第32話 涙の再会

「もしもし乙川だけど、大河内君を出してくれないか」と、行方不明になっていた乙川から、議員会館の事務所に電話があった。

「えっ、お っ乙川先生ですか?」


「俺は乙川だけど、君はだれかね?」

「はい…私は木村です……」


「あぁー事務局の木村さんか、で、君がどうしてそこにいるの?」

「先生がお帰りにならないので、留守番をしていました」


「俺には秘書が10人いるから、君が来てくれなくてもいいと思うけど、どうして君がそこにいるのかな」


 乙川が行方不明になってから10人いる秘書たちは、事務所の中から拳銃が発見されたことで、全員が警察で事情聴取を受けていた。大河内は「乙川を殺してやる!」と言って出ていった。誰もいなくなってしまった乙川の事務所は、乙川が所属する、社会国民党の職員の木村が留守番をしていた。


「俺は今、函館から羽田に着いて、大河内君に迎えに来てもらいたいと思って電話したんだけど、誰もいないんじゃしょうがないな、タクシーで帰るとするか」


 ということで、乙川は党も警察も「乙川がいなくなってしまった、死んでしまったの知か!」と、大騒ぎになってるのも知らぬげに、平然とした顔でノコノコと、議員会館の事務所に帰ってきた。


 その翌日「あれっ? 他のヤツらはどうしたんだ、誰もいねぇな。有給休暇か?」と、言って大河内が帰ってきた。

「乙川のクソ野郎をぶっ殺してやる!」と言って、事務所を飛び出していったのは、一体、誰だったかな。


 翌日には事情聴取を受けていた秘書たちも、発見された拳銃の所有者が曖昧で、無事に釈放された。

 こうして、大騒動を起こした乙川と、乙川の事務所は何事もなかったように、通常業務に戻った。


 だが乙川は、函館にいた三日間の間にとんでもないことをしでかしてくれた。


 乙川は「法事がある」と言って秘書たちを騙し、「自分で車を運転して羽田へ行く」と見せかけて、ホテルの駐車場に車を置きっぱなしにして、大河内を騙して函館に行った。


 その函館で加治良助の家に行って「俺の孫だ、翔馬を返せ!」と怒鳴りまくった。

 恐れをなして房子はホテルに籠り、翔馬は家出をしてしまった。

 房子は乙川が東京行きの飛行機が、湯の川の函館空港を離陸したのを確認した後、加治邸に戻った。だが翔馬は、あの傲慢な乙川が自分の父親だと知って、「こんな家になんか、帰るもんか!」と言って飛び出して行った。


 元はと言えば、翔馬は乙川が房子を手籠めにした結果生まれた子だ。こんな男が父親だと名乗って出てきた時の翔馬の気持ちは、いったいどんなものだったのか、想像するに難くない。


☆☆☆


「もしもし、凛々子ちゃん。俺、翔馬だけど」

「えっ、翔馬さん?本当に翔馬さんなの?」と、一瞬凛々子は耳を疑った。釧路駅で無理やり引き裂かれて別れて以来、凛々子と翔馬は会うことも話すことも許されないまま三か月が過ぎていた。


「今どこにいるの?」

「釧路駅だけど」


「釧路駅ね、待っててすぐ行くわ」と言って「こんな時間にどこへ行くの?」と、いぶかる母を振り切って釧路駅に向かった。


「凛々子ちゃん!」 「翔馬さん!」会いたかった………と、あとは声にならず、

 溢れる涙を流れに任せ、ただしっかり抱き合った。あぁこの胸の鼓動、この感触。翔馬に抱かれているのが伝わってきて、夢でないことを確かめた。


「釧路にいつまでいれるの?」と、恐る恐る聞いてみた。

 もし「明日帰る」と言われたらどうしようと思うと、返事を聞くのが怖かった。


「ずーっといるよ」

 と、言われて「本当‼、本当なのね!」と、飛び上がりたいような気持になった。


「ただ……」

「ただって、どうしたの?」


「今日、泊まるとこがないんだよ………」


 翔馬が住んでいた鳥取の家はもう解約していた。母と二人だけで育った翔馬が頼れるのは凛々子だけだった。


「いいわ、二人でどこかで泊まりましょ」

と、頬に翔馬の息を感じながら、北大通リを歩いた。


 目の前に霧に隠れていた銀色の豪華客船が見えてきた。ここは5年前の氷祭りの日、翔馬が抱きしめてくれた思い出の場所だった。

 その先に小さく、港旅館と書かれた看板が見えた。

 中に入ると中年の女性が現れて、「いらっしゃいませ、お泊まりですね。こちらへどうぞ」と言って「霧笛」という部屋に案内された。小さな部屋だったけど、綺麗な花が生けてあった。布団が一つだけ敷いてあった……そしてその日、二人は結ばれた。

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