まいかルート 1-8
翌日も昼休憩でおとまるを訪ねると、まいかさんがレジを担当してくれた。
まいかさんは弁当の清算が終わるなり、喜色を浮かべて話し出す。
「広島に行ってみたいです」
「どうしたの急に?」
尋ね返してから、まいかさんの言葉が含んだ意味を理解する。
ヨネプロヒーローだっけ、記念のイベントが開催されるんだったな。
「放映五十周年米沢実ヒーロー展、であってるかな。まいかさんそのイベントに行きたいって前に話してくれたね」
「そうです。広島ならそんなに遠くないです」
「たしかに東京や名古屋よりかは近いけど、そこそこ時間掛かるよ」
本州に位置する広島へたどり着くには、瀬戸内を渡らないといけない。
しまなみ海道を含む本州と四国と繋ぐ交通路はいくつかあるとはいえ、旅行するには二日は想定しないといけない。
現実的な話をすると、まいかさんは首を傾げた。
「それじゃあ、広島行けないですか?」
「行けないことはないよ。でも行くならきちん前準備しないと困る、っていう話だよ」
「準備ですか。お金ですか?」
「お金もそうだけど、乗り換えを調べたり、イベントに行きたいなら会場の場所やアクセスも知っておかないといけないんだ」
広島行くのにも手間がかかることを暗に伝えると、まいかさんは自信をなくしたように下を向いてしまった。
まいかさんを都会から遠ざけるようで気が咎めるな。
落ち込むまいかさんを励ますために、思い付きで提案してみる。
「一人じゃわからないこと多いと思うけど、信用できる人に同伴してもらえば、心配せずに楽しめるんじゃないかな」
言いながら、広島へ出掛けるまいかさんの隣に自分がいる光景が頭に浮かび上がってきてしまう。
何を考えているのだろう、まいかさんが同伴を頼むとしたらなみこさんに決まってるのに。次点で凛那。
最近こうしてよく顔を合わせるからって、まいかさんから信用されているかは別問題だ。
「小園さん?」
「なに、まいかさん?」
俺の提案を聞いたまいかさんが、困ったような目でこちらを見つめてくる。
まさか、本当に俺に同伴を頼む気じゃないだろうな?
嫌じゃないけど、たぶんなみこさん厨房で聞いてるからやめてくれ。
俺をじっと見てまいかさんが口を動かす。
「誰に頼めばいいんですか?」
「なみこさんでいいと思うよ」
よかった。
なみこさんが耳を欹てているであろうこの場で、嬉々として同伴を請け合えるわけない。
寛容ななみこさんでも男の俺が同伴すると聞いたら要相談の場を設けるだろう。
「お母さんですか?」
「休日とかの兼ね合いもあるし、なみこさんに頼むのが一番だよ」
「それじゃあ、お母さんに訊いてきます」
今すぐ、とは言っていないのだが、まいかさんはレジの前に客の俺をほっぽり出してバックヤードへ入っていってしまった。
厨房の方から話し合う声が聞こえ、今そっち行きますからというなみこさんの返答のあとまいかさんがなみこさんを連れてレジまで戻ってきた。
なみこさんはタオルで手を拭きながら俺に視線を向け、いつもの柔らかい笑顔に申し訳なさを含ませた。
「すみません健志さん。まいかが急に広島行きたいなんて言い出してしまって」
「いえ。気にしないでください」
「それで、まいかの広島に行きたいという希望は聞きました。でも私に同伴を頼まれても承諾しかねます」
「どうしてですか。なみこさんが付いていれば、まいかさんも安心して楽しめますよ」
「おとまるを完全にお休みにするのは、お客さんに迷惑を掛けてしまうので」
なみこさんの言葉に、俺はなみこさんの人の良さと商売人としての心掛けを改めて痛感した。
娘との旅行よりもお店の経営を優先して客のために努めるとは。
だが、まいかさんの方を見ると視線を下げて落胆している。
まいかさんからすれば自分の希望が叶わない宣告に近いから、少し気の毒にさえ思えてくる。
俺がまいかさんに目を向けていることを察したのか、健志さん。となみこさんにしては張りのある声で呼ばれた。
「はい?」
「まいかは一度希望を持つと叶えるまで気が済まない性格ですから、よければ健志さんがまいかの我がままに付き合ってあげてくれませんか?」
「……え?」
待って、想定と違う。
まいかさんの広島旅行の同伴に俺を指名するのか。
信用してくれるのは嬉しい限りだが、母親から打診するのは訳が変わってくる。
戸惑う俺を見てか、なみこさんは微笑んで話を続ける。
「健志さんはまいかの性格を理解してくれていますし、まいかの方も健志さんだと安心できるでしょうし、なにより私自身が健志さんを高く買っていますから。これ以上の適任はいません」
「買い被り過ぎですよ、なみこさん。それにまいかさんを他人の男に一時とはいえ任せちゃっていいんですか?」
母親としては娘に変な虫は寄って欲しくないはずだ。世間擦れしていないまいかさんだからこそ、なおさら心配になりそうなものだ。
俺の心配など意に介さず、なみこさんは微笑みを崩さない。
「もちろん、健志さん以外の男の人には頼みませんよ。健志さんだからこそ頼んでいるんです」
「……そうですか」
弱ったな。
少しの間とはいえバイトで働いた時の印象も加味されているのか、俺の遠慮ぐらいでなみこさんの俺に対する評価が揺らぐとは思えない。
はっきりとした返答を出来ないでいると、なみこさんは逃げ道を塞ぐようにまいかさんにも同様の微笑で振り向く。
「まいかも知らない人よりも健志さんの方が安心できるでしょう?」
「小園さんが着いて来てくれるですか。頼りになるです」
男女云々の問題など頭にない様子でまいかさんは笑顔で答えた。
まいかさんが気にしていないのだから、俺が変に意識するのも関係をギクシャクさせるだけかもしれない。
都会暮らしで世慣れた年上男性、というスタンスで立ち居振る舞えば、良好な関係が築けそうだ。
俺が同伴することが決定した空気でなみこさんが再びこちらを向く。
「まいかをお願いできますか?」
「わかりました。まいかさんが楽しめるよう頑張りますよ」
「ありがとうございます、健志さん」
なみこさんからの感謝に今さら同伴を断る度胸はない。
変に意識しなければいいんだ。弁当買う時みたいにいつも通りで接すれば問題ない。
自分に言い聞かせると、まいかさんが愛嬌溢れた後輩のような存在に見えてくる。
うん、大丈夫そうだ。
まいかさんを眺めていると目が合った。
嬉しそうな笑顔を浮かべ、はにかむように口を動かす。
「小園さん。その時はよろしくお願いします」
「よろしく。行き方とか予定とかは、こっちで決めておくよ」
「ありがとうございます」
喜色の窺える表情でまいかさんは俺に頭を下げた。
律儀だなぁ。
嬉しそうなまいかさんの傍らでなみこさんが微苦笑した。
「いろいろご迷惑かけることも多いと思いますけど、まいかの我がままに付き合ってあげてください」
「任せてください」
同伴が決まれば、もう俺はまいかさんを余念なくエスコートする気でいた。
まいかさんが都会が初めてある以上、俺がしっかりしないといけない。
乗り継ぎとか、会場へのアクセスとか、調べておかないと。
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