第2話 まさに完璧なる計算




 目が覚めると、俺は膝枕をされていた。

 ここはどこだ。

 ああ、俺の部屋の中か。

 俺の記憶が確かならば、俺は先程、窓を突き破って朝空の彼方に飛んでいったはずだが……。

 視線が合うと、なぜか俺を膝枕している長い髪の美少女が、青色の眼差しを俺に向けて言った。


「ごめんね? 大丈夫? 痛いところとか、ないよね?」


 申し訳無さそうな声と表情だった。

 ふむ。

 俺は冷静に考える。

 状況から判断して、先程のことは真実だったと考えるべきなのか。


 せっかくの膝枕なのだが、俺はのそりと立ち上がった。


 体を確かめる。


 どこにもおかしなところはない。


 破れたはずの窓も、なぜか元通りになっていた。


「ふむ。これは一体」

「窓もタクヤも、私が魔法で直しました」

「魔法とな……」

「私、最強無敵の魔法使いさまですし?」

「ふむ」

「とりあえず座って?」

「はい」


 言われた通り、俺は正座した。

 すると目の前でリノがニッコリと笑って、こう言った。


「まったく本当にキミは駄目人間だね。キミが混沌に沈んでいく理由が、出会って五分なのに、よーくわかりました」

「五分というと、俺はどん兵衛レベルか」

「そうですね」

「それはつまり、かなり素晴らしいということだな?」

「いいえ。ちがいます。いきなり胸に触らせろなんて言ってくる変態さんに素晴らしさなんてありません」

「なるほど、さすがは俺。まさにだったか」

「なんですか?」

「いや、俺が触りたかったのは、君のその髪なのだが……」

「はい?」

「いや……。君の髪には不思議な感覚があってな……。それが一体何なのか解明したいと思ったのだが……」

「そういう言い訳はいいのです。私には不要です」


 またもニッコリと笑って言われた。


「そもそも、いきなり俺の部屋にいたヤツの台詞ではないと思うのだが」

「それとこれとは別です。安心していいよ。私はキミを見捨てません。私はキミを幸せにするために未来の異世界から来たのです。キミを将来の魔王にしないためにも、この最強無敵の魔法使いさまが幸せへと導いてあげます。さあ、なんでも叶えてあげる! キミの願いを遠慮せずに言って下さい!」


 なんて懲りないヤツなんだろうか。

 またもやドヤ顔で、リノが俺の目の前で両腕を広げる。

 まるで、抱きついていいよ、と言わんばかりだ。


 しかし、俺にはエベレストやヒマラヤもかくやというほどの高い理性がある。

 欲望に身を任せて突っ走るような愚かな真似をするつもりはない。

 俺は現代の賢者として、冷静に考えるのだ。


 ……なんでも、か。


 なんでもタイムが再び到来している。


 俺は思考を進める。

 今こそ、考える男、現代の賢者たる俺の真の実力を発揮する時だ。

 間違えないようにせねば。


 まず、状況から考えて、リノには何か、常人とは異なる、それこそ魔法と呼ぶべきような不思議な力があるのだろう。

 なにしろ俺はふっ飛ばされて、確実に死んだと思いきや――。

 無傷で部屋に戻っている。

 破壊された窓も、何故か元通りだ。

 現実ならば、まさに魔法で直したのだろう。

 幻だったとしても、まさに魔法で見せたのだろう。

 すなわち、超常の力だ。

 俺には今、超常の力で、何かをするべきチャンスが来ているのだ。


 この機会、生かさねば損だろう。


 どうする……。


 何する……。


 いや、待て。


 何するという発想が、そもそもいけないのではなかろうか。

 髪に触らせてほしい。

 そう頼んだところで、結局は変な誤解をされて、また蹴られる気がする。

 そもそも考えてみれば……。

 髪は女の命とも言う。

 俺は、それなりに軽く考えてしまっていたが――。

 その認識が甘かったのかも知れない。

 いや、甘かったのだ。

 初回のように特別な事情がなければ、見ず知らずの異性に快く髪を触らせてくれる女性などいるはずはないのだ。


 よし。


 ここはひとつ、発想を切り替えるのだ。

 将来を見据えよう。


 未来への投資だ。


 では、一体、今、何をすることが最良の一手となるのか。


 相手は、なんでも願いを叶えてくれると言っている。


 では、ならば――。


 そうだ。


 俺はひらめいた。


 さすがは俺、としか言いようのない、完璧で的確な結論だ。


 俺は静かに、すす、と、少しうしろに下がって、土下座を敢行した。

 その上で冷静にお願いする。


「結婚して下さい」

「は?」

「いえ、だから、なんでものお願いです。なんでもの力で、俺を一生、楽しく幸せに面倒見て下さい。お願いします。俺はそれならばゲームとネットでひたすら怠惰に生きることすら許容し、遊び人を経由して真の賢者への道を目指し、魔王にならないように力を尽くします」


 そう。

 ラブコメ、三種のお家芸のひとつ。

 いきなり結婚宣言。

 これだ。


 普通に考えれば、これは、かなり馬鹿げた行為と言えよう。

 なにしろ初対面の相手に、いきなり一緒にいようと言っているわけだ。

 しかし、だ。

 今回の相手は普通ではない。

 しかも俺が考察するところ、本当に、それなりに願いを叶えるだけの力は持っている存在だ。


 ふ。


 その力、上手く利用すれば、それだけで一生遊んで暮らせるだけの金を稼ぐのも容易に違いないのだ。

 髪だって、触り放題になる。

 故に、まずは親しくなり、そして、懐柔。

 手順を踏んで、上手く操っていこうと俺は考えたのだ。


「タクヤくん。頭を上げて下さい」

「はい」


 言われた通りにすると、リノは満面の笑みを浮かべていた。


「まずは、そうだね……。うん。考えてみると、さ、私みたいに可憐で清楚な超絶美少女がいきなり近くにいたら、おかしくなっちゃうよね。ごめんね。でも私はキミのことを見直しました。考えてみると、さ、ちゃんとお願いできるのって、すごいことだよね、偉い偉い! 感動した!」

「ふ。当然だ。この俺こそが、考える男、現代の賢者、タクヤ様だぞ」

「とりあえず、ありがとうこざいます。私に悪い印象は持ってくれていないみたいで安心しました。これからよろしくお願いします。ちなみに結婚はしませんのでごめんなさい。そういうのは、ちゃんと同じ世界の人間とね? 異世界のためにも普通に幸せになって下さいお願いします」


 俺の計画は破れた。

 リノは断ってきた。


「なあ、リノ」

「はい?」

「はっきりと言わせてもらうが」

「うん? なぁに?」

「早くも、なんでも、が、まるでなんでもじゃないのだが……」

「え?」

「いや、事実としてだが」

「うっせー、ざこ」


 リノが、いきなりヤサグレた。

 宙に浮かんで――。

 ああ、信じられないが、リノは普通に宙に浮かび上がった。

 そのまま、まるでコサックダンスでもするみたいに、膝を伸ばして足の裏で俺の肩を突き始めた。


「ざーこざーこ」


 なんだこれは。

 逆ギレか?

 俺は突かれるまま、人形のように揺れた。


「まったく。

 そんなんだから駄目なんです。

 わかる?

 わかりますか?

 なんでもって言ってるんだから、なんでも叶えられるお願いにしてくれないと困るんですけどー」


 ふむ。


 正直に言うと悪い気分ではない。

 むしろこのまま、スカートの中を見ていたい気持ちもある。

 俺は冷静だ。

 しっかりと、今この瞬間の、素晴らしき秘密の光景を、心のメモリーに焼き付けることも忘れない。

 とはいえ、俺は冷徹に、さらに思考を推し進める。

 そして、俺はついに。

 俺はあるひとつの結論を出した。

 俺はリノの足首をそっと掴んだ。

 掴んで、床に座らせる。

 その後、俺は立ち上がってリノのことを見下ろす。


「何よー?」


 リノが頬を膨らませる。


「ちょっと待っててくれ」


 俺は部屋を出て、一階の台所に降りた。

 たしか……。

 台所の棚にあったはずだ……。

 あったあった。

 俺は部屋に戻って、持ってきた粗大ごみシールをリノの額に貼った。


「ん? なにこれ?」

「粗大ごみシールです」

「ん?」

「もういいです。夢見た俺も悪かった。もう帰っていいぞ」


 そう。

 俺は現代の賢者として冷静に的確に自分を見つめたのだ。

 そして気づいた。

 一体、何を夢見ていたのだ、俺は。


 なんでもパワーで大儲け?


 ふ。


 なんだその幻想は。


「ん?」

「レンタル彼氏の件は、正直、助かった。ありがとう。俺はこれから魔王にならないように気をつけて生きることにする。だから、もう君は帰っていいです。要らない子ということを俺は理解した」

「え?」

「そんな信じられないみたいな顔をされても困る。いいから帰れ」


 俺もまた、現実に帰ろう。


「帰れって、どこに?」

「異世界か? 自分のいた場所に帰りなさい」

「無理だよ? 私、ちゃんとキミが幸せにならない限りは、送迎してもらえないことになっているよ?」

「知りません。とっとと出ていって下さい」

「……ここで養ってもらえないと、私、死んじゃうよ?」

「おい待て! ついさっきまで自信満々に、導くとかなんとか言っていたやつのセリフかそれは!」

「だってしょうがないでしょー! どこで寝ろっていうのよー!」

「橋の下」


 俺はそう言って、そっぽを向いた。

 するとリノのやつが、ぶわっと両目に涙をためた!

 まるで俺が悪いように!

 そして布団に潜ると、「ひどいー! ひどいー!」と言いながら、布団の中でわんわん泣き始めた!


 …………。

 ……。


 なんだろうか、これは。


 あ。


 布団からリノが顔を出して、涙目で俺を睨みつけてきた。


「でも残念だけど、出ていきませーん!

 ぜーったい、ざこざこタクヤくんのことは、私が導いて、幸せな人生にしてあげるんだからー!」


 言って、また潜った。


「いいから出て行け! 俺の布団を汚すなっ!」

「ヤダー! 変態! 変態! エロスケベ! 私から布団を奪うなんて一万年と三千年早いことに気づけー!」


 しばらく布団の奪い合いをして、疲れた。

 俺が肩の力を落としたところで――。

 ひょっこりと顔を出したリノが何事もなかったかのように言った。


「お腹すいた。朝ごはんにしよ」




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