凛那ルート 6-6

 一色劇団の再公演前日。

 住人や劇場スタッフへの挨拶という口実で春浜に前乗りした一色浩二は、本来の目的を果たすため待ち合わせ場所の居酒屋を訪ねた。

 指定された座敷へ上がると、前回この居酒屋へ呼び出した人物が今度は待つ側になって一色の顔を見るなり軽く会釈した。


「こんばんは一色さん。二か月ぶりぐらいかしら?」

「こんばんは奈、いや佐野さん。君の方から呼び出すなんて意外だったよ」


 一色は待ち合わせた人物を前職の名前で呼び掛けて、慌てて言い直した。

 奈能りんと一色が呼びそうになってしまった佐野凛那は、大事な話をするつもりなのか姿勢正しく座卓の前に腰を下ろしている。

 凛那は申し訳なさで眉根を落とす。


「忙しい中、突然呼び出してごめんなさい。実は改まって一色さんに頼みたいことがあるの」

「自分に頼みたいこと、ね。自分の職業に関わることかい?」


 互いの共通点を理由に一色が尋ねるが、凛那は曖昧な笑みを返した。


「全く関係ないことではないけど、大事なところは直接関係しないと思う」

「難しい言い方をするね……とりあえず何か頼もうか?」

「そうですね。一色さん何を注文しますか?」


 凛那がメニュー表を見ることもなく聞き返す。

 一色は凛那の顔を見つめ、前回会った時と若干の雰囲気の違いに気がついて訝るように目を細めた。


「佐野さんと同じものでいいよ。それよりも今の君からは少しだけ憂いのようなものを感じるよ。何かあったのかい?」

「……鋭いね、ほんとうに」


 一色が問いかけると、凛那は諦めたような微笑みを浮かべた。

 見抜かれたからか一思いに凛那は言葉を続ける。


「一色さんに頼みたいことっていうのは、あたしの好きな春浜を守るための協力なの」

「自分に頼むのかい。他にもっと適任がいるんじゃないかな?」


 公演のために来訪しているだけの一色からすれば、凛那の頼み事の相手が自分であることに理解が及ばない。

 一色の疑問は予想していたらしく凛那は真剣な眼差しを向けたまま話を続ける。


「確かに常識で考えたら一色さんに頼むのは間違ってると思う。けど仁さんの意思も絡むとなれば話は変わってくるはずなの。春浜は仁さんが大好きな町だから、

あたしの頼みは仁さんの頼みでもあるの」

「立花仁さん、ね。そういえば仁さんは生前春浜のことを話していたね。俳優を引退したら住みたいって」

「開発の波が春浜を変えてしまったら、仁さんが好きな春浜とは違うものになってしまう気がするの。仁さんだけじゃない、しのばあちゃんが愛してきた春浜が春浜じゃなくなるのは嫌なの」

「仁さんの話は納得できた。しかし、しのばあちゃんとは誰なんだい?」


 段々と心情を吐露するような口調になってきた凛那へ、一色は聞き覚えのない名前を誰何した。

 ごめんなさい、と凛那は感情的になってきたのを謝ってから、しのばあちゃんのことを紹介する。


「しのばあちゃんはあたしが居候してる民宿の前の宿主なの。荒んでたあたしの心を癒してくれた恩人で、仁さんと並んであたしが大好きで大切にしてる人」


 一色へ話してからしのばあちゃんとの記憶が湧くように蘇り、凛那は泣き顔を隠すために俯いた。

 凛那の様子からしのばあちゃんという人物の訃を感じ取り一色は沈痛な面持ちになる。


「すまないね、思い出させてしまって」


 凛那は俯いたまま首を横に振った。

 他の客の声が耳障りに感じてきそうな間があってから、涙が引くのを待って一色へ顔を上げる。


「話の続きをします。ええと、つまりはあたしからの頼み事は仁さんの思いも絡んでて……」

「いいよ。引き受けよう」


 話を遮るように承諾されて、凛那は虚を突かれた目を返した。

 凛那を安心させるために一色は表情を緩めて微笑みかける。


「どうやって協力すればいいのかはわからないけれど、仁さんと佐野さんが好きな春浜を守れるのなら請け合うよ。それに自分が必要ないのなら、わざわざ頼んでくるとも思えないからね」

「ありがとう、一色さん」


 凛那は感謝を伝え、途端に決意で表情を固める。


「頼みを引き受ける見返りってわけじゃないけど、もう一つ一色さんに頼みたいことがあるの」

「今度はなんだい。見返りなら別にいらないよ?」


 社交辞令でなく見返りを辞意する一色を、凛那は本気の眼差しで見つめる。


「女優として復帰したいの。だからあたしに復帰する場所をください」

「……無理はしていない? 俳優を続けられる覚悟はある?」


 凛那の意思表明に一色は驚いたが、彼女の決意の固さを確かめるための問いかけの方が先に口をついて出た。

 凛那は決然と頷く。


「そうかい。覚悟があるのなら考えておくよ」

「ありがとうございます、一色さん」


 凛那は感謝を伝えて頭を下げるが、覚悟を決めたことで後戻りできないとわかり、苦渋がこみ上げて顔を上げられなくなってしまった。


「大丈夫かい?」

「ええ。ただ少し、春浜から離れるのが辛くて」


 春浜から離れる、は凛那にとって言葉通りの意味だけではなく、春浜で出会った人々、春浜での思い出、仁さんやしのばあちゃんの遺志、加えて交際相手への想い、諸々を置いていかなければならない。


「それでも俳優に戻るんだね?」


 一色は最後の引き返す機会を与えるつもりで訊いた。

 辛さを飲み下して凛那は顔を上げる。


「覚悟は出来てるわ」

「わかった。君の覚悟、聞き届けたよ」


 一色の方も凛那の決意を受け止めて頷き返した。

 そして話題を凛那からの頼み事へ移す。


「自分の方も佐野さんに力の限り協力するよ。何をすればいいかな?」

「一色さんには……」


 凛那は好きな春浜を守るための考えを一色に話して聞かせた。

 この夜、凛那と一色は互いに程よく酔いが回るまで方策を練った。

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