#3

 しっかりと俺の手を握ったマークは「アランの未来に幸の多からんことを」と優しく微笑むと、静かにソファから立ち上がる。


 静かにスーツを整えた彼は日の輪にも似た金の髪を揺らして柔らかく手を振ると、俺もマークの真似をして手を上げた。


「じゃぁ、また後日」

「おう」


 彼の足音が遠ざかるのを聞きながら火力の弱まった暖炉を眺める俺は、ダグラスから聞いた男とマークから教えられた男の共通点を結ぶ。


 人身売買の帝王と裏社会を齧って殺された阿呆──現時点でその2人に共通点を見出すなら、双方が中華系の名を名乗っていることだろう。


 炉の女神は淡々と薪を炭から灰に蝕み、俺のぼんやりと彷徨う視線を惹きつける。永遠の処女を貫く代わりに、人の生活の中心点を譲り受けた彼女は、生半可な俺を嘲笑うように不規則に煌めく。


「……ン……おーい、アラン?」


 思考の海に沈む俺を呼ぶ声は酷く呑気なもので、俺はその適当さに怒るのを通り越して肩を震わせた。


「何がそんなに可笑しいのか……」


 呆れたご様子のジャックは暖気で曇った眼鏡を外し、子供のようなむくれ顔で俺を小さく詰る。


「悪い悪い、ちょっと考え事をしてたら、つい……2人とも無事に新年が迎えられて良かったな」

「たくっ……人の気も知らないで、なぁにが『良かったな』だよ。冗談抜きで、これ以上危険を犯すのはやめてくれ」


 俺への文句をぶつくさと垂れ流す彼は、白地に『M』の刺繍の入ったシンプルなハンカチで眼鏡を擦ると、細かな埃ひとつ許さないほど丁寧にレンズを拭き上げた。


「『M』ねぇ……」

「はぁ?」

「いや、刺繍のイニシャル。そのハンカチ、昔からよく使ってるのを見かけるから」


 流麗な筆記体で描かれた英字を指で空になぞった俺と視線がぶつかったジャックは、「あぁ」と低く答えつつ眼鏡を掛けて目を細める。


「マイク、マイケル、マーリック、マクベス、マクドナルド……パッと思い付くだけでも『M』から始まる人名は掃いて捨てるほど世の中存在するから、偽名によく使うんだよ。──ほら、こうやってハンカチに刻んであったら、まずは偽名だと疑わない」


 ヒラヒラと自慢するように広げられたハンカチに一瞬だけ目を移した俺は、弱まる暖炉に薪を焚べた。


「長い付き合いだが、たまにアンタのことがよく分からない時がある。俺達が知っているその名前も、本名じゃないんだろ?」

「随分とひん曲がった質問だ……僕と君の仲に『疑い』は不必要だと約束したじゃないか」

「……そう、だな」


 2人の間に深々と流れた静謐な空気は、パチリ……ッと暖炉の生贄が立てる音だけを響かせる。その空間で我が子を慈しむように俺を見つめるジャックは、「今日の本題を話そうか」とソファに腰を下ろした。

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