第10話 優しさ、布一枚
今、この俺の中に満ちているダークパワーを生かせば、山の中とて一気に駆け抜けることはできそうだ。
しかし、山を降りて市街地に行くことはできない。
とんでもない騒ぎを引き起こすだろう。
では、山の上か?
とりあえず時間を稼げればいい。
「サヤ! おい、サヤ! どこかに隠れられる場所はないか! 洞窟とか!」
「やだぁ……。やだぁ……」
駄目だ返事がない。
サヤは目を閉じて俺に抱きつくばかりだ。
俺は冷静に考える。
ゲーム的に言えばSANチェックに失敗して一時的発狂状態か。
残念だが俺に精神分析の技能はない。
時間経過による自然回復を待つしかなさそうだ。
俺は山の中に入った。
鬼は、まだ咆哮を続けている。
俺は暗闇の中、何度も足を取られながらも――。
その度に強引にダークパワーで突っ切り――。
やがて山頂にたどり着いた。
山頂は開けていた。
これもまさかとは思うが、封印とかの意味があるのだろうか……。
山頂には、大きな岩がはあった。
その大岩の上で、ようやく俺は一息をついた。
今のところ、山をかき分けて鬼が追ってきている様子はない。
咆哮も、すでに聞こえない。
鬼はどうしているのか。
わからないが、まあ、とりあえずは良しとしておく。
世界はすっかりと夜だ。
晴れた夜空に、星が綺麗に瞬いていた。
サヤは未だに俺に抱きついている。
安全は確保したことだし、そろそろ正気に戻ってもらいたい。
正直に言えば、かなり良い感触と体温ではあるのだが、どう考えてもそれを堪能している状況ではない。
俺はためしに、ふさふさの白い獣耳に触ってみた。
柔らかい。
もみもみしていると――。
ビクン、と、サヤの体が急に敏感に反応した。
お。
どうやら今の刺激で、ようやく正気に戻ってくれたようだ。
サヤが俺の胸元で、瞬きして、俺のことを間近に見上げた。
「おはようございます」
俺は冷静に言った。
「え……。あの……」
「まずはハッキリと言っておくが、俺は君を助けた。君は発狂してひたすら俺に抱きついていた。オーケー?」
「あ、う、うん……。あの、ごめん……」
サヤがゆっくりと俺から離れて、乱れた胸元を整えた。
そして、濡れた下半身に気づいて、俺に向けて何度かまばたきしてから、顔を伏せて股も閉じた。
ふむ。
俺はふと、ポケットにしまった薄い布のことを思い出した。
取り出せば、それは女物の下着だった。
冷静に考えてサヤのものだろう。
「これを使うといい」
それはその下着をサヤに差し出す。
俺は鬼ではない。
これでも武士の情けくらいは、持っているつもりだ。
「え。あの……。これ……」
下着を受け取って、サヤはつぶやいた。
「気にするな。
たまたまおまえの部屋にあったものを、たまたま握りしめて、たまたま収納しておいただけのものだ。
失禁しているのだろう?
恥ずかしがること無く遠慮せずに履き替えるといい。
――俺は、夜空を見上げている」
俺はそう言って、サヤから視線を外した。
俺は夜空を眺める。
振り向くことはしない。
俺は現代の賢者。
考える男。
故に、想像するだけにしておこう。
そう。
当然だが、俺にも人並みに性欲はある。
俺とて健全な年頃の男子なのだ。
しかし、俺は獣ではない。
むしろ真逆の、知性と理性に全振りしたような男だ。
無闇に欲望など、開放するつもりはない。
やがて夜空に一筋の光が輝く。
リノが仕事を終えて帰ってきたようだ。
俺は立ち上がって手を振る。
「おーい! リノー! 聞こえるかー! 俺達はここだー!」
どうやら聞こえたようだ。
リノが空を飛んで、こちらに近づいてくる。
俺はここでようやく、ずっと無言のままうしろで座っていたサヤに、振り向いて声をかけた。
「これで本当に一段落がつきそうだな。リノと合流したところで、しっかりと話はさせてもらうからな」
「う、うん……。わかってる……」
どうやら着替えはしなかったようだ。
俺が渡した下着を手に持ったまま、夜空に目を向けていたサヤが、俺から目を逸らしてうなずいた。
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