凛那ルート 6-10

 自宅に帰り着くと、すでに中では灯りが点っていた。

 玄関ドアを開けるなり台所からルームウェア姿の凛那が顔を出す。その時の凛那の顔には特に普段との違いは見られなかった。


「おかえり。ごめんなさい、さっきまで出掛けてたからまだ何もしてないの」


 演技力に長けた凛那なら、何事もなかった表情で俺を出迎えることも予想出来ていた。

 努めて微笑まず凛那へ問いかける。


「凛那。今日の公演出てただろ?」

「……そうね」


 真っすぐ凝視しての問いかけに凛那は顔から笑みを消して肯定した。

 舞台に上がった理由を訊こうと口を動かすよりも先に、凛那が静的に微笑んで言葉を返してくる。


「久しぶりだったけど、やっぱりあたしにとっては天職ね」

「……素人目でもよかったよ」


 本当は寂しさを感じたが、自分に少しだけ嘘をついて褒めた。

 俺の短い感想を聞くと、凛那は台所から完全に出てきて玄関にいる俺の目の前まで歩み寄ってくる。


「何か聞きたそうな顔してるわね?」

「当たりだ。聞いていいか?」

「どうぞ」


 凛那の方も隠し通せるとは思っていないのだろう、自ら問いかけるように仕向けてきた。

 理宇ちゃんと晋也さんの気づきのおかげで抱いた疑問を凛那へぶつける。


「ビーチホテル開発へ反対するため一色さんへ何か頼みごとをして、その見返りで今回の公演に出たんじゃないのか?」

「ご明察」


 そう言ってから凛那はわざとらしく溜息を吐いて肩を落とす。


「奈能りんとして出演したから一部で騒ぎになっちゃって、業界通の記者とかから劇団に問い合わせがたくさん来たの。もしかしたらこの先、東京からわざわざ記者の人たちが乗り込んでくるかもしれないわね」

「かもしれないじゃねぇよ」


 凛那の楽観的な言い方につい苛立った声を出してしまう。

 俺の癇癪に目を見張る凛那の顔を見て、怒りは段々と鎮まっていく。


「怒鳴ってごめん」

「……もしかして奈能りんのあたしが嫌い?」


 心配そうに尋ねられて視線を逸らしながら頷き返す。

 こちらの返答に凛那は、こっちこそごめん、と視線を伏せて謝った。


「無神経よね。あんたがどう感じてるかも知らずに自分の話ばっかりして」

「凛那の話を聞くのは楽しいよ。けど奈能りんを目にした時、今までにない距離感を覚えて、それが辛くて」


 本来、彼女はここにいるはずじゃなかった。

 数奇な運命で俺は佐野凛那という女性と出会えた。

 こうして一つ同じ屋根の下で暮らせているのは様々な出来事が交差した結果で、一つ選択が違えば出会えてすらいなかった。


「悲しい顔しないでよ」


 幻想のように消えてしまいそうに思えた凛那の姿を見つめていると、凛那が泣き笑いのような顔で言った。

 はっとして目を努めて大きく開く俺に、凛那が少しだけ喜色を戻して微笑み掛けてくる。


「今、目の前にいるのは誰?」

「凛那」

「そうね。けっして奈能りんではないわよ」

「遠くに行かないよな?」

「心配ならちゃんと捕まえて。ほら」


 促すように言うと、若干に顔を赤らめて両腕を広げる。

 今回は凛那の意図がすぐさま理解できた。

 仕事着やそのほか諸々入ったバッグを靴棚の上に置いて、凛那の身体にそっと両腕を回した。

 凛那の顔が頭の後ろに来ると、彼女の方からも柔らかく俺の身体に腕が添えられる。


「あたしを感じられる?」

「ああ。感じられる」

「それならよかった」


 安心したように凛那の身体から少し力が抜ける。

 しばらく抱擁し合い、示し合わせたわけでもなく互いに身体を離す。

 温もりが遠ざかると同時に、凛那の穏やかな表情が目の前に収まる。


「何か食べたいものあるかしら。簡単な物なら今から作ってあげる」

「味噌汁が飲みたい」

「味噌汁ね。それじゃ作るから、ごめんね」


 さきほどよりも耳障りの心地いい詫びの言葉を口にしてから、凛那は俺から離れて台所の方へ戻っていった。

 台所へ入っていく姿は間違いなく俺の好きな凛那だった。

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