なんでも願いを叶えるという戯言に付き合う俺は賢者である

かっぱん

第1話 朝の遭遇。賢者のねがいごと



 俺、久々利タクヤは、常に冷静であり、常にその場において最適な判断を下すことのできる人間である。


 故に、朝。

 窓から入ってくる柔らかな陽射しの中――。

 いつものように目覚めた時――。


 部屋に見知らぬ少女がいたとしても、慌てふためくことなく――。

 まずは冷静に、話を聞くこともできるのである。

 それこそがまさにこの俺という人間なのである。


「えっと、キミがタクヤくんで間違いないよね」


 俺の椅子に座った見知らぬ少女が、健康的な二本の脚を短いスカートの下で組み替え、にこやかにたずねてくる。


「はい。私がタクヤです」


 俺は身を起こすと、落ち着いてベッドの縁に腰掛けた。


「私はリノ。普通にリノでいいよ」

「リノというのは名前か?」

「うん。そだよー」


 うなずいて、リノと名乗った少女は身軽に椅子から飛び降りると、自らをアピールするかのように――。

 大胆に両腕を広げて、満面の笑顔でこう言った。


「さあ、というわけで! 私は未来の異世界から、なんと大変なことにキミを幸せにするために来ました! ふふー! さあ! なんでも願いを叶えてあげる! 遠慮せずに言ってくれるといいよ!」


 いきなりのハイテンションだった。


 ふむ。


 俺は冷静に少女をみやった。

 まず年齢は、俺と同じくらいで高校二年生前後に見えた。


 何より印象的なのは、淡い暖色の髪か。

 腰までまっすぐに伸びていて、満開の春の花のように優しく煌めいていた。

 普通に考えれば、染めたのだろうが……。

 不思議なくらいに自然で、少女自身と素晴らしく調和していた。


 顔立ちは、間違いなく美形。

 今は笑顔なので、愛想も抜群で人懐っこささえ感じるが――。

 澄ましていれば、近寄りがたい印象を覚えることだろう。

 瞳の色は青い。

 西洋人だろうか。

 それにしては、自然に日本語をしゃべっているが。


 服装は、短めのスカートに、白いブラウス。

 そして、その上に、どこの魔法学院からやってきたのか、ファンタジー感あふれるローブをまとっている。

 まさにコスプレだが、これもまた髪と同じように本人に馴染んでいて、普段着のようにすら見える。


 足は靴下。

 礼儀正しいことに、ブーツは脱いで脇に置いてあった。

 室内土足禁止の文化は、知っているようだ。


「どんな願いを叶えてほしい? 私、キミを幸せにしたいんだよ」


 俺が冷静に観察していると――。

 リノの方から話しかけてきた。


「それは正直、有り難いが……。どうしてまた?」

「キミ、将来さ、異世界転移するんだよ。それで魔王になっちゃってね、私のいた世界を大混乱に落としてくれるの」


 いきなり、とんでもない話が出てきた。


「……なるほど」


 とりあえず俺はうなずいておいた。

 何故なら、なんの実感も沸かない話だったからだ。

 しかし、異世界転移。

 魔王。

 悪くはない。

 俺とて、夢見なかったことがないわけではない。

 そして、何を言っているのかと一笑に付してしまうには、目の前にいる長い髪の少女は幻想的に過ぎた。


「なんか、こっちの世界で混沌に沈みすぎたみたいでね、その暗黒の力が強すぎて本当に大迷惑でねー。それで女神様にお願いして、なんとか元の世界で幸せになってもらおうということでね」

「君が来たと?」

「リノでいいよー。私もタクヤって呼ばせもらうし」

「しかし、暗黒と言われてもな……。こう見えて俺は、現代の賢者を自称する冷静で的確な判断力には定評のある男だ。混沌に沈むような真似は、このかしこい俺がするはずがないと思うのだが……」

「レンタル友達」


 リノが言った。


 む。


 その言葉に、俺はピンと来るものがあった。


「……何故、それを?」

「やっぱりかぁ」


 リノは深々とため息をつくと、


「ねえ、まだやってないよね? クラスメイトに恋人がいるって見栄を張って、でも恋人どころか友達もいないから、ネットでレンタル友達を申し込んでどうにかやり過ごそうって大計画は」

「それは一応、今日の予定なのだが……。む!」

「どうしたの?」

「まさか君はレンタル友達なのか! すでにサービス開始中なのかこれは!」

「ううん。違うよ」

「だよな……。さすがに家までは来ないか……」

「その契約ってさ、お金がないからって相手の顔もわからない、空いている人が来るプランにしたよね? フリープランってやつ」

「ああ……。その通りだが……」

「見直して!」

「……なにを?」

「契約!」

「あ、ああ……」


 俺はスマホを手に持って、契約ページに飛んだ。

 すると――。

 そこには、驚くべき文字があった。


「性別不問になってない?」

「…………」


 よく見ると、なっていた。


「よかったぁ。まずはクリアか。

 ……タクヤね、タクヤくんさ。

 もうなんか魔王になった未来のキミが叫んでいたよ。

 どうして俺は、あの時、クラスメイトの前で虚勢を張ってレンタルカレシを受け入れてしまったのか。

 なぜ俺は、新しい世界の扉を開いてしまったのか。

 まっするまっするー。

 ってね。

 君が混沌の底に沈む、大きなキッカケのひとつだったんだろうねえ……」


「う、うむ……。とりあえず、キャンセルしておこう……」


 マッスルマッスルの意味はわからないが、俺は契約を取り消した。

 当日なので違約金は発生するが仕方ない。


「さあ、なんでも言って! タクヤの願い、このリノさまが、バッチリ叶えてあげるからね!」


 リノが、一切のためらいなく、さらなるドヤ顔を決めた。


「……それは本当に、なんでも、か?」

「うん! 私、こう見えて最強無敵の魔法使いさまなのよ! 不可能なんて何ひとつないんだから!」


 リノは満面の笑みでうなずく。


「では、頼む」

「どうぞ!」

「成仏してくれ」


 俺は手を合わせて、短く念仏を唱えた。


「どうしてそうなるの!?」

「いや、冷静に考えて、その可能性が最も高いかな、と……」

「実体あるよね!? 私、透き通ってないよね!?」

「いや、冷静に考えて、透き通っていないからといって、実体があるとは限らないだろう?」

「ならはい、触ってみて」


 リノが手を出してくる。


「遠慮しておこう」

「どうして!?」

「初対面の女性の肌に迂闊に触れると、訴訟の対象になりかねん」


 今はそういう時代だ。

 たとえ相手が、いきなり俺の部屋にいるとしても。


「なら髪! 髪ならいいよね!」


 リノが身を寄せて、俺の前に髪を出してくる。


「ふ。わかったぞ」

「何が?」

「これはどっきりカメラだな! カメラはどこに仕掛けた!」

「いや、うん。タクヤくんに、そんなことする友達いるの? そもそも家にまで友達が来たことはあるの?」

「ふむ。小学生まで遡っても、どちらにも心当たりはないな」

「だよねー」


 あっはっはー。

 く。

 思わず自分でも笑ってしまった。


 まあ、いい。


「それなら確認のため、学術的な観点で触らせてもらうぞ」

「はい。どうぞ」


 俺はおそるおそるながら、彼女の髪に触れた。

 さわさわ。

 こ、これは……。

 ほんの数秒で俺は戦慄した。

 何故ならば、それはまさに、有り体な表現でいえば――。

 絹のような――。

 いや、手のひらからこぼれゆく砂のような――。

 なんとも心地よい、触っているだけで心が満たされるかのような、素晴らしい極上の手触りだった。

 気のせいか、温かさすら感じる。

 髪に体温があるはずはないのに、陽射し輝く炎天下やホカホカのお風呂上がりというわけでもないのに――。

 いや、そもそも、そういうのとは違う――。

 まるで癒やしのような温もりが指から体に染み渡るのを感じるのだ。


 俺は思わず、つい、夢中になってしまった。


「ねえ……。もういい……? さすがに、あんまり触られると、恥ずかしくなってくるんだけど……」


 リノが、なんとなく頬を染めて、恥らいだ表情で言った。


「あ、お、おう……」


 俺は慌てて手を引っ込めた。


「で、どうだった……? ちゃんと髪だったでしょ?」

「まあ、な。それについては認める」


 コホンと咳をして、体裁を整えつつ俺は認めた。


「さあ、じゃあ、いいよね! 願いをどうぞ! なんでもいいよ!」


 リノが両腕を広げて、まさに、好きにしていいよ、と言わんばかりの態度で俺に笑顔を向けている。

 なんの警戒心もない様子だ。


 正直に言うと、今、俺には願いが生まれていた。

 それは目の前の彼女であれば、実に簡単に叶えることのできる内容だ。

 しかし、俺は理性ある人間。

 冷静さを常に生きる、現代の賢者。

 欲望に身を任せるような願いは、さすがに憚られた。


「遠慮しなくていいからね? 私は、そのために来たんだから」

「しかし、な……」

「願いはあるんだよね?」

「あるといえばあるが……」

「どうぞ!」

「その前に言っておくが……。俺は決して、欲望に負ける人間ではない。常に冷静に学術的に動く人間だ」

「うん」


 俺の真剣な言葉に、リノは能天気な笑顔でうなずいた。


「いいか、決してこれは、欲望ではないのだ」

「うん」

「いいか、違うのだ」

「えっと……。何……? もしかして、押すなよ押すなよってヤツ……?」

「違う。ただの確認作業だ」

「ならいいけど……」

「では」


 コホン。


「私は何をすればいいの?」

「君はじっと、そこに居てさえくれればいいです」

「……というと?」

「今、目の前にあるものに、俺はこの手で触れたいのです」


 そう、それが俺の今の願いだ。

 リノの長い髪には、不思議な温かさがあった。

 その温かさは、指から広がって、まだ体に残っている。

 一体、それは何なのか。

 悪い感覚ではない。

 むしろ、心と体を癒やすような心地よさだった。

 俺はもう一度、リノの髪に触らせてもらって、その不思議な、魔法めいた癒やしの感覚を確かめてみたかったのだ。


 リノと視線が合う。

 リノは、なぜか、つつつ……と、視線を自分の体に下ろした。

 俺は自然にその視線を追った。

 リノの視線が、ブラウスの上の方で止まる。

 ちょうど胸のあたりだ。

 一体、どうしたのか。


「えっと……あの……」


 リノが戸惑うように胸をそっと腕で隠した。

 そして、聞いてくる。


「……触れたいって、どういうこと?」


 俺は正直に答えた。


「もちろん、そういうことだ」


 俺は指で、さわさわ、と、触れる仕草をした。


「えっと。あの」

「言っておくが、欲望ではない。これは学術的な確認だ」

「いや、うん。えっとね……」

「さあ、なんでも、だ。さわさわさせてくれ」

「さわさわじゃねぇわぁぁぁぁぁ! このエロスケベぇぇぇぇぇ!」


 そんな。

 バカな。

 なんでもって言ったのに。

 意味がわからない。


 俺は蹴られた。

 それはもう、蹴られた。


 窓ガラスを突き破って、俺は空中へと吹き飛ばされた。


 朝の空は爽やかに青かった。

 ああ、そうか。

 俺は爽やかさの中、不意に理解することができた。


 つまり俺は、彼女の胸に触れたいと――。

 下賤な要求をしたと思われたのだな――。

 俺ともあろうものが。

 即座に気づいて、訂正することができなかったとは。

 不覚であった――。


 俺は意識をなくしつつ、ああ、空は綺麗だ、と、最後にそう思った。


 唐突だが、俺はここまでのようだ。

 俺は現代の賢者。

 こんな時でも冷静に、そのことを自覚するのだった。

 嗚呼……。

 さらば、俺の人生。

 さらば、俺の青春。

 青い空の世界に、俺は溶けていった。




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