第1話 着任

 ムルス大陸の西端に位置するレムナリア共和国は、大陸で唯一現存する共和制の民主主義国家だ。大陸北部を支配する諸侯連合から離脱して、共和制国家としての歩みを始めてから、もうすぐ八〇年。海を隔てた先にある帝国との緩衝地帯という立地を活かした外交政策と、豊富な鉱山資源によって繁栄を享受してきたこの国は、形骸化していた協定を根拠に連邦に泣きつくことになった。


「よし……」


 連邦遠征軍統合戦略母艦・リヴァイアサン。島に匹敵する全長と山に比肩する高さを誇る、連邦軍最大の艦艇。甲板前方にある航空機の発着所に降り立ったファルは、右手に提げた背嚢を小さな背中に背負うと、緊張した面持ちで歩き出す。


 目的地である艦橋があるのは四キロ先。爆撃機と輸送機が待機する甲板のその先に建つ、一〇〇メートルを優に超える高層ビルがそれだ。


 リヴァイアサンの全長は約五キロ。発着所からブリッジまでは、定期運航される艦内電車で移動するのが通例だが、ファルは指揮官からの命令で、徒歩で向かう手筈となっている。


 ファルは甲板の端に向かってから、それを実践する。待機する航空機のエンジン音と頭上を飛び去っていく戦闘機が響かせるソニック音を聞きながら、環境へ向かって歩いていると、昨年の実地研修を思い出して、懐かしさを覚えるとともに、戦地に来ていることを否応にも自覚させられ、六時間のフライトで鈍っていた身も引き締まる。


 甲板の上を歩いていると、反対側から男が三人、向かってくる。連邦軍の迷彩戦闘服を着ているのは、陸軍所属の兵士の証だ。


「七光りだ」


 初等士官学校時代からの呼び名に、また懐かしさを覚える。三人は同級生らしい。とはいえ、顔も名前も知らない相手だし、今陸軍に所属しているということは、専攻課程も違っていたはず。知人ですらないだろうから、申し訳程度に会釈だけしてすれ違うと、帰ってきたのは冷ややかな言葉だった。


「あいつ、結局遠征軍に来たのか」


「あんな脳筋が参謀総局なんて無理だろ」


「でも、あいつ確か総督の姪だろ? コネで楽な仕事でもさせてもらうんじゃねぇの?」


「チビのくせに特権階級様はお気楽で良いよな」


 立場が立場だし、そんなことを言われるのも覚悟の上。それでもここへ来たのは、それが生きていくために許されるたった一つの道だからだ。


 だからファルは、唇を噛んで好き勝手な同期の放言を静かに受け止め、歩を速めた。



 三〇分も歩いて艦橋に到着すると、正面から入ってエレベーターで二八階まで向かう。通路を渡った先にある執務室の前まで辿り着くと、ノックをして応答を受け、扉を開ける。


「失礼します。本日付でレムナリア共和国支援プログラムに参加するため、第三軍団に着任しました、ファルブリア・ファルネーゼです! ヴィクトリア・ファルネーゼ総督へ、着任のご挨拶に伺いました!」


 キレの良いファルの敬礼をデスク越しに見つめる隻眼の女は、ファルと同じ茶髪だ。髪は腰までまっすぐ伸びていて、何の癖もない。着ている黒の軍服は、胸に略綬をいくつも着けていて、右の眼帯とともに彼女の威容を強調している。


 対してファルはうなじを隠す程度の髪の長さで、そして自由奔放に跳ねている。士官学校を卒業したての証である新品の軍帽では、到底抑えきれないその跳ね髪と、新人らしいパリパリの黒の軍服に一瞥を繰れた後、総督は忌々しげに頬杖をついた。


「その父親譲りの跳ね髪、ほんと嫌いだわ」


「はっ! 申し訳ありません、総督!」


「で、その母親譲りの生真面目さはもっと嫌い」


「えぇ……わがままだよ、叔母さん」


 思わず私的な間柄での言葉遣いが口をついてしまう。公私混同を嫌う総督を相手に、昔同じような粗相をしでかして拳骨をもらったのを思い出し、息を飲む。


 相手はこの巨大母艦を旗艦とする軍団の長であり、連邦成立前からの筋金入りの軍人家系・ファルネーゼ家の現在の当主。叔母と姪という関係の前にその二つを意識できなければ、すぐに放逐されてしまうほどの厳格な人物だ。


「とりあえず、こっち来な。飴玉あげるから」


 ヴィクトリア・ファルネーゼ総督はそう言って立ち上がり、応接用のソファへ促す。着任したてということでの無礼講か、物言いを咎める様子のない叔母に安堵して、ファルはソファに座った。


「長旅ご苦労だったね。東方管区からここまでは二日はかかるし、さすがに体力馬鹿のお前でも疲れたんじゃないかな?」


「そんなことないよ。まだ元気モリモリ! どんな仕事も華麗にこなして見せるよ!」


 包装された飴玉を差し出す叔母に、得意満面で気骨を示すファル。飴玉をくれたし、応接用のソファにも座らされたから、ここは私的な関係で話して良いと判断した姪に、見上げたものだと一言くらいは褒めてくれると期待したが、総督として兵士を評価する立場の叔母は素っ気なく問いを投げた。


「で、お前ここで何をするつもりかな?」


 飴玉を口に放り込み、噛み砕きながらリンゴ味を堪能して飲み込むと、ファルは気を取り直して応じる。


「私は参謀総局に行きたいの。だから、ヴィッキー叔母さんに推薦状を書いてほしい。そのためにできることなら何でもするよ!」


「お前そんなだから七光りだとか言われるんだよ」


「それはこの際どうでも良い!」


 開き直るファルに肩をすくめつつ、叔母はポケットから取り出した通信端末を操作する。防弾ガラスよりも薄い縦長の端末は、それでいて三〇〇年前のパソコンに匹敵するスペックを有していて、この母艦から三〇〇〇キロも離れた先にある祖国のサーバから一〇ミリ秒という速度でほしいデータを通信し、持ち主に提示してくれる。


 連邦の技術の粋を結集したスマートデバイスで、叔母が何を見ようとしているのかは、ファルにも想像がついた。そしてその予想は的中し、そこで初めて叔母は感心したように左目を見開いた。


「お前の高等士官学校での成績だけどね。一般教養科目はBで可もなく不可もなくだけど、対人格闘術A、銃器戦闘術A、空挺と潜水もAで、空挺に至っては次席。極めつけは選択課程の対メタノイド戦闘術は首席。良いね、素晴らしい。ファルネーゼの人間として申し分ない成績だよ」


「でしょ?」


 得意顔のファルに、叔母は続けざまに冷や水を浴びせた。


「それで潜伏がD、情報調査D、長期戦略策定はぶっちぎりの最下位で落第寸前、さらには指揮官適性も低い、と……これで参謀総局なんて無理でしょ。サルにコンピュータ作らせろって言ってるようなもんだよ」


 散々な言われ様に、顔を顰める。無茶なのは自覚しているだけに、叔母の物言いも甘んじて受け入れることしかできない。


「それとお前、二年の時に喧嘩で停学処分食らってたっけ? それじゃ参謀総局どころか、本国官庁での勤務自体無理だよ。普通ここまで素行不良だと、遠征軍の捨て駒か、良くても国防軍の閑職送りが関の山だね」


「でもそれはあいつらが悪いんだよ。だっていじめやってたんだよ? 普通助けに入るでしょ」


 至極真っ当な正義感を熱弁するファルに、しかし叔母は落ち着いた声で咎めた。


「いじめやってたからって飛び膝蹴りで相手の顎砕くかね?」


「だって、普通の蹴りだと届かないし……」


「そういう問題じゃないんだよ、この馬鹿」


 叔母は呆れたように言った。連邦の同年代女子の平均を下回る、一五八センチの身長。体重は精一杯筋力を付けても五二キロ。それ以上は増えないし、一晩経つと代謝のせいで六〇〇グラムも体重が落ちる。そんなフィジカルに恵まれないファルにしてみれば、実技で培った技能を精一杯に活かしただけなのかもしれないが、そういう特技は戦場で活かすべきであって、学友に使うべきものではない。


「まぁとりあえず、お前ほど適性のない人間を参謀総局にねじ込むには、それなりに成果を出してもらわないとね」


「もちろん。何でも任せて。必ず成し遂げて見せるから!」


 ファルの気概に感心を見せることはなく、


「じゃあ、二十六時に八階の研究所に行きな。そこでお前に仕事をやる」


「け、研究所?」


 研究所に行きたがるのは理系の技術将校であり、ファルの望むところではない。


「任務の内容は?」


「行けば分かる。話は以上、部屋に戻りな」


 叔母は総督の顔でそう告げて、ソファから立ち上がった。これより先は親族ではなく、雲の上の上官。食い下がっても仕方ないと、ファルは諦めて部屋を後にした。

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