凛那ルート 6-4

 秋が近づき日が短くなったのを空の転調で感じながら帰宅すると、台所から出汁を利かせた匂いが漂い鼻孔を撫でた。

 匂いに釣られて台所を近づくと、足音が聞こえたのか台所の開け放たれた引き戸からTシャツの上にエプロン姿の凛那が顔を覗かせる。

 俺の顔を見るなり嬉しそうに表情を緩めた。


「おかえり」

「ああ、ただいま。なんかいい匂いがするな」

「すまし汁作ってるの。引き戸開けてれば玄関まで匂いが飛ぶかな、と思ったけど成功したのね」

「わざとかよ。おかげで空きっ腹だ」

「食事にする? お風呂にする? それとも何か作ってくれる?」

「色気がないな。というか何か作るって俺に料理をして欲しい、と言う解釈でいいのか?」

「まだ汁物しか作ってないの。ご飯は炊いてあるから、主菜を作って」

「出来栄えは保証しないぞ。それでもいいか?」

「隣で作りながら見ててあげるから。副菜も用意しないといけないもの」

「それは頼りになる。それじゃ着替えてくるからちょっと待っててくれ」


 仕事帰りで疲弊してはいるが、凛那との時間を過ごせるのなら疲れなどどうということはない。

 部屋着にエプロンを付けて台所まで戻ると、凛那はすでに副菜の調理を始めていた。

 副菜は洗っただけのレタスとポテトサラダらしく、ジャガイモをすりこぎ棒を使いすり鉢の中で潰している。

 凛那は一旦手を止めて冷蔵庫を指した。


「自分で冷蔵庫の中を見て作るもの決めてね」

「わかった」


 言われた通り冷蔵庫の中を覗く。

 昼間に買い出しへ行ったのか、思ったよりも食材が揃ってはいるが料理の腕前を考えると使える食材も限られてくる。

 目玉焼きじゃ凛那の料理と比べて簡単すぎるし、今から揚げ物をやるには準備が少々面倒だ。

 鶏肉と豚肉両方とも解凍された状態で保存してあるから、これらを使っても良さそうかな?


「長い時間冷蔵庫を開けっぱなしにしないで」


 注意されて冷蔵庫を閉める。

 意見を求めるために凛那を振り向く。


「なあ、冷蔵庫にある肉は使っていいのか?」

「ご自由に。それで何を作ってくれるの、んっ」


 訊きながらすり鉢の中で力を入れてジャガイモを潰している。

 俺の頭にある料理を説明する。


「豚肉とニンジンをケチャップで絡めて炒めるやつ」

「いいんじゃない。美味しそうね」


 料理名が判然としなかったが、今の説明で凛那は理解できたらしい。

 俺の作るメニューが決まり、凛那はポテトサラダの調理に戻る。彼女の傍らで俺の方も調理を始めることにした。


「近くで見ててあげるから勝手に始めて」


 凛那はそう言うとすり鉢を持ったままテーブルに移動した。

 ポテトサラダを作りながら俺の調理を眺めるらしい。

 視線があると緊張するが、まあ先生だと思って気楽に捉えよう。

 背後からの視線を気にしながら不慣れな手つきで料理を進めること十数分。最後の炒める工程に入った時、凛那が椅子から不意に立ち上がった。

 俺の横まで来てすり鉢をシンクの横に置き、俺の顔を覗き込んでくる。


「なんだよ?」

「一人でもなんとか出来そうね」


 脈絡なく言って胸を撫で下ろしたように微笑んだ。

 一人でも出来る?

 どういう意図でそんなことを言ったのだろうか?


「なんとか出来るって何のことだ?」

「……当然、食事のことよ。あんまり手際が良いとは思わないけど自炊で生活できそうだから、そう言ったの」

「お前がいろいろ教えてくれたんだろ」


 以前から休日には手伝いと称して凛那から料理のイロハを教わっていた。

 今回はこれまでの教えを思い出しながら慎重に料理しているに過ぎない。

 俺の言葉を聞いた凛那が顔を覗き込むのをやめて、すり鉢を置いたまま椅子の方へ戻る。


「あとは味がどうなのか、ってところね。あまりにも不味かったら味の手直しするから。完成したら皿に盛ってテーブルに二人分出してね」

「ポテトサラダの方はいいのか?」


 調理台の上に置かれたままのすり鉢が気になって訊くと、手をひらひらと揺らした。


「おおよそ完成してるけど、手が疲れちゃって」

「ジャガイモを潰すんだろ。俺も後でやってみていいか?」


 並行作業をこなせるほど料理に慣れていないが、手が空いてからなら挑戦してみたい。

 俺の問いかけに凛那は喜色を示した。


「意欲的ね。それにちょっと優しい」

「これぐらいで優しいって言わないでくれ。手が痛いって言われたら無視するわけにもいかないだろ」


 照れ臭さは表に出さないように謙遜してみせる。

 こちらの誤魔化しを見抜いているかのように凛那は上目遣い気味に俺の顔を眺める。


「優しくされると甘えたくなっちゃうわね。たまに甘えてもいいかしら?」

「……ほどほどにな」


 断りづらく煮え切らない返事をしてしまった。

 喜色を浮かべた微笑みを保って凛那は口を動かす。


「あたしも女だから」

「は?」

「ちょっとお手洗い行ってくるわ」


 聞き返したこちらの声には答えず、凛那は台所を出て行った。

 あたしも女だから、とは?

 何を伝えたいのだろうか?

 凛那の発言の意味を推察しようとするも、焦げの匂いが鼻について考えるどころではなくなってしまった。


 しばらくして戻ってきた凛那に改めて聞き返すのは気が引けて、疑問を残したまま夕食となった。

 それでも少々炒め過ぎたが、凛那に合格を貰えたのは素直に嬉しかった。

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