まいかルート 2-5
午前中に広島駅から歩いて近場の観光名所の幾つかを拝観した後、帰りのバスへ乗り込んだ。
昨日はしゃいで遊び疲れたせいかバスや電車の中でまいかさんへ寝てしまい、俺は長い帰り道を話し相手のいない時間を過ごす羽目になり、春浜の駅に着く五分前ぐらいになってまいかさんは自らの力で目覚めた。
「小園さん?」
隣の座席から衣擦れの音の後、俺を探すような声が聞こえた。
どうしたの、と振り向いて尋ねると、元気を取り戻した笑みを浮かべる。
「よく寝たです。夢の中でも小園さんと広島で遊んでたです」
「そうなんだ。広島のどこ行ってたの?」
「なんか広島なのに春浜と同じ川とおとまるがあったです。でも中にお母さんも誰もいなかったです。変な夢でした」
「ははは、なみこさんが不在のおとまるは珍しいね。それでその後はどうしたの?」
「そこまでしか覚えてないです。ぼやぼやです」
夢の続きを訊いたが、記憶がないのか残念そうに答えた。
まいかさんの中で夢の話は終わったのか、夕暮れに染まる車窓からの景色を眺めてガラスに反射して見える顔が笑う。
「もうすぐお家ですか?」
「あと五分もないぐらいで駅に着くよ。どう広島旅行楽しかった?」
旅行の最後にふさわしく俺は感想を求めた。
まいかさんはこっちまで嬉しくなる満面の笑顔をくれる。
「楽しかったです。ヨネプロヒーローのグッズたくさん買えたです」
「他には、楽しかったことある?」
「ハンバーガー美味しかったです」
「そうだね。行けるならまた行きたい?」
「はいです。行きたいです」
まいかさんは社交辞令ではない本心らしい返答をした。
午前中の観光を思い出してくれなかったのは不本意だが、まいかさんが楽しかったのならそれでいい。
話が切れると、まいかさんが小園さんと改まった声で呼んだ。
「小園さんが一緒でよかったです」
「どうしたの、急に?」
「小園さんがいないと、米沢実展行けなかったです。本当にありがとうございました」
「お礼を言われるほどのことはしてないよ。俺の方も楽しめたから」
まいかさんの興味に付き合う苦労がなかったとはいえないが、その苦労さえもまいかさんが笑顔が見られるのなら苦労し甲斐があった。
手に余る感謝を受け取りかねているうちに、車両は春浜の駅に停車した。
ワンマン車両のアナウンスが流れ始めるのに合わせて、足元の荷物を持って席を立つ。
「まいかさん。降りるよ」
「ワンマンってなんですか?」
「先頭車両からしか降りられない車両のことだよ。荷物全部持った?」
「ええと、いち、にい、さん、持ちましたです」
手荷物を指差しで数えて、こくんと頷いた。
念のために俺が目視で二人分の荷物を数えてからホームに降りる。
まいかさんは他の客が降りるのを待って開いたままの車両のドアを見つめ、俺へ窺う目を向けてきた。
「どうして、ここしか開かないんですか?」
「車掌の人数が少なくて、駅が無人だからだよ。車掌のいないドアまで開けちゃう
と、そこから降りて無賃乗車できちゃうでしょ?」
「無賃ってお金を払わないってことですか?」
「そういうこと。電車に乗ったら切符台はちゃんと払わないといけないでしょ?」
「はい。いけないです」
俺も説明上手ではないが、まいかさんは理解してくれた。
先頭車両のドアが閉まり、牛の歩みのようにゆっくりと電車が動き出す。
「春浜に着いたです」
二日にわたる旅行を経て、出発地点に無事戻ってこられた。
まいかさんは腕を広げて春浜の空気を浴びる。
「なんか、とても落ち着くです」
「やっぱり、まいかさんにはこっちの空気の方が好みかな?」
「でも広島楽しかったです。また行きたいです」
心の底からの笑顔でまいかさんは言った。
まいかさんの中で今回の旅行が思い出に残ればいいな。
「俺も楽しかったよ。ありがとねまいかさん」
「お土産もたくさん買えたです」
そう言って、米沢実の記念展示会場で購入したグッズを仕舞った紙袋を覗き込む。
俺の手にも同じ袋があり、一袋で収まりきらなかったグッズが入っている。
「荷物もたくさんあるから家までは送るよ」
「小園さんと喋りながら帰れます」
そんな些細な時間でさえもまいかさんはニコニコと笑顔を湛える。
「あら、二人ともおかえりなさい」
荷物をしっかりと持ち直して駅を出ようとした時、駅舎の前で聞き馴染んだ柔和な声音が足を止めた。
声で気が付いた俺はすぐに頭を下げる。
「こんばんは、なみこさん。これから連絡するところでした」
帰りがけに俺とまいかさんの前に現れたのは、白いサマーニット姿のなみこさんだった。
予期せぬ母親との遭遇に、まいかさんがびっくりした目を瞠る。
「お母さん。なんでいるの?」
「まいかと健志さんがそろそろ帰ってくるだろうと思って。ふふ、邪魔しちゃったかしら?」
意味ありげな笑みを浮かべるなみこさん。
まいかさんはなみこさんの笑みを気にした様子もなく嬉しそうに話し出す。
「お母さん。広島楽しかった、ヨネプロヒーローのグッズたくさん買えた」
「そう。それはよかったわね、まいか」
含みのある笑みのまま、なみこさんは娘の話に耳を傾ける。
成り行きでなみこさんも加わっておとまるへの帰り道を歩く。
まいかさんがひとしきり旅行の話をし終えると、なみこさんは俺の方へ視線を向ける。
「二日間、まいかに付き合ってくれてありがとうございました健志さん」
「いえ、自分も楽しめましたから」
礼には及ばず、俺自身まいかさんとの広島旅行は思い出になった。
俺の気持ちが伝わったのか、なみこさんの笑顔に喜色が浮かぶ。
「そうですか。なおさら健志さんに同伴お願いして正解でしたね」
「ちょっと浮かれちゃってグッズを買いすぎちゃいましたけど」
「きちんとお金は持たせましたけど足りましたか?」
「足りましたよ。それに一部は俺からまいかさんへのプレゼントだと思ってください」
そのほか諸々、食事代やホテル代など支出は多かったが、そこは年上として気前よく支払い、後々に立て替えで返してもらうつもりはない。
「まいか。健志さんにちゃんとお礼言った?」
ニコニコと俺となみこさんの会話を聞いていたまいかさんへ、なみこさんが確かめる眼差しで問いかけた。
まいかさんが頷くのを見てから。俺を振り返り微苦笑する。
「お金のことまで頼りきりですみませんね」
「いいんですよ。俺の意思で勝手に払ってるだけですから」
まいかさんがねだった訳ではない、と断りを入れた。
なみこさんは安堵したように表情を緩める。
「本当に何から何までありがとうございます」
「気にしないでください」
これ以上感謝されるとむず痒いので謙遜を突きとおすことにした。
広島旅行の話題をなみこさんに聞かせたり答えたりしている間に、日は落ちかけておとまるの店前まで歩き着いていた。
なみこさんはお土産とグッズを含む俺の手荷物を見て微笑む。
「小園さん。よかったらお夕飯一緒にいかがですか。少々手狭ですけど、お好きな物作りますので」
荷物を置くついで、という気持ちがないでもなかったが、ご相伴に与かるほど感謝されるようなことはしていない。
身に余る厚意に俺は手のひらを向ける。
「そこまでしていただかなくて大丈夫です。まいかさんとの旅行を楽しめただけで充分です」
「欲がないのね小園さん。わかりました、ではそう受け取っておきます」
俺の遠慮に感心したような反応の後、なみこさんは少し残念そうに引き下がった。
まいかさんの荷物をリビングに置いて、俺は乙山家を後にした。
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