第50話 オデオン座で見た男
翔馬が望洋亭に入って三か月経った。店主の風間悦子にも信頼されて、支配人になる日も近くなった。安定した収入も得られるようになって、凛々子に頼っていた家計のやりくりも楽になった。「凛々子にこれ以上負担をかけることはない」と思うと精神的にも落ち着いてきた。
「凛々子、今度の日曜日に映画でも見にいかない?」
「いいわね、行きましょうよ。久しぶりだわ」
「じゃあ寅さんかな」
「寅さんならテレビで見れるわよ、洋画にしようよ」
「洋画か、洋画ならオデオン座か、セントラル劇場だな、今何をやってるかな」
「今オデオン座で羊たちの沈黙を上映してるわよ、凄く話題になってるからこれにしましょうよ」
「羊たちの沈黙か、ちょっと怖い映画だろ、凛々子は怖いのは大丈夫なのか」
「大丈夫よ、翔馬の方が心配だわ」
ということで二人はこの年に封切りされて、話題になっていた羊たちの沈黙という映画を見に、オデオン座に入った。
さすがに話題の映画だけあって、オデオン座は満員であった。
映画が終わり、場内が明るくなった時、翔馬は一組の男女に気が付いた。
男性の方は人の陰で見えなかったけど、女性はプラスワン企画の社長の妹で、今はラセーヌのホステスの真知子だ。声をかけてみようかなと思った。
だけどデート中に声をかけるのも悪いな、と思い、オデオン座を出て笛園という喫茶店に入った。
「ねぇ翔馬、さっき誰かを見てたでしょ、あの二人は誰なの?」と凛々子は翔馬が真智子を見てたのを、分かってたようだ。
「プラスワン企画にいた人だよ、今はラセーヌにいるんだけどね」
「じゃあ、男の人はラセーヌのお客さんね、歳が離れてたから」と、翔馬より凛々子の方がしっかり見ていたようだ。
「凛々子、君は凄いね、あんなに沢山の人の中で、顔もはっきり見えるんだね」
「そりゃあそうよ、ニュー東宝の中はもっと暗いわよ、それでもちゃんと伝票の字も見えるからね」と自慢した後に、思い出した。
伝票の小さな字より、ずっと大きい字で名前を書いた花束を、パット・ブーンとバックコーラスのリンダに渡したことがあった。
「ねぇ翔馬、リンダと車の中で英語でしやべったのを覚えてるでしょ、私はパット・ブーンとリンダに花束を渡したのよ。その花束を贈った人の名前が乙川だったのよ。
翔馬は確か、『俺の本当の親父は乙川という人だ』って言ってたわね。その時、ひょっとしたら、花束を贈った人は翔馬のお父さんじゃないかと思ったわ」
「違うと思うよ、乙川なんて人はいっぱいいるからね」
「翔馬のお父さんの乙川ってどんな字なの」
「オトカワっていうことしか知らないな、花束の人はどんな字なの」
「乙女の乙よ」
「乙女の乙だって?じゃあうちのお客さんと同じだな。下の名前はなんていうの」
「西郷隆盛の隆よ」
「じゃあやっぱり花束の人とうちのお客さんは同じ人だよ。うちのお客さんも乙川隆だよ」
「じゃあ翔馬のお父さんじゃないの?」
「俺はけたくそ悪いから下の名前は聞いてないんだ、知ってるのは乙川ってことだけだよ」
「顔は知ってるんでしょ?」
「それが、顔も知らないんだ。函館の爺さんの家に来たことがあったけど、爺さんはアイツが大嫌いだから、すぐに追い帰してしまったからね」
「困ったわね…………そうだ、翔馬を釧路まで迎えに来た代議士の秘書の人がいたでしょ。あの人に聞いたらいいんじゃない?」
「あぁ、良一さんの奥さんの静香さんだね。あの人なら大丈夫かもね」
☆☆☆
翔馬が議員会館にある加治良一の事務所に電話をかけて、静香に乙川のフルネームを聞くと、静香は「乙川の下の名前は隆よ」と言った。
静香の返事で、花束の贈り主もオデオン座にいた男も、望洋帝に来た男も同じ人物で、翔馬の実の父親であることが確実となった。
それだけではなかった。凛々子がいるニュー東宝と、自分がいる望洋亭に来た男が実の父親と知って、「アイツは俺と凛々子に何をしようと企んでるのだな、ちくしょう乙川の奴め‼」と拳を握った翔馬に静香は「ちょっと待ってね」と言って代議士の加治良一に代わった。
良一は「翔馬君、それよりも君の名刺があっちこっちに出回ってるよ」と言った。
俺の名刺があっちこっちに?一体 何のことだ。
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