第5話 最前線

 意識が戻ってくると、目の前は暗く、冷たかった。


「あっ」


 もたれかかっていた上体を起こして、辺りを見渡す。抉れた道路に、黒く淀んだ空。通りに並ぶバロック建築の建物はどれも崩れかかっていて、大穴を空けた目の前のビルは黒い煙を吐いている。遠くからは砲声がどんよりと響き、それに応戦するかのように、重機関銃の重たい銃声がパラパラと連なる。


 帝国とレムナリアが交戦する激戦区・東コルシア。その只中にいることを、否応にも自覚させられた。


 ファルはひとまず、現状を把握することにした。青を基調とした都市型迷彩服にタクティカルベストを着込んでいるが、ぽっこり膨らんだ腹には大穴が空いている。痛みはないが、位置からして内蔵は原型を留めていなかったことだろう。左手にはグローブを着けているが、右手は素手で、しかもナノマシンが生成したメタリックな義手。神経とはしっかり繋がっていて、触覚は機能している。


 起き上がって、数メートル手前に落ちている突撃銃を拾い上げる。レムナリア共和国の制式銃である、ブルパップ式の突撃銃だ。口径は七・六二ミリ。太陽嵐がもたらした停滞の結果、今なおほとんどの国で主力として居座る、火薬で銃弾を飛ばす方式の小銃だ。


「これで帝国軍と戦うなんて無理でしょ……」


 不安を呟くと、声帯が野太い声を紡いだ。死体の主は男なのだから当然だ。身長も本来のファルより十センチは高くて、小回りが利かず、重たい。


 慣れない視野と身体の重さに戸惑いつつ、ファルは歩き出した。周囲に気配はない。さっきから聞こえてくる砲火も数キロは離れているはず。この辺りには敵も友軍もいなさそうだ。


 現在地を把握できるものを探す。真っ黒に焦げた乗用車の傍に立つ標識を見れば、ここがどこかはすぐに分かる。戦況分析に役立つはずと、地名と地理は着任前に頭に叩き込んでおいたのだ。


 ここは東コルシアの最前線から三キロほど進んだところにある商業地域だ。今ではすっかり帝国の制圧下に置かれている場所だけに、戦火の音が遠いのも納得だ。


「さて、どうしようかな……」


 黒こげの車体に身を隠しながら、思案する。活動データの収集、それも戦地での記録となれば、交戦した方が良いのだろう。


「戦うんだったら、拳銃の方が良いな……」


 帝国軍を見つけ出して、奇襲攻撃でも仕掛ける必要がある。正面から突っ込んだり、先に見つけられてはまともな戦いにはならない。奇襲には突撃銃は不向きだし、もっと欲を言えば連邦軍の武器がほしい。


「……え?」


 まずは装備を整えようかと考えた矢先、ファルは砲声に紛れて聞こえてきたその声を聞き取った。


 泣き声だ。それもまだ声変わりもしていない幼子の、悲痛な叫び。まるではぐれた母を探し求めるようなその声は、耳を疑うよりも先にまた聞こえてきた。


「まずいでしょ……!」


 あんな大声で泣いていては、すぐに見つかってしまう。


 ファルは慣れない身体で通りを走り、泣き声へ近付いていく。軍人とは思えない重たい身体に、肺が潰れかかっているかのように苦しい呼吸と、痛みを覚える筋肉。こんな死体が前線に転がっているだなんて、共和国軍の練度が察せられる。


 息も絶え絶え辿り着いたのは、何の変哲もない三階建てのビル。この辺りは帝国軍の攻勢もさほど激しくなかったのか、周りの建物も比較的綺麗だ。


 泣き声が聞こえるのは、一階に入っている店の奥。バックヤードからだ。


 立て付けの悪くなったドアを蹴破り、中に入る。パン屋だったらしく、店先に並んでいたパンがそのまま残っている。


 レジの奥のバックヤードから聞こえてくる泣き声は、ファルの侵入に気付いてか、すすり泣くような声に抑えられた。


 もしかしたら、逃げ遅れたパン屋の主が、子供と二人でここに隠れていたのかもしれない。今の季節なら、作ったパンも長持ちするから、それで食い繋いでいたのだろう。そこへ不測の事態が起きて、子供が一人で取り残されているのかもしれない。


「そこに誰かいるの?」


 緊張の中で状況を想像しつつ、逸る気持ちを抑えて声をかける。返事はないが、鼻をすするような声だけが聞こえてくる。


「心配しないで。今から助けるから」


 こんなところで子供をほったらかしにはできない。


 良心の呵責に襲われる前に、ファルは善意に従って、バックヤードに踏み込んだ。


「え?」


 そこにいたのは、やはり子供だった。この季節にしては薄着の、青いシャツと黒いカーゴパンツを履いた、ショートボブの子供。中性的な顔立ちに人形のような無表情を張り付けて、その小さな口から、嗚咽を漏らしている。


 その姿に全身を粟立たせたファルは、次の瞬間、子供がその手に携えた小銃の青い閃光とともに、視界を回転させた。全身を切り裂くような痛みに、頭の中が混濁する。


(メタノイド……!)


 声すら出せない、胸から上しか残らない状態になったファルは、曖昧になっていく意識の中で、自分を見下ろしてくるあの子供と目が合った。相変わらず無表情のその子供は、手に持った小銃の銃口を向けると、再び青い閃光を銃口から焚き、次の瞬間、ファルの意識は霧散した。

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