まいかルート 1-3
おとまるでのバイトを始めて一週間経つと、一日の要領がわかるようになりレジや配達を一人で任されることも多くなってきた。
仕事にも慣れてきたある日の昼、厨房で仲良く調理する乙山親子の会話を聞きながらレジに立っていると、平日は度々見掛ける作業着の無精ひげ男性が今日もおとまるに入ってきた。
髭面男性はレジに立つ俺を見るなり、おっという口の開き方をして近づいてきた。
「この間、レジやってくれた兄ちゃんだよな?」
「はい。何か不備がありましたでしょうか?」
会計のミスでもしたかな、と不安になって尋ねると髭面男性は苦笑いで顔の前で手を振った。
「何もクレームつけに来たわけじゃねぇよ。前になみこさんから聞いた話を確かめようと思ってな」
「なみこさんに確かめた話ですか。自分に関することですか?」
クレームではないと安心しながらも、依然と髭面男性の目的がわからない。
俺の心中など知らぬ様子で髭面男性は続ける。
「この前兄ちゃんに会計してもらった次の日はなみこさんだったわけよ。それでなみこさんに新しい人入ったん、って聞いたんだよ。そうしたら兄ちゃんが職を探してるって教えてくれてよ、悪いが名前忘れちゃったけど、つまりそういうことよ」
「確かに仕事を探してます」
男性の話は要領を得なかったが、つまりはなみこさんから俺の事情を聞いたということなのだろう。
「あら、いらっしゃいませ半田さん」
レジでの話し声が耳に入ったのかバックヤードからなみこさんが顔を出した。
この男性、半田さんっていうのか。
なみこさんは俺の隣まで来て、半田さんにいつもの穏やかさで微笑む。
「健志さんと話をしてましたけど、どうですか?」
「すまねぇがなみこさん。この兄ちゃんの名前なんだっけか?」
「小園健志さんです。この間教えたじゃないですか」
「そう、そうだ。その名前だ。年取ると物忘れが多くなっていけねぇや」
髭面男性もとい半田さんは後ろ頭に手を置いて快活に笑った。
どうやら俺の与り知らぬところで話が進んでいるようだ。
なみこさんが微笑んだまま俺の方へ振り向く。
「健志さん、こちらの半田さんはおとまるの近くにある自動車整備所の所長さん。ちょうど事務員を応募しているらしくて、健志さんのことをお話したの」
「働き口を紹介してくれてるんですか。でも自分、自動車整備のいろはもわかりませんよ?」
暗に無資格のど素人であることを示す。
なみこさんは俺の返事を予想していたのか、すぐさま問題ないですよと答えた。
「半田さんは整備以外の雑務を頼みたいと言ってますから。パソコン関連に不得手な
人ばかりらしいです」
なみこさんの説明に半田さんは腕を組んでこくこくと頷く。
「そうそう。うちにはデジタル関連は疎い奴らが多いからな。スマホ買ったはいいけど、アアプリとか扱えねえ奴らばっかだしよ。薄っぺらい板切れのくせになんであんな動作が複雑なんだ」
段々と愚痴になっていった。
俺からしたら専門資格の必要な自動車整備の方がよっぽど難しいと思うけどな。
「どうですか健志さん。試しに半田さんのところで働いてみませんか?」
なみこさんが俺に選択を委ねてくる。
せっかくの勧誘だし、なみこさんの口利きもあるし、無下に断ることはできない。けれども自動車整備の事務所なんて仕事内容すら想像つかないんだよな。
「兄ちゃん、嫌か?」
半田さんが彼氏に縋る乙女のような潤んだ瞳で俺に訊いてくる。
髭面の男性が見せていい表情じゃない。
とはいえ、断りづらい。
決断つかない俺を見てか、なみこさんが半田さんに水を向ける。
「半田さん。まずは一週間バイトとして雇ってはいかがですか。一週間もあれば健志さんの考えも決まるでしょうから」
「そりゃいい考えだ、さすがなみこさん」
半田さんはなみこさんに賞賛を送ると、俺に安心させるように笑う掛けて来る。
「じゃあ兄ちゃん。とりあえず一週間ここのバイトの代わりにうちに来てくれないか。俺たちも兄ちゃんの人となりを詳しく知りたいし、いいだろう?」
「配慮してくれてありがとうございます。謙遜抜きで本当に自動車整備なんて無知なものですから、事務員ですら務まるかどうか自信がなくて」
「大都会東京で会社員やってたんだろ。こっちの方がよほど楽だと思うぜ」
請け合うように言って半田さんは声を立てて笑った。
仕事内容は未知だが、半田さんが気の良い人だというのはわかった。
「お仕事が合わなければ辞退を申し出ればいいんですよ。次の職が見つかるまでは、またうちでバイトしてもらっても構いませんから、心置きなく行って来てあげてください」
なみこさんが親切に決断を促してくれる。
試しに働いてみないと具合も掴めないからな。ここはご厚意を受け取っておこう。
決断した俺は半田さんに改めて向き直る。
「半田さん。小園健志です、明日からよろしくお願いします」
「こちらこそ。頼むよ小園くん」
にかり、と笑い半田さんは友好を示すように俺の肩に手を置いた。
弁当屋のバイトをしていたら、次の職場候補が決まった。
『半田整備』とペンキの剝がれかけた所名が掲げられた外壁を通り過ぎ、横合いにあるプレハブ小屋に入ると、空調の冷えた風がスーツの生地を抜けて肌を刺激した。
「おはようございます」
「……ああ、おはよう」
事務所として使っているプレハブ小屋には、作業着姿の男性が三人ほどいたが挨拶を返してくれたのは奥まった席にいた半田さんだけだった。
一人はミュージシャンのような小汚いウェーブされた長い茶髪で細い体躯を作業着に包み、ソファに腰掛けて文庫本を読んでいる。
もう一人は涼しい坊主頭に黒縁の眼鏡を掛けたインテリっぽい見た目で、がっちりした体躯を作業着に押し込んで、掲示板を眺めるフリをして競艇の冊子を覗き込んでいる。
「はじめまして、今日からバイトとして働くことになった小園健志です」
「……ふん」
「……ふへへっ」
それぞれ違う反応をしてから手元のものへ目を戻した。
挨拶らしい言葉すら無しかよ。
俺が立ち惚けていると見兼ねたように半田さんが近づいてくる。
「ごめんな小園くん。うちの整備士が不愛想で」
「あ、いえ。それよりもまずは名前を知りたいんですが」
「そうだよな。長い髪の方が太い田んぼで太田、短い髪の方が細井。覚えてやってくれ」
「はい。太田さんと細井さんですね」
口の中で反芻しながらも違和感を禁じ得なかった。
名前が紛らわしい、見た目と反対じゃねーか。髪の太さのことなのか、余計に判別付きにくくなるわ。
心の中で散々突っ込んでから半田さんに尋ねる。
「事務員として働くとは聞いたんですけど、具体的に何をすればいいですか?」
「早速、来てくれ」
俺の問いかけに、半田さんは答えてすぐに先ほどまで座っていた席へ誘導してくれた。
席の前まで来るとデスクに置かれたノートパソコンを指差す。
「このパソコンは小園君に貸すから、まずは事務関係の入力全般を任せたい」
「いきなりですか。どんな内容があるのかもわかりませんよ」
「実際に動かして説明したいのは山々だけどね、おっかなびっくり操作するから時間掛かるだろうからね。とにかくパソコンは小園君に貸すよ」
拒否を撥ねつけるように言うと、ノートパソコンを開いたまま掴み上げて俺の方へ差し出してくる。
開いたままだと持ちにくいのでパソコンを折りたたむと、半田さんは目に見えて狼狽する。
「大丈夫かい。突然閉じたら情報が吹っ飛んでしまわないかい?」
「大丈夫ですよ。これぐらいじゃデータが無くなりません」
「でも、ぷれすての蓋は開けると映像が止まることあるだろう?」
「ごめんなさい、その比較がわかりません」
「ええ、わからない。そうかぁ」
正直に告げると、半田さんはジェネレーションギャップを痛感した様子で肩を落とした。
初代プレステで電子機器の知識が止まっているなら、パソコンやスマホが使いこなせないのも仕方ないか。
先行きの心労が予想出来て、つい苦笑いが漏れた。
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