まいかルート 二章 大人という責任

まいかルート 2-1

 なみこさんからまいかの広島旅行の同伴を頼まれ、余暇を使って展覧会の日時や会場へのアクセスなど様々な入り用の情報を調べ上げた。

 そして七月の三連休初日、まだ気温が上がりきらぬ午前七時に春浜の駅でまいかさんと待ち合わせた。 

 まいかさんを待たせるわけにもいかず、七時よりも早い時間から駅にいる。

 無人駅のベンチに腰掛け、海の匂いを含んだ夏の風を浴びながら待っていると、木造の駅舎に人の気配を感じた。

 駅舎からホームへ出てきた人物を見て俺は立ち上がって笑い掛ける。

「おはよう。まいかさん」

 挨拶をすると、まいかさんは顔を振って左右を窺ってからこちらを見つけ、晴れ晴れと笑顔になった。

「小園さん見つけたです。おはようございます」

 おとまるで会う時と同様、こちらも笑顔になるような弾ける表情を浮かべてはいるが、いつもとは少し印象が違った。

 今日のまいかさんはラフなシャツにエプロンではなく、襞の入ったアイボリーホワイトの半袖ワンピースにワインレッドのハンドバッグを提げている。

 普段より大人っぽいというか女性らしいというか、三秒ほど見惚れてしまうほどに魅力的だ。

 それでもきっかり三秒で視線をまいかさんの顔に向ける。

「なみこさんから聞いたと思うけど、広島までの道のりは俺がばっちり調べたから心配しなくていいよ」

「時間かかるですか?」

「一応まいかさんのチャットにも行き方送っておいたけど送れてなかった?」

「ほんとですか。待ってください」

 まいかさんはバッグの中をまさぐってスマホを取り出し、真顔になって指で触れ始めた、

 これですか、と俺に傍に来て画面を見せてくる。

 この日のために先日交換したまいかさんとのチャット履歴には、きちんと俺の送った広島までのアクセス方法とおおよその所要時間が載っている。

「この通りの時間にはならないけど、大体四時間から五時間はかかるかな。途中の乗り換えに失敗するともっと時間を食うから、乗り継ぎは気を付けよう」

「今治る、駅まで行くですか?」

「それで、いまばり、って読むんだよ。鉄道だけで広島まで行くルートもあるけど岡山を経由しないといけないし、せっかくなら、この今治から出るしまなみライナーっていうバスで瀬戸内海を横断したくて。バスなら景色とか見られると思うよ」

「会場までは、どれぐらいですか?」

 瀬戸内海を渡るなら、と会場へ行くまでにも楽しみを取り入れたのだが、まいかさんの眼中には展覧会しかないらしい。

 苦笑したい気持ちを抑えて俺の送ったアクセス方法の最後を指差す。

 その時、視界の左端から内陸へ向かう列車がホームへと入ってくるのが見えた。

「駅から降りて会場までは地下鉄が妥当かな。まいかさんなら徒歩でも行ける距離だろうけど、慣れない場所だし、何より早く会場に着きたいからね」

「一番早い方法でお願いします」

 説明すると、まいかさんが生き生きとした目で頼んできた。

 展覧会が楽しみで仕方がないんだろうな。

 まいかさんが思う存分楽しめるように、しっかりエスコートしないと。

「まいかさん。列車来たから行こうか」

「窓際座りたいです」

「好きなほう座っていいよ」

 そう言ってあげるとまいかさんは列車に乗り込み、二車両しかないが車両の前の方へ進んでいった。

 俺はまいかさんを追いかけながら、スマホを出してなみこさんにチャットを送る。

『今から春浜を出ます』

 なみこさんからの了解の意を示す返信を見てから、先に座席に落ち着いたまいかさんの隣に腰を下ろした。

 


 列車やバスの乗り換えで不安そうにするまいかさんをエスコートしながら、正午前には何事もなく広島駅のバス乗降場まで辿り着いた。

 列車やバスの中でヨネプロヒーローについての知識をまいかさんから仕込んでもらったので、展覧会で立ち惚けることはなさそうだ。

 会場へ向かうために駅からの道のりを確認しなおす俺の腕をまいかさんがつついた。

「小園さん。いろいろと大きいです」

「いろいろ?」

 スマホに地図を映したまま、まいかさんの目線に合わせた。

 視界に見える限りにも数々の店舗が寄り集まったテナントビルが建ち並び、多くの車がテナントビルの下の道路を引っ切りなしに通り過ぎている。海辺の田舎である春浜とは歴然たる文明の差が目の前に光景には広がっていた。

 数か月前まで東京にいた俺には何の感慨もない光景だが、まいかさんはぽかんと口を開けたまま左見右見で周囲を仰いでいた。

「駅以外何の建物なのかわかりません」

「どの階にどんなお店が入ってるかは入り口に書いてあることが多いけど、お昼時だしどこか入ってみる?」

 東京で都会生活には慣れた俺は、スマホで周辺の飲食店を探した。

 まいかさんは少し迷った末に首を横に振る。

「大丈夫です。会場まで行きます」

「テイクアウトもあるよ?」

「ていくあうと?」

 ハンバーガー店を見つけて提案してみると、前提としてテイクアウトを知らなかった。

 テイクアウトについて軽く説明すると、まいかさんは合点がいった様子で笑顔になる。

「うちと同じです」

「ハンバーガーのお店が近くにあるけど、食べたことある?」

「ないです。どんなものですか?」

「バンズで肉とか魚を挟んであるファストフードだよ」

「ファストフードってなんですか?」

「……そこからか」

 弁当屋の娘で外食の機会が少ないせいか、ファストフードさえも知らなかった。

 まいかさんにも分かりやすいように説明すると、気が付いたことがあるのか小首を傾げた。

「ホットドッグとは違うですか?」

「言葉で表現すると似てるけど違うよ。ホットドッグは……」

 まさかホットドッグとハンバーガーの差を説明する時が来るとは思っていなかったが、まいかさんは俺の下手くそな説明にも頷いてくれた。

「パンあまり食べたことないです。朝もご飯です」

「そうなんだ。なみこさんの作る料理美味しいもんね」

「のりたま、おいしいです」

「ふりかけで食べるんだ。おかずとかは何か作ってくれるの?」

「朝もお母さん忙しいので目玉焼きとか、昨日の残り物とかです。でもいつもおいしいです」

「弁当屋を二人で経営してるわけだもんね。そりゃ忙しいわけだ」

 短期間だがおとまるでバイトをしていた時に聞いたが、なみこさんは朝六時起きだそうだ。早くから起きて家事に勤しみ、娘の朝ごはんを用意し、弁当屋の開店準備をして、朝だけでも多忙だ。

 そんな忙しい毎日であるにもかかわらず、唯一の働き手であるまいかさんに旅行の休暇をきちんと与えるのだから、なみこさんの気配りには頭が上がらない。

 俺の思索が瀬戸内海を渡った向こうのなみこさんに傾いている間、まいかさんは再び周囲を見回し始めた。

「ていくあうと、食べてみたいです」

「興味あるのハンバーガー?」

「小園さんの話を聞いてたら食べたくなりました」

 まいかさんは生き生きとした瞳で言ってから、忘れ物でも思い出したように眉根を下げる。

「会場に行かないといけなかったです」

「テイクアウトなら会場向かう途中に手軽に食べられるよ」

「ほえ、すごいです。ていくあうと」

 今度は目を輝かせてファストフード店の持ち帰りメニューを称賛した。

 反応が純粋で話してると楽しくなってくるな。

 愉快な気分のせいか自然とまいかさんに笑い掛ける。

「早く会場着きたいでしょ。行こうか」

「はいです」

 俺の気分の良さが伝わったようにまいかさんも笑顔を返してくれた。

 ハンバーガー店でテイクアウトを頼んだ後、タクシーに乗り込み会場へ向かった。

 まいかさんはタクシーも初体験らしく、座席の座り心地と徐々に増えていく料金メーターに興味津々で、見てる俺の方も心が和やかになった。

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