凛那ルート 6-3
今枝航紀は満足していた。
春浜町から二つほど市を離れた街にあるなるみやホテルの支店のスイートルームで、今枝はガウン姿で妻の風呂上がりを待ちながらダブルベッドに座り二日間の足労を自身で労っている。
ビーチホテル開発部の部下と手分けして春浜の住人に対する質問の場を設けて、見込み通り一切として反対を示す者はいなかった。
徒党を組ませてはいけない。
今枝の懐柔戦略の一つに自身が打ち立てているこの信条が組み込まれている。
企業や政府が地方で事業を進捗させる場合、一般的には公民館や集会所などを借りて多人数に向けて説明会を開く。
だが今枝からしたらこの説明会こそ反対勢力を生み出しえる温床だ。
人間というのは自分の考えだけでは案外行動を起こせないもので、周りに同じ思想を持つ人間が多くいることを知り、初めて自分の考えが普通であることに安心と確信を覚えて行動を起こせるのだ。
だからこそ多大な苦労を承知で、今枝はアポなしの挨拶回りを部下と実行したのだ。
突然の訪問に住人は質問など用意していないだろうし、こちらとしても後々反対する者が出てきても、きちんと説明と反論の場は設けたと口実で武装できる。
今回の計画も上手くいく。
抜け目ない事業進行に今枝は我ながらほくそ笑む。
その時、バスルームの戸が開いた。
今枝が自賛をやめてバスルームの方へ目を向けると、彼の妻である美優がガウン一枚のしどけない姿で、水を含んだ髪の毛をタオルで撫でていた。
「航紀さん、何か考え事?」
グラスを揺らす今枝の姿を見て美優が尋ねる。
今枝は美優に笑いかけた。
「仕事のことを考えてただけだよ。美優が心配することは何もない」
「今回の事業が上手くいけば昇進するんだっけ?」
「すぐにというわけじゃないけどね。でも昇進理由の一つとして重大であることには違いない」
なるみやホテルは新社長に変わってからの十年、成果主義を標榜し実力ある若手が先輩を追い抜き続々と昇進している。今枝は昇進している若手の中でも最も将来を嘱望されている会社のホープだ。
彼ほどの昇進ペースはなるみやホテルでも異例だ。
「ほんとに航紀さんって凄いね」
改めて夫の辣腕に感服を示す美優に、今枝は照れたような笑みを返す。
「美優を幸せにするために内外問わずカッコいい夫で居続けたいからね。美優が自分と知り合ったことを後悔させたくはない」
「後悔なんてしないよ。それに私は今でもじゅうぶん幸せよ、航紀さん」
甘えたような眼差しで美優が言う。
今枝は唐突に美優に愛らしさを感じて表情を弛緩させる。
「そんなこと言われると今まで頑張ってきた甲斐がある。より一層美優のことを好きになってしまいそうだ」
「もう航紀さん。こんな時にまで好きって言わないで」
美優の方も満更ではなく頬を赤くする。
妻のくすぐったそうな反応に、今枝の愛欲が奔流し始める。
「……美優」
今枝が美優に歩み寄り、彼女の髪の毛に右手を挿し入れた。
ゆっくりと今枝の手が髪の毛を上り、頬まで来たところで美優の手がふわりと柔らかく被さる。
「なあに、航紀さん?」
「可愛いね、美優」
恍惚と囁くと動きを止めた右手で美優の頬を持つ。
「もう航紀さ、っ」
抵抗のポーズだけする美優の唇を上から覆いかぶさるように今枝は奪った。
舌まで入れてくる今枝に美優の方も言葉ほど逆らわず舌を触れ合わせ、濃厚な接吻を交わす。
互いに愛し合っていることを再確認してから、身体の芯が火照ってきたのを汐に今枝が唇を離した。
「もっと続けていい?」
「ええ。どうぞ」
口調だけは軽く答えた美優の腰に手を回し、抱き合いながらベッドに二人して倒れた。
そのまま絡まり合うようにして、今枝と美優は夜通し愛情を確かめ合った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます