第5話 異世界のこと、リノのこと



「ねえ、私、平気? おかしくないよね? あ、髪! うしろ、ちゃんとさらさらしてる? 変に跳ねてないよね?」


 出かける寸前になって、急にリノが挙動不審になった。

 俺は冷静に考察する。

 俺の見るところ、リノは最初から何も変わっていない。

 長い髪は、ツヤツヤでさらさら。

 服装は、いかにも魔法学院の制服だが、今時、その程度で怪しまれて通報されることもないだろう。


「そうだな。あえておかしな点を挙げれば、足が床から離れて、ふわふわと浮かんでいるところだな」


 まさに、地に足がついていない。

 それだ。

 魔法使いなら普通なのかも知れないが、さすがにおかしい。


「もー! そういうんじゃなくてー! 私のこと! ねえ、どこかおかしなところはある? ないよね?」

「今の指摘以上におかしな点などないと思うが。一体どうした?」

「いやー、あはは。なんかさ、これから同年代の子と会うと思うと、妙に緊張してきてしまいまして」

「俺も同年代だが?」

「あーもー! いきなりおもしれー女とか言われたら泣くからね私!」

「それはむしろ好感度フラグだと思うが」

「あああああっ! もう! 前髪が少しずれてるじゃなーい!」


 玄関の鏡を見て、リノが悲鳴を上げた。


「いいから行くぞ」


 放っておいたら一時間でもそうしていそうなので、俺は腕をつかんでリノを玄関から引きずり出した。

 幸いにも、リノは普通に歩いてついてきた。


「あ、そうだ。今日、会う予定の女の子の名前、教えて?」

「知らん」

「え? 知らないんだ?」

「俗物の名前など俺が知るわけがない」

「うわ。……まあ、いいや。わかった。私がうまくやるよ」

「くれぐれも余計なことはするなよ?」

「わかってるって。うまくやるって言ってるでしょ。まったく。この私の魔法の力をまだ信じていないとは」

「いや待て。魔法の力でなにをするつもりだ」

「まーほーですかー。なんて言っても笑ってあげないからねー。あはははは」


 長い髪を揺らして、リノがステップするように走った。


「この私を笑わせたければ、もっと高度なギャグをお願いしまーす! ほらー! いい天気なんだし、タクヤ、早く行くよー! ああっ! 青空は、どこの世界でも美しいねー。サイコー!」


 俺はこの時、なんとも得体の知れない嫌な予感に囚われていた。

 それはそう――。

 リノの言葉を借りるのならば――。

 まるでこの俺が泥沼に引きずり込まれていくかのような、そんな感覚だ。


 爽やかな五月の青空。


 爽やかな美少女。


 今、俺のまわりには、陰りなどないと言うのに。


「ふ。」


 俺は一人、小さく笑った。

 俺は現代の賢者。

 考える男。

 故に少し思考が先に行き過ぎるのかも知れない。


 しばらくしてリノも落ち着いて、俺たちは並んで歩いた。

 俺は気になっていたことをたずねる。


「なあ、リノ。異世界っていうのは、どういう世界なんだ?」

「んー。普通の異世界だよー」

「というと?」

「剣があって魔法があって、魔物がいてね。帝国もあったよ。私は帝国の帝都に住んでいたし」

「ほお。まさにファンタジーなんだな」

「だねー。だいたいイメージ通りだと思うよー」

「それは実に興味が湧くな」

「興味は持たなくていいからね!? ゲームで満足しようね!?」


 俺は異世界では魔王だったというし、露骨に興味を持ちすぎると、逆にリノには警戒されるだけか。


「その服は、やはり魔法学院の制服とかなのか?」


 俺は少し話題を変えた。


「そだよー。これもイメージ通りだよねー」


 ローブの裾を長い髪を共に翻して、リノがお気楽に笑う。


「学院に通いつつ、最強無敵の活動をしていたのか?」

「そだよー。けっこう大変だったんだからー。私、こう見えて、実は勉強が苦手でいつも落第寸前でねー」


 こう見えてどころか、イメージ通りだな。

 と俺は思ったが、俺はかしこい男なので余計なことは口にしない。


「リノは転生者だったのだよな? 死んで転生したんだよな? 前世ではどんな感じだったんだ?」


 この質問に対しては、かなりそっけない顔をされた。


「前世のことは、もう忘れたよ。遠い昔の話だし」


 死んで転生したと言っていたしな。

 語りたくない過去があるのかも知れない。

 追求するのはやめておこう。


「ちなみにその髪の色は、天然なのか?」

「そだよー。染めてるわけじゃないよー」

「異世界では普通の色なのか?」

「ううん。私の髪の色は、向こうの世界でも珍しいものだったよ。春の精霊の祝福を受けて生まれた子とか言われてたねー」

「まさに、だな」


 俺は大いに同意した。


「私もこの髪は、私の中で一番のお気に入りなんだ。だからタクヤくん」

「ん? 俺か?」

「勝手には触らないでねっ!? 禁止です!」

「勝手じゃなければいいのか?」

「それは、まあ……。ちょっとだけならね……。なんでも願いは叶えてあげるのが私のお仕事だし……」


 そこは、なんでもにこだわるのか。

 なんでもなんて、とっくに瓦解していると思うのだが。


「リノからは、何か質問はるあか? なんでも答えるぞ」

「私はいいやー」

「今の流行りとか、気にならないのか?」

「んー。だってさー」

「どうした?」

「下手に質問して私の実家とかを特定されたら、一族郎党をタクヤくんに始末されるかも知れないよね?」

「あのな。いくらなんでも、そんなことをするものか」


 さすがの俺も突っ込んだ。

 どういう警戒だ。


「……と、言いたいが、魔王の俺はそんなにも残虐だったのか?」


 だとすれば我ながらショックだが。


「そんなんだったら、私はここにいないよ」


 リノが笑って言った。


「そうか。ならいいが。というか、それなら警戒の必要はないよな?」

「念のためですー。私はこう見えて、しっかり者ですしー。油断をすることなんてありえないという話なのー」


 俺の異世界での話については、実に気になるが――。

 リノの口から続きが出てくることはなかった。


 さあ。


 そんなこんなの内に、目的地の駅前広場に俺たちは到着した。

 俺は気持ちを切り替えて、意識を現実に戻した。

 リノのせいで緊張はほぐれてしまっていたが、今日は俺にとって、己の帝国を賭けた勝負の日なのだ。

 クラスメイトにカノジョを見せるという――。





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