第39話 ハッセルブラッドで10時間

 翔馬が所属することになった事務所は、プラスワン企画という会社であった。

 この会社の代表は篠田涼子という人で、彼女が翔馬のマネージャーも兼ねることとなった。プラスワン企画は、篠田涼子と妹の三田敦子と近藤真智子の三姉妹で経営していて、敦子と真知子もそれぞれ他のモデルのマネージャーであった。


他に社員は涼子の娘の由紀がいた。他に可乃子がアドバイザーという形で営業関係を担当していた。

つまり女だけの、こぢんまりとした会社である。業務は主にテレビCMの企画で、撮影や編集はイージープロという会社に委託していた。翔馬が住むことになった部屋は、イージープロが所有するビルの中にあった。そのビルは1階と2階がスタジオで、3階が撮影スタッフや、モデルの休憩所であった。


 3階には休憩となっている大広間の他、6畳の部屋が二つあって、その一つを翔馬が使用することになった。6畳の部屋は本来はモデルの着替え用で、居住するために作った部屋ではない。

そこを可乃子がイージープロと折衝してくれて、住めることになった。家賃は3,000円で半分はプラスワン企画が払ってくれるので、6畳という狭い部屋ではあるが、わずか1,500円で住むこととなった。


 翔馬に与えられた最初の仕事はテレビではなく、「紳士服のマルタミ」という店のポスターと冊子の写真であった。

 マネージャーの涼子さんは「ポスターは貼ったままなので、人気があるモデルのポスターは盗まれることがあるのよ、あんたも頑張ってカネボウの夏目雅子さんみたいに、ポスターを盗まれるモデルになりなさい、だけど女を盗んじゃダメですよ」と言った。意味はよく分かんなかったけど「はい、盗みません」と答えておいた。


 何はともあれ、翌日の午後からマルタミのポスターの撮影が行われた。ポスターそのものの写真は、ハッセルブラッドというカメラにフジクロームベルビアというフィルムを詰めて、10時間かけて撮影が行われた。その後は、キャノンF1 というカメラで冊子用の写真を5時間かけて撮影が行われた。


 終わった時は翌日の夜になっていた。アイスホッケーの試合は20分×3ピリオドで、間に15紛の休憩があるので合計90分である。ポスターの撮影はなんと、アイスホッケーの試合の10倍の長さであった。ポスターの撮影くらい、ただ突っ立ってればいいと思ってたけど、実際は結構大変な仕事であった。


 撮影が終わった後、凛々子に電話をすると、何も言わないうちに「待っていてすぐ行くわ」と言って、自転車を漕いでたった5分でスタジオにやって来た。

 マネージャーの涼子さんは「あんた達って本当に速いわね」と言った。


 凛々子が来たのが速いと言ったのか、翔馬が手を付けるのが速いと言ったのか、よく分かんないけどその後涼子さんは翔馬と凛々子を、娘々という中華料理店に連れて行ってくれた。

 娘々の杏仁豆腐をツルッと飲み込むと、胸につかえていたモヤモヤが全部、どこかへ消えていくような気がした。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る