第4話 カノジョの件
「あ、待って、タクヤ。ちゃんと聞きたいから、まずはお片付けして、その後でお茶を飲みつつ話そ?」
ということで、片付けの後、俺達はリビングに場所を変えることにした。
まあ、ダイニングにつながったすぐとなりだが。
「よっこらせっと」
リノは、ソファーに浅く腰掛けて、手も足も投げ出すように広げて、思いきりだらけつつも声だけは偉そうに、
「あ、ねえー! お茶っていうか、ジュースはあるー? 私、どちらかといえば確定的にジュース派だから、あるなら、そっちお願いー! あ、炭酸水! あるなら炭酸水でお願いー!」
と、冷蔵庫をからお茶を取り出そうとしていた俺に言った。
俺は冷静沈着な男だ。
いちいちこの程度のことで怒りはしない。
「ほら。飲め」
俺は冷蔵庫から炭酸水のペットボトルを取り出すと、リノがだらしなく座るソファーの前のガラステーブルに置いた。
「わーい! ありがとー!」
リノは喜んだが、だらけたままだった。
ソファーはひとつしかないので、俺はとなりに座ってお茶を飲む。
「ねえ、タクヤ」
「ん? どうした?」
「届かないから手元まで運んで?」
「おい。こら」
「一度だらけると、もう動きたくなくなってさー。わかるよね、この気持ち。というわけで早く。早く」
俺は無視することにした。
「で、さっきの俺の話なのだが……」
「そんなこと、どうでもいいからー。早く。早くこのリノさまに、炭酸水を手渡してくださーい」
俺は冷静な男だ。
いちいちこの程度で怒りはしない。
俺は炭酸水のペットボトルのキャップを開けると、そのまま逆さにしてリノの口に突っ込んでやった。
リノは、そのままいくらか飲んで――、
「ぶおっ! ぶはっ! ぶはっ!」
むせた。
「ちょっとぉぉぉぉぉぉ! なにするのよぉぉぉぉぉ!」
リノが怒って立ち上がる。
「よかったな。動けたじゃないか」
「げほっ! げほっ! かわりに喉が死んだよ、私!?」
「というか、ただの水だから、まあ、ダメージは少ないが……。君が撒き散らした水は魔法でなんとかしてくれるんだろうな?」
「え?」
「え、とはなんだ」
人の家を汚しておいて。
「いやだって、こういうのって聖水でしょ? 超絶美少女がせっかく撒き散らしてあげたんだから有難がるところだと思うんだけど? というか、私にしでかした無礼を謝るべきでは!?」
「また粗大ごみシールを貼られたいか?」
今度こそ追い出すぞ。
俺は真剣だ。
「う」
リノはたじろぐと、わかりましたよー、と、いじけつつも、
「クリアヴェール」
腕をくるりと回して、部屋を数秒、薄い水のような膜で覆って、本当に魔法で部屋を綺麗にしてしまった。
「これでいい?」
「ああ。いいが……。すごいな……」
「感心した?」
「正直に言うと、とてもとても感心した」
とてとてだ。
「でしょー。このリノさまはー、なんでも願いを叶えることのできる最強無敵の魔法使いさまなのですー」
えへん、と、リノが小さな胸を張る。
「とにかく俺は話す。君は聞く。オーケー?」
「オーケー」
ようやく本題に入れた。
いくら冷静を絵に描いたような、考える男、現代の賢者たる俺でも、あやうく苛立つ寸前だったが。
「そう――。あれは数日前、ゴールデンウィークに入る前のことだった」
「ちなみに今日は何日?」
「五月の一日だが?」
「なるほど。ありがと」
「俺は昼休み、いつものように一人、静かに読書を楽しんでいた。誰に迷惑をかけることもなく、誰に関わることもない、俺による俺だけの、静かで落ち着いたそれはまさにタクヤ帝国だった」
「ねえ、タクヤ。私、思うんだけど……。それって帝国というより牢獄」
「思わなくていいから話を聞け」
「あ、はい」
「クラスは賑わっていた。低能なる愚民どもは、連休をどう過ごすかで無意味に盛り上がっていた」
「……あのお。低能なる愚民って、もしかしてクラスメイトのこと?」
「他に誰がいる?」
「あ、うん。そうだね。ごめんね話の腰を折って」
リノが素直に謝る。
俺は寛容に許して、話を進めた。
「その愚民どもの一人が、無礼にも俺に話しかけてきたのだ」
「無礼って……。クラスメイトなんだし、話しかけるくらい、べつに私はいいと思うんだけど……」
「さっきも言っただろう、タクヤ帝国だ。帝国なんだぞ。無断で話しかけてくるのは領空侵犯に等しい犯罪行為だと思わないか? 話しかけてくるのであれば、まずは外交ルートを通すのが筋というものだ」
「なるほど……。で、どんな子が話しかけてきたの?」
「どんなもこんなもない。ただのクラスの女その一だ」
「……で、なんて言ってきたの?」
「ね、ねえ……。ちょっといい……? 久々利くんって、あの、その、ゴールデンウィークの予定っていうか、あ、えっと。あのね……。少しだけ気になったんだけど恋人とかはいるの?」
「え?」
「ヤツが! この俺に! そう、たずねてきたのだ!」
俺は思い出す。
そして、怒りに身を震わせた。
「いいか、リノ……。
この俺は、生まれてこの方、幾星霜。
記憶にあるという意味でより正確に言うならば小学生以降……。
現実の世界には友の一人すらいたことのない男だ……。
まして恋人の存在など天地神明に誓って絶無。
そして、そのようなことは……。
クラスメイトであれば、当然、察知して当然の事実だろう……。
なのにあろうことか!
この俺に!
恋人とかいるの、だとぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!
許せるか、この屈辱!
許せるわけがないだろうが、この無礼を!
だから俺は言ってやったのだ!」
「……なんて?」
「俗物が。消えろ。
――とな」
「ハマーン様かアンタは!」
「ふむ。なかなかに鋭い返しだとは思うが、どうして異世界人の君がハマーン様のことを知っているのだ? そもそも日本語といい日本食といい、まるで日本人そのもののようだが?」
「そんなの、転生者だったからに決まってるでしょ。日本で死んで、異世界で生まれ変わって魔法使いになったの」
「なんと」
「私のことはいいからー。話、続けてくれない?」
「まあ、そうだな……。
とにかく俺は言ってやったのだ。
そうしたらヤツが、ちょっと酷くない!?とか怒り出してな」
「……いや、うん。だよね」
「そうしたらクラスの連中が俺を煽り出したのだ。俺は危険人物だから話しかけない方がいいだの、俺には日本語が通じないだの、俺にカノジョなんぞいるはずがないだの、好き放題に言いやがってな!」
「うん。わかる」
「わかればいい。だから俺は言ってやったのだ。俗物どもに。恋人などいるに決まっている。とな」
「で、なんやかんやで見せつけることになった、と」
「我ながら不覚だったが、つい勢いで、おまえら全員に現実というものを見せてやると言ってしまったのだ」
「今日、クラスの子たちが来るんだ?」
「つい勢いで、見たいヤツは全員来いと言ってしまったが、来ると言ったのは最初の一人だけだぞ」
「それ、本当に来るの? 女の子なんだよね?」
「来ると言っていたぞ。だから絶対に来いと言われたからな」
「で、レンタルプラン、と」
「うむ」
「ねえ、タクヤ。タクヤくん。その子さ、売り言葉に買い言葉とはいえ、連休中にタクヤと外で会ってくれるんだよね? それってさ、普通に考えると、それだけでもすごくない? 私ね、素直にごめんなさいして、その子とお友達になった方が幸せになれると思うんだけど……」
「そんなことができるかぁぁぁぁぁぁ! 連中は、俺の話などすべて虚妄だと鼻で笑いやがったのだぞ!」
「虚妄だよね?」
「違うぞ? これは仮想現実というのだ」
「なるほど。ちなみにタクヤくん、今は五月なんだよね?」
「そうだが?」
「ちなみにタクヤって高校生だよね。何年生?」
「二年だが」
「五月ってことは、進級したばかりだよね? クラス替えはあったの?」
「ああ。普通にあったが、それがどうした?」
「ならさ、まだ一ヶ月なんだし、タクヤくんがこんな暗黒を凝縮した性格だなんて知らなくて、ついうっかり、不幸にも興味を持ってしまった女の子がいたとしてもおかしくはないよね?」
「おかしくないわけがあるか! 俺は一ヶ月、誰ともまともに話していないのだぞわからないはずがなかろう!」
「なるほどね……。委細、よくわかりました」
俺の話を聞いて、リノが深くうなずく。
そうして、俺の前に来ると。
しゃがんで。
正面から俺の肩に手を置き、間近でまっすぐに俺の目を見つめた。
「安心して、タクヤ。私はね、キミがどんなに帝国の支配者だろうと、絶対に見捨てたりはしないから。必ずキミを導いて、キミをまっとうな道に戻して幸せに生きせさてあげるからね」
そう言って、リノはリビングで踊り始めた。
「さあ。なんでも願いを叶えてあげるよ。タクヤはこの私に、どんなお願いごとをしたいのかなー? 自分の口でも言ってご覧なさーい」
俺はお茶を飲みつつ、冷静にリノの踊りを見つめた。
俺は決して、人を見た目だけで判断するような愚か者ではない。
大切なのは中身。
知性だ。
残念ながらリノには、それがない。
故に迷いはある。
だが正直、リノの見た目であれば、十分にクラスの愚民どもをギャフンと言わせることができる。
俺は決して高慢だけに生きるつもりはない。
下げるべき頭は下げる。
それが大切なことだとわかっている。
俺は悩み、決断した。
俺は深々と、眼の前で踊る美少女さまに土下座した。
「リノさま、どうかよろしくお願いします。貴女だけが頼りです。どうか今日だけカノジョになって下さい」
「任せてっ! その願い、私が叶えて差し上げましょう!」
嗚呼。
我、Z旗を掲げん。
皇国ノ興廃此ノ一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ。
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