第45話 余韻、まだ抜けてないんですか?
「先輩、ライブに行ってからずっとあの様子ですよね……」
「しっかり者の五月くんがあそこまでなるのは異常だね」
ライブから数日後のバイト中。
テーブルを片付けている俺の後ろで、阿比留と店長のヒソヒソ話が聞こえてきた。
「ライブの余韻が抜けないんですよ多分」
「そんなにライブがよかったのかい?」
「最っ高でした」
「五月くん、もしかして隠れファンだったり?」
「ないですないです。ああなったのはライブ終わった後からでしたもん」
「だから俺が何だってんだ?」
ジーっとこちらを見つめてくる2人に俺は、半身振り返りながら言う。
昨日のバイトから、様子がおかしいとか、変とか言われるが全く自覚がない。
ライブが終わった後から気持ちがポワポワとしている気がするし、家でもボーっとしてしまうことが増えたが、バイトには支障をきたしてはいないはずだ。
「先輩、余韻に浸るのはせめてライブが終わってから寝るまでですよ」
はぁっとため息を吐く阿比留。
「余韻? 確かにライブが終わった後は体がジーンとした感じはあったが、翌日にはそんなのなくなってたぞ」
「気づいてないだけで、浸りまくりですよ」
「どこが」
「同じ机の同じ場所をかれこれ一時間も拭いている人が何を言ってるんですか」
「お前何言って――」
と、俺は手元を見るが、言葉が止まる。
目に映るのは、バイトに来てすぐに取り掛かったテーブル席の片付け。
食器を重ね、濡れ布巾でテーブルを拭いて、キッチンに食器を返却して、まだ次のテーブルへと移動……しているはずだったが……
「片付いてない」
食器は汚れたまま重ねられ、こぼれたコーヒーの雫は2、3滴拭かれていなかった。それに、手に持つ濡れ布巾はとっくに乾ききっていた。
「待って今何時」
壁に掛けられているアンティークの時計を見ると、時刻は夕方の7時15分。
バイトに来てから既に一時間以上も経過していた。
「ライブがよかったのは分かりますけど、先輩がそこまでどっぷりなるとは思いませんでしたよ私」
呆然としている俺にそう言いながら、テーブルにある食器を片付ける阿比留。
「多少ボーっとしている気がしたけど、まさかここまで重症だとは思ってなかった……」
「無自覚ですか怖っ。一番ヤバいタイプですよそれ」
「うん。ヤバいかもしれない」
「私でも翌朝にライブのセトリ通りに曲を聞いたくらいなのに、あのライブが先輩を虜にしたんですね。やっぱつきちゃんの力は偉大だ……」
虜にされた自覚はある。
あの時、数万人ものファンに囲まれながらも、俺につきちゃんウインクをしながら放った言葉、
「――君のことだよ」
ステージ上で照らされる渚さんにそう言われた時から、ライブが終わるまで正直記憶があまりない。
心に刺さって放心状態だったからな。
周りに一切目も暮れず、マイクから口を離し、俺に囁くような声で言う渚さんは、俺の虜にするくらいの可憐な笑顔で、星空のように煌めいていた。
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