第29話 米町の白い洋館
翔馬は函館に行ってしまった。凛々子が翔馬に貰ったテレホンカードには、使用済みの穴がいっぱい空いて、もう使えなくなっていた。家の電話で掛けてみたが「お掛けになった電話番号は只今使われていません」と、自動音声が聞こえるだけだった。きっと犯人から掛かってこないように電話番号を変えたのだろう。
翔馬の手に触れたものは、使用済のテレホンカードしかない。凛々子はこの十条製紙アイスホッケーチームの優勝記念テレカをお守りにした。この翔馬の手に触れたテレカが自分を守ってくれる。そしていつかはきっと、このお守りが翔馬と再会させてくれる。と信じてそっと財布に収めた。
その日、倫太郎宛に一通の封書が送られて来た。差出人の名前はなく、投函場所は千代田区となっていた。中には7,8m/m口径の弾丸が入っていた。家の玄関に撃ち込まれたのと同じ口径で、今度は線条痕がない未使用の弾丸であった。脅迫文等は入っていなかった。ただ弾丸は伊勢丹デパートの包装紙に包まれていた。
投函場所と、伊勢丹デパートから見て、差出人は東京に住んでいるか、滞在した者と考えられる。
倫太郎はこの弾丸を来た時のまま、封筒と伊勢丹デパートの包装紙に包んで警察に届けた後㋥佐々木の事務所に出社した。
「倫太郎、お前の家にピストルが撃ち込まれたんだってな、犯人は分かったのか」と、鉄北センターのきみちゃんで焼酎をへべれけになるまで飲んで以来、親友となった甚弥が言った。
「ところがそれだけじゃないんだ。昨日東京から弾丸が送られてきて、俺は犯人は〆一組の誰かだと思ってたんだけど、どうも見当違いだったみたいだな。
「それならよ、家に女だけ残しといたら危ないだろ、どっかに隠した方がいいんじゃないか」
「俺もそう思ってるんだけど、どっかいいとこはないかな」
「おぅ、それならうちの親父んとこはどうだ、あの家はホテルみたいに広いのに、警備員が見回ってるのと。コックが来るだけで。実際に住んでるのは親父一人だ。もったいないったらありゃしない」
「親父っていうのはうちの社長のことか?」
「そうだ、お前は米町の洋館に行っただろ」
そうだった、㋥佐々木に入社した時、最初に面接したのは米町に住む、佐々木勝也だった。
「そのとき気が付かなかったか?」と甚弥に言われた。
「ん?何のことかな」
「あの家の応接間に洞爺丸の模型が飾ってあっただろ。死んだ奥さんと娘の写真もあったはずだ」
倫太郎はハッとした。あのとき、佐々木勝也は「洞爺丸はあんたが作ったのかい。」」と言った。そのときは「いいえ、洞爺丸は私が子どものころに台風15号で沈没しています」と答えた。
そのとき勝也は「あはは、そうだったね、忘れてたよ、俺は2回乗ったけどいい船だったね」と他人事のように言って笑っていた。
今になって考えると、あのときはのんびりとした世間話をしているように思ったが、実は佐々木勝也は洞爺丸の事故で、奥さんと娘を亡くしていたのだ。それほどに重い出来事を、自分はなんと軽く受け止めてしまったのか。
しかも洞爺丸の事故では1,200人もの人が亡くなっている。タイタニック号に次いで歴史上、2番目の大海難事故だ。
それに自分も洞爺丸と同じ函館の人間だ。そんなに軽々しく扱えるものではない。
それに気が付かなかった自分が何とも哀れな人間に思えてきた。
「おい、何をぼやっとしてるんだ、昔のことを悔やんでもしょうがないだろ。
死んでしまった人間より、今生きている人間がどうやって生きるかを考える方が大事だろ」と、甚弥は言った。甚弥は自分が考えていたことを見抜いていた。自分より10歳も若い男だが、渡ってきた世界は自分よりずっと過酷だったに違いない。
「親父の家は100年以上前に作られたが、昭和天皇も休憩なさったことがある由緒ある建物だ。部屋数は10以上あるし、掃除も大変だ。お前の母ちゃんと娘が来てくれたら、親父も喜ぶだろうな。どうだあの家に住んでやってくれないか」と、こっちからお願いするところなのに、逆にお願いされてしまった。
親父のためとかなんとかもあるけれど、今は妻と娘を守ることが大切だ。
倫太郎は今のまま浦見町にいて、妻の登美子と娘の凛々子は当面の間、米町の佐々木邸に同居することとなった。
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