第46話 三人のモデルのカレンダー

プラスワン企画の業績は低迷し、翔馬の収入はほぼなくなった。凛々子の稼ぎのほとんどは、翔馬との生活費に充てられた。贅沢な暮らしは望むべくもなく、生きるのが精一杯にまで落ち込んだ。英語を勉強して、汐未のように生きようと決意した凛々子だったが、英会話教室に通う費用の捻出に苦慮することになった。


凛々子は毎日休みもとらずに出店した。時給は1,500円から1,800円にアップした。

偶にはチップも入る。だがその金はアッという間に消えていった。何しろホステス

は、衣装代、化粧品代、美容室代など、一般のOLや主婦などとは、比較にならないほど金がかかる。


ある日「凛々子、ちょっとこっちへおいおいで」と、汐未に呼ばれたた。

いつもちょっとおっさんぽい汐未の言い方が、今日は特別におっさん臭かった。


汐未は「凛々子、あんた、金に困っるんだろ」と、言った。

弱みは見せたくなかったけど「はい」と、答えるしかなかった。


「あんた、男がいるんだろ、何をやってる男なんだ」と、言われ「モデルです」と、言うと「モデルか、しょうもない男を持ってんだな、そんな男なんかとは別れっちまえ!」と、あっさりと言った。

「でも…………」

「分かってるよ、別れられないんだろ。じゃあ明日、二人でここへいって、風間悦子という人がいるから会ってみな」と言って、望洋亭というレストランの燐寸を出した。


「あのぅ、この人はどんな人ですか?」と言うと「行ったら分るよ」と素気なく言われた。


望洋亭は釧路西港が見えるビルの5階にあった。古めかしいビルで、エレベーターのドア―は鉄の格子になっていて、行先階を示す表示が電光ではなく、1から5までの数字が付いた半円形の鉄の板の上を「カチャッ、カチャッ」と針が動いていた。


エレベーターを降りると、そこは店の中になっていて、白いクロースを掛けた丸いテーブルが20個くらいあった、天井からクリスタルガラスのシャンデリアが下がっていて、正面の窓から釧路港が見えた。

二人が着いた時間は午前11時頃だったが、時間が早かったのだろうか、客はまだいなかった。


凛々子が「ごめん下さい」と言うと、奥から「はーぃ」と言って女の人が出てきた。

「はーぃ」という返事からすると、客でないことを承知しているように感じた。


その人は「汐未ちゃんの知り合いの人だね、私が風間だよ」と言って、事務所に招き入れた。するとその人は壁を指さして、「これが私で、これがあんただよ」と言った。


そこには紳士服のマルタミのポスターが三枚貼られていた。一枚は初代のマルタミの社長で、二枚目は男装の麗人といわれた拳銃を持った二代目の女性で、三枚目が翔馬のポスターだった。


その人は「驚いたでしょ、こんなところに自分のポスターがあって」と言って、机の引き出しから、古いカレンダーとワルサーP38という拳銃のモデルガンを出して「この拳銃を持ってこのカレンダーの写真を撮ったのよ。1月と2月がこの店の中で、それから毎月いろんなとこで撮ったわ。最後の12月は幣舞橋の上で霧の夜だったわ」と言った。

1月は確かにこのレストランの中で、2月はエレベーターの鉄格子が写っていた。


「そうそう、あなた達に来てもらったのは別の話だったわね、うちの店は支配人を探してたのよ。そしたら同級生だった徳子が『汐未さんが連れて来た凛々子さんの彼氏はどお?」と言ったので、会ってみようと思ったのよ」と言った。


「徳子さんって、伊吹のママの徳子さんですか?」

「そうよ、徳子と私は釧路教育大学の同級生で、机を並べて英語を勉強してたのよ。徳子はその後、助手から准教授にまでなったけど、あの事件で辞めちゃったのよ。

私は汐未さんと会った時、不思議な感じがしたわ。私よりずっと若いのに、この人みたいに生きたい、と思ったわ」


この人みたいに生きたい、と思ったのは凛々子も全く同じだった。汐未の前に立つと全てが見透かされているようで、隠すことが出来なくなるのだ。徳子さんもこの人もきっと、汐未には本当の姿を見せているのだろう。


その汐未が「凛々子の彼氏だから大丈夫だよ」と言ってくれたのだろうか。

「すみません、僕は凛々子から話を聞いているだけで、汐未さんとまだ会ったことがありません。それでも僕を支配人にしてくれるのですか」と翔馬が言うと「マルタミから送られて来たあなたのポスターを見た時、思ったわよ。この人を三代目に選んだのは間違いじゃないってね。

そしたら、それが汐未さんが見込んだ凛々子さんの彼氏だと知って、その偶然に驚いたわ」


そうだったのか、汐未は凛々子を信頼できると見抜き、その彼氏の翔馬もきっと信頼できると信じて、徳子の同級生に紹介したのだ。全ては会ったことはなくても、汐未と繋がる輪の中で生まれた出会いであった。


「もう一度お聞きします。僕がこの店の支配人になれるのですか」

「私の主人の風間徹は優れた調理師でしたが去年亡くなりました。あなたには先ず、見習いから始めてもらいたいます。調理師の免許を取ってから、フロアを経験してもらい、支配人を経て、将来は店主になってもらいたいと思っています。それでもよろしいでしょうか」

いいも悪いもない「よろしくお願いいたします」と、深く頭を下げた。


「お願いするのはこちらの方よ」と言った後「凛々子さんは英語を勉強したいそうですね。英語を覚えるには家でも外でも、英語に浸かっていることが大切です。

凛々子さんは汐未さんから離れないで下さい。私は翔馬さんに教えます。そして家でも二人でなるべく英語で話すようにして下さい。そうしたら必ず覚えられます」


かくて、翔馬は望洋亭の支配人を目指すこととなった。


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