケージをコンソールに置いた。ファルのような国民にも知らされていない計画。そんなものを共和国軍の兵士を使ってどう実行するのかという至極当たり前な疑問への答えだ。
「ゴキブリ、ですか……?」
ケージの中を覗いたファルは、その正体に首を傾げた。ケージの中をカサカサと動く三匹のゴキブリ。それがこの計画にどう関係するのか。
「このゴキブリはキャリアーって呼んでるんだけどね。中にナノマシンが植え付けられてて、人間の死体を探すように仕込まれてる。これをドローンで前線に運んで放ってるってわけ。キャリアーは死体の耳から頭の中に入って、ナノマシンを脳に植え付ける。ナノマシンは脳に送受信器官を生成して、そこから全身の損傷を修復していく。凄いでしょ?」
「凄いですね……ゴキブリは頭の中に残るんですか?」
「ナノマシンを植え付けたら出ていくよ。一匹で十人分のナノマシンを運搬できるようになってて、全部出し終えたらお役御免で死ぬ」
よくできている。感心するファルは、もう一つ気になる疑問に行き着いた。
「ナノマシンを植え付けた死体を共和国軍に回収されたりしないんですか? かなり重要な機密だと思うけど……」
「されるかもしれないけど、したところで連中には何にもできないよ。連邦の技術を彼らが盗むなんて、原始人がスパコンを作ろうとするようなものだよ?」
馬鹿にしたようなセルの物言いは、確かに的を射ているのかもしれない。帝国を除く他国と連邦とでは、技術力に三〇〇年分の開きがある。そう簡単に真似できるのであれば、今のような状況にはなっていないはずだ。
「この計画には、参謀総局のとある派閥が関わってる。君が死体に入って良い成果を出せば、その人達の思惑は大きく前進する」
戦略策定を使命とする参謀総局の意向。ありえない話ではない。そして、それに貢献したファルを先方が好意的に評価してくれる可能性は、極めて高い。
「具体的には何をすれば?」
目の色を変えて訊いたファルに、セルは目論見通りと笑みを浮かべて答える。
「ファルの任務は、ノーマン海岸で建造中のベヒモスの状況を調査し、報告すること。要するに偵察だね」
「それだけ?」
「破壊は専門部隊が担当するからね。私達の任務は、九年前に手に入れたベヒモスの内部構造が変わっていないことを確認すること。原子炉の位置とそこまでのルートを見つけられれば、大成功だよ」
ベヒモスの内部構造は九年前の軍事衝突の折に粗方解明されている。精鋭部隊一個大隊が敢行した捨て身の破壊作戦で手に入れたその情報が、今も有効であるかどうかを調べておきたいというわけだ。
「まぁ志願すればやらせてもらえなくもないかもしれないけど、そのためにもまずは目の前のこの任務からしっかりこなさないとね」
嫌味な言い方をしてくれると思いつつ、死体に入って何ができるかも分からない中で大見得を切るのは性に合わない。
とにかく、自分にできることをやるだけだ。そこから先はセルの信頼を得て、総督に認められれば、自ずと道は開けてくるだろう。
「分かりました」
決意を新たにしたファルの返事に、セルは頷いて、
「じゃあ、ヘッドギア着けてベッドに横になって。意識を向こうに送るから」
「はい」
言われるがまま、ヘッドギアを被る。手順は仮想空間での戦闘訓練と同じ。ただ意識を送る先が、仮想空間から現実の世界の死体の中に変わるだけだ。
留め具で固定してベッドに横たわると、それを合図にセルがコンソールを操作し始める。ボードを叩く音を聞きながら、真上の照明を見つめていると、少しずつ意識が曖昧になっていくのが分かる。
「作戦は午前七時まで。向こうに行ったら、こっちからは連絡するつもりはないからね。期待してるよ、軍曹」
遠退いていく意識の中で、セルのそんな声がぼんやりとハウリングした。
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