第3話 二度目の自己紹介

「じゃあ改めまして自己紹介、私の名前は美咲です」


「……」


「ちょっと、翔也くんもちゃんと自己紹介してくれないかな?」


「いやもう名前知ってるじゃないですか」


 ダイニングテーブルで向かい合い、なぜか本日二度目の自己紹介を求めてくる相手に対して俺はぶっきらぼうにそう答えた。


「こういう礼儀作法は大事なことなの。そうじゃないと社会人になった時に苦労するよ?」


「それなら俺はまだ高校生なんで大丈夫ですね」


「もう、可愛くないなぁ」


 そう言って美咲はぷぅとわざとらしく頬を膨らませる。

 良い大人が何やってんだよと普通ならツッコむところなのかもしれないが、そんな表情もドキリとさせられてしまうのだから美人ってマジで怖い。


 そんなことを考えていたら、さっきまで拗ねたような顔をしていた美咲がけろりと表情を戻す。


「ところでさ、翔也くんって彼女とかいるの?」


「……はい?」


 急に予想だにしなかった質問が飛び出し、俺の頭が一瞬フリーズしてしまう。なぜにこのタイミングでそんな質問が出てくる?

 訝しむ表情で美咲のことを睨んでいたら、「だってさ」と相手が再び話しを続ける。


「もし翔也くんに彼女がいるなら先に挨拶した方が良いかなって思って。義姉とはいえいきなり知らない女の人が一緒に住んでたら彼女さんも気にするでしょ」


「これまでのやりとりでもっと気にすべきことがたくさんあったと思いますけど?」


 嫌味も込めてそんな至極真っ当なツッコミを返すも、こちらの意見は無視して「で、どうなの?」とやたら目を輝かせて聞いてくる相手。

 俺は呆れてため息を吐きつつ、隠すことでもないのではっきりと答えた。


「べつに彼女とかいないですけど」


「やっぱりか、それなら良かった!」


「なんかムカつく返答だなオイ」


 やっぱりかってどいうことだよ。と思わず言い返したくなったが、これ以上相手のペースに巻き込まれたくないのでここはぐっと堪えた。偉いぞ、俺。


 自分で自分のことを褒めて傷ついた心を一人慰めていたら、美咲は「これで心置きなくこの家に住めるってことだね」と意気揚々と意味不明なことを言っていた。

 そして彼女は椅子から立ち上がると部屋の中をぐるりと見渡す。


「ふむふむ、見たところリビングダイニングが12畳ぐらいの2LDKってところか。まだ高校生なのにずいぶんリッチなところで一人暮らししてるじゃん」


「あー、なんか親父の知り合いが貸してくれたみたいです」


 もともとは大阪の高校に通うと決めた時に学校の寮にでも入ろうかと思っていたのだが、「それなら俺が住むところを用意してやる!」と親父がやたらと張り切って見つけてきたのがこのマンションだった。


 まあ親父からすれば、今まで俺のことをろくに面倒も見ずにほったらかしにしていたのでその罪滅ぼしの意味もあったのかもしれないが。


「いいなーこんなマンションで一人暮らしとか。私が高校生の時なんて5畳の部屋を妹と二人で使ってたのに」


「え、ちょっと待って下さい。妹がいるんですか?」


 不意に出てきたワードに、俺は思わず美咲の顔を凝視した。


 なんてこった。義姉という爆弾どころかまだ背後にミサイルが潜んでいただと?


 ギョッとする俺とは対照的に、呑気な表情を浮かべる美咲が話しを続ける。


「いるっちゃいるんだけど、両親が離婚した時に父親に引き取られたから今はほとんど会ってないけどね」


「そうなんですね……」


 なるほど、どうやら複雑な家庭事情があるらしい。なのでここは深く突っ込まない方が身のためだろう。何なら今の会話そのものを記憶から抹消したい。


 そんなことを考えて現実逃避していたら、「よし決めたっ」と美咲の明るい声が俺の思考を断つ。


「じゃあ私はあそこの洋室の部屋を使わせてもらうからよろしくっ」


「よろしくっ、じゃないですよ。あそこはオレの部屋だからダメですって」


 人差し指で指さされた方向、廊下を出てすぐに左手にあるドアを示されて俺は慌てて拒否した。


「えー、だって間取り的にあそこの部屋の方がその隣の部屋より広そうだもん」


「そんな顔したって無理なものは無理だから諦めて下さい」


「むぅー、じゃあ翔也くんの隣の部屋で我慢してあげる」


「我慢って……」


 ほんと何なんだこの人は。しかもタチの悪いことに好き勝手なことを言ってるわりには全然嫌な感じがしないところが魔性っぽくて怖い。


 しかしこのままやりたい放題されると困った話しなので、このあたりでビジッと釘を刺しておくことにする。


「あのですね、本音を言えば隣の部屋を使われるのも嫌なんですからそれぐらい我慢して下さいよ」


 俺はわざとキツイ口調でそう言った。

 するとその効果は見事に……なかったようで、美咲は何故かニヤリとした意味深な笑みを浮かべる。


「心配しなくても君が一人でやらしいことしてる時は邪魔しないから。あ、でも私のこと勝手におかずにしたらダメだからね」


「いきなりなんちゅーこと言いやがるっ!」


 突然どストレート150キロ級の下ネタを投球してきた相手に向かって思わず叫んだ。


 そんな俺を見て、「冗談だよ」と美咲は腹立たしいことにケラケラと愉快げに笑っているではないか。

 くそっ、こうなったら俺も「あんたのほうこそ一人でする時に喘ぐなよ!」とか言い返してやろうか。……ってそんなこと言えるわけないだろ俺のバカやろうッ!


 危うく年上女性の不埒なシーンを妄想しそうになり、俺は慌てて首を振った。


「あははっ、翔也くん顔真っ赤だよ。まだまだウブだなぁ」


「くっ……」


 すでに社会人で経験豊富だからだろうか、ヒヨった俺とは違って余裕な態度でそんなことを言ってくる相手。


 挙げ句の果てに、「君と暮らすのは楽しくなりそうだ」と言いながら相変わらず楽しそうに笑っている美咲を見て、俺はこれから始まるであろうカオスな生活に頭を抱えるのだった。

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