第45話 朝礼の後  

 ニュー東宝の朝礼は6時に始まる。店長とチーフマネージャーの菅井が大体5分くらい話をして終わるのだが、この5分間一番前に立って、真面目な顔で話を聞くのが由香里と明美と令子の三人だ。


 店長とマネージャーがいる時は、いかにもしっかり聞いていますといった顔をしているが、朝礼が終わった途端に豹変する。由香里は客席にデンと座ってサンドイッチを食べ始める。パンの屑を床にポロポロ落としても拾いもしない。掃除をするボーイはいい迷惑だ。


 明美は客席で着替えを始める「もうすぐお客さんが来ます。着替えはロッカー室でお願いします」なんて言ったら最後、火山が噴火したように怒りだす。


 令子は鏡に向かって壁塗りを始める。フアンデーション、メイクアップとたっぷり時間をかけて、仕上がったら今度は合わせ鏡で角度を変えて、隅から隅まで確認する。そこまで辿り付くまでに1時間以上かける。5面ある鏡のうち1面は、令子の独り占めだ。他の人はどこで壁を直すのだ。本当にいい迷惑だ。


 7時になった。お客さんが入ってきた。令子の名演技が始まる。

 お客さんの肩にしな垂れかかり「私も頂いていいかしら」と甘ったるい声で囁くように言う。

「おう、これを飲めよ」と、お客さんがビール瓶を持つと「私、カクテルがいいわ。ね、いいでしょ」と言う。これで二千円のカクテル代の半分の千円が令子の懐に入る。


 お客さんが帰って、令子が控え室に戻ってきた。運悪く凛々子がそこにいた。

 令子はさっきとはガラリと変わり、仁王さまのような顔で「あんた昨日、伊吹に行ったでしょ。分かってんだよ」と言った。どうやらジェーンと汐未の三人で、伊吹に行ったのが見られていたようだ。だが伊吹に行ったことがなぜ悪いのだろう。

 全く意味不明だ。

 それにしてもこの鮮やかな表情の変り方。見事という他はない。まるでカメレオンのようだ。


 令子の嫌味を聞かされているところに、明美が戻ってきた。すると令子が席を立ち、そそくさと出て行った。

 令子がいなくなったのを確認すると明美は「凛々子ちゃん、仕事には慣れた?分からないことがあったら何でも聞いてね」と、気持ちが悪くなるほど優しいお姉さんになっていた。


 どうやらこの二人は、仲が良くないようだ。そういえば、明美と令子のどっちかがいる時に、由香里は来たことがない。なるほど、この三人は似たもの同士だけど、本当はライバル関係で仲が悪いのかも知れない。明美が自分にちょっとだけ、優しそうなことを言ったのは、自分の子分を増やそうとしているのだな。としたら、令子と由香里もこれから優しいお姉さんに変身して、甘い誘惑を仕掛けて来るかも知れない。危ない、危ない、あんな人たちの子分にされてしまったら大変だ、用心しなくちゃ。


 そんなことを考えていると、汐未が入ってきた。すると明美は「すみません」と言ってペコリと頭を下げてそそくさと控え室を出て行った。

 あの明美が頭を下げるとは、この汐未という人はやっぱり只者でない。昨日感じた通リ普通の人とは何かが違う。付いていくならやっぱりこの人だと思った。


 そこで昨日伊吹に行った時、ちょっとだけ不思議に思っていたことを聞いてみた。

「汐未さんは中学校を卒業してすぐ、ホステスになったと言いましたね、英語はどこで習ったのですか?」すると汐未は、


「私は金沢という教育実習生に強姦されたと言ったわね。金沢は共栄中学にいた時は、英語を教えてたのよ。だから私は金沢と同じ土俵で勝負しようと思って、英語を勉強しようと思っていた時に、徳子さんがやってきて「私が英語を教えた金沢があなたにあんなひどいことをしてしまい、本当に申し訳ありません。私は責任を取って大学を辞任いたしましたが、他に私にできることがありましたら何でもいたします。

どうぞおっしゃって下さい」と言ったので「じゃあ私に英語を教えて下さい」と言ったんだよ。

 徳子さんに習った後は、ニュー東宝に出演する外国人歌手を片っ端から捉まえて、英会話の猛勉強だよ。カーペンターズのカレンともしゃべったよ。だから会話だけなら誰にも負けないよ」

 そうだったのか、どうりで汐未さんも徳子さんも英語が出来るわけだ。


 そうか英語か、私もやってみようかな。璃々子の中に英語への意欲が湧いてきた。
















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