第48話 ラリルレロの人はいなかった

 雑用係を卒業した翔馬はいよいよ、支配人となる勉強の段階に入った。

 悦子さんは段ボールを取り出して「ここに入ってるのはこの店にお越しになったお客さんの名刺です。次に予約があった時、失礼がないように目を通しておいて下さい」と言った。


 段ボールを開いてみると中には、アイウエオ順に輪ゴムで束ねた名刺が入っていた。その一枚一枚に来店した時の日付が書いてあった。アの束の一番上には先週の日付で、安藤建設の安藤社長というのがあった。一番下を見ると、昭和25年4月1日 阿部材木店の阿部専務という名刺があった。


 どうやらこの店が開店した昭和25年から、先週までに来て、名刺を置いて行った頭にアが付く人の名刺のようだ。

 アの人の束だけで10センチ以上の厚さがあった。一番少ないのがへが付く人で、辺見さんという人が一人だけいた。

 あとは、ラリルレロが付く人はいなかった。


 とにかく全部広げたとすると、体育館の床がいっぱいになりそうな人数だ。

 これを一体どうしろってんだ。

「すみません、これをどうすればいいんでしょう」と言うと,

「先週までの分は私がパソコンに入力してありますので、翔馬さんがやるのは5枚くらいだと思います。だから2~3分くらいで終わると思います」と言って、アスキーという会社の「The Card」 というデータベースソフトの、画面を開いた。


 釧路工業高校ではパソコンは必須科目だったので、アスキーのデータベースくらいは知っていた。だけど、ここでアスキーと出会うとは思ってもみなかった。

 工業高校の卒業生らしく、会計の時に必要かと思って、計算尺をポケットに入れていたが、レジスターはおつりの計算もやってくれる電子式になっていた。

 計算尺どころか電卓さえも要らなかった。


 俺は時代遅れなのかな、とつくづく思った。

 とにかく、悦子さんが一週間で貰った名刺のデータをアスキーのデータベース、

The Card に入力することにした。


 最初は浅川工業の浅川社長で、二枚目は会田商事の会田社長だった。アの名刺はここまでで、オの名刺は3枚あった。最初は及川さん。二枚目は小川さんで、最後の一枚は、道東森林開発顧問の乙川さんという人だった。


 とにかくこれで今日の仕事は終了した。

「お疲れさまでした。そろそろ帰りましょうか」となって店を出ようとしたら、「リリーン」と電話が鳴った。


「はい、望洋亭でございます」と言うと「あんたらね、私と凛々子を置いて、二人だけで帰るつもりだろ、許さんぞ、迎えに来い!」と言うと「ガチャン」と切れた。

 悦子さんは何も言わなくても分かったようで「汐未さんと凛々子さんが待ってるんでしょ、急ぎましよ」と言うことになって、キャデラック ドゥビル で、ニュー東宝に向かった。


 ところが店の前に二人はいなかった。変だなと思ってキョロキョロしていると、「おーい、ここだ」と言う声がして、振り返ると汐未さんと凛々子の他に外国人の女の人がいた。

その人は翔馬の隣に乗り込んできて、ニコニコと笑って「ヘィショウマ」と言って握手を求めてきた。


すると汐未さんが「この子はね、明日から二日間、ニュー東宝に出演するパット・ブーンのバックコーラスのリンダだよ。今日練習中に友だちになっちゃって、あんたに紹介しようと思ってさ」というと、彼女は「メアゥスクヨアネィゥ」と、言った。


ん?この人は今、なんて言ったんだ?と、翔馬にはリンダが言った言葉の意味が、全く分からなかった。凛々子は分かっていたようでニタニタと笑っていた。ちくしょう凛々子のヤツめ、と思ったけど、分からいのだからしょうがない。すると後ろで聞いていた悦子さんが「リンダさんは翔馬さんの名前を聞いたのよ」と言った。

何のことはない。リンダは「May I ask your name」と言ったのだった。

こうして翔馬には英語耳を作る課題が課せられた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る