まいかルート 四章 大人という脆さ

まいかルート 4-1

 九月に入ると、厳しい残暑の中にも少しずつ秋の気配が流れ始め、気温に比して季節が夏ではないことを実感させた。

 夏が過ぎると春浜の海水浴客も途絶え、街には春浜特有の穏やかさと秋の色が漂うようになっていた。

 土曜日の昼前に民宿に訪ねてきたまいかさんのTシャツが七分袖に変わったことに、秋の近いことが表れている。


「小園さん、こんにちはです」


 服装の変化に気が付いた俺に、まいかさんはおとまるで会った時と同じいつも通りの笑顔を向けてくれた。

 笑い返しながらまいかさんの服を指差す。


「昨日まで半袖だったのに、今日は七分なんだね」

「あー、これですか」


 まいかさんは自身の上半身を見下ろしてから笑う。


「お母さんに頼んでタンスの中の服替えたです。そろそろ秋の服に出した方がいいと思ったんです」

「今はまだ暑いけど、もうすぐ秋らしい気候になるからね。十月に入るころには残暑も消えるはずだよ」

「十月ですか。あと二週間ぐらいです」


 来月に楽しみでもあるのか、笑顔の喜色が増した。

 十月という言葉から思い出したのか、嬉しそうに口を動かす。


「十月に入る前にお休み貰うです。その日の事で今日は相談があるです」

「相談したいこと。何かな?」

「中に入ってもいいです? 大事な話です」


 大事とは言いながらも凶報ではないらしく、笑顔のまま告げる

 まいかの声が聞こえたからか、玄関にゆっくりとした足取りで凛那も出てきた。


「こんにちは、まいか。どうしたの、あたしの家にまで来るなんて珍しいわね」


 お前の家じゃない、と訂正したい気持ちはあるが抑える。

 相談があるです、と俺の時と同じように言った。

 凛那は軽く腕を組んでまいかに物問う目を返す。


「ここまで来るほどだから、よっぽど重要な話なのね。なに?」

「中で話したいです。ちょっと長くなるです」

「そうなの。いいわよ上がって」


 家主のような振る舞いで来訪を受け入れた。

 お前の家じゃない、と訂正したい気持ち二回目が湧いたがここも抑えた。

 お邪魔するです、とまいかさんはお辞儀すると、スニーカーを揃えて脱いで俺の部屋へと歩き出した凛那に追っていった。

 部屋を使っていいと言った覚えはないが、ダメという理由もなく二人の後に続いて部屋まで移動する。

 部屋に入ると、家主に断りもなく座椅子に腰掛ける凛那と、向かい合わせにまいかさんは腰を下ろしていた。


 そろそろ注意していいかな?


 凛那の隣に座り、わざと顰めた面を向ける。


「おい居候、なんで先に座ってんだ。家主の部屋だぞ」

「いいじゃない。心の狭い男ね」


 流し目を寄越して凛那は嘲弄した。

 本気で言っていないとはわかってはいるが、少々腹立つ。

 軽く凛那と睨み合い、互いに視線をまいかさんへ戻す。

 まいかさんは困ったような顔をしていた。


「喧嘩はダメです」

「これが平常運転だから、まいか」

「こいつの言う通りだ。それで相談って?」


 わざわざ訪ねてきた目的である相談をこちらから促す。

 まいかさんはしばらくテーブル下の膝を見つめてから、真剣な眼差しを俺と凛那に上げた。


「お母さんの誕生日が近いです」


 唐突な発言に、俺と凛那はまいかさんの目を見つめ返した。

 言葉を継げずに沈黙が降りると凛那と疑問符を浮かべた顔を向け合う。


「お母さんをびっくりで祝いたいです」


 自分の思惑を端的に話してくれる。

 ぼんやりとまいかさんの伝えたい内容が把握できてきた。


「つまり、なみこさんの誕生日にサプライズプレゼントを贈りたいってこと?」

「そうです。サプライズです」


 俺の解釈は正しかったらしく、まいかさんが前向きな表情で頷く。

 凛那もまいかさんの考えを理解できたらしく、気掛かりそうな顔になる。


「でも、どうして急にサプライズなんて考えたの。誕生日だと言っても、親子二人で内輪にお祝いしてもいいわけじゃない」

「この前、お母さんを怒らせちゃったです」


 申し訳なさそうにまいかさんは答えて事情を知る俺を窺う。

 なみこさんの堪忍袋の緒が切れた瞬間を思い出し、まいかさんの意図が腑に落ちた。

 なみこさんが怒った、と凛那は切れ長の目を開いて驚く。


「あんまり想像できないけど、なみこさんが怒るってよほどのことをしたのね」

「反省してるです」

「今も怒ってるの?」

「今は怒ってないです。でも、もう一度ちゃんと謝りたいです。日頃の感謝もちゃんと言いたいです」


 折檻された日の事が頭を過っているのか、俯きながら切実な思いを吐露した。

 断る理由は、端からないよな。

 迷うことなく心で頷いた俺の横で、凛那が意を決した顔でまいかを見つめていた。


「まいか、あたしでよければ誕生日サプライズ手伝うわ」

「いいですか?」

「まいかの想いは受け取ったわ。なみこさんをびっくりさせてあげましょ」

「佐野さん、ありがとうです」


 礼を言ってからまいかさんの視線が俺に向く。

 目が合うよりも先に俺は口を動かした。


「俺も手伝うよ。一緒になみこさんの誕生日を祝おう」

「ありがとうございます、です」


 こちらまで嬉しくなるような声音で、まいかさんは満面の笑みをくれた。

 サプライズを実行するとなれば、計画を練らなくては。

 発案者であるまいかさんを中心に、西日が入り込むまで誕生日サプライズ作戦について話し合った。

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