第21話 あなたは見るに堪えられますか  

「凛々子ちゃん泣かないでよ、僕は函館には行かないよ」

「本当なのね」


「本当だよ」と言って翔馬は優しく抱きしめてくれた。翔馬の胸の鼓動が伝わってきて、このまま眠ってしまうことが出来たなら、どんなに幸せかと思った。

「大丈夫だよ、僕は君を離さないからね…………」と、二人は唇を重ねた。


 この人を信じよう。この人とならどんなことにでも耐えられる。と心から思った。


 一時の静寂が過ぎ「もし、釧路を離れることになったとしたら、そのときは二人でどこかへ行こうよ」


「それはダメよ、翔馬さんは十條製紙のスターになるのよ。釧路を離れちゃダメなのよ」


 翔馬は小学校、中学校時代から注目を集める選手だった。

 翔馬と同じ鳥取小学校、鳥取中学校、釧路工業高校と進んで、日本を代表するフォワードとなった引木◯夫選手は釧路工業高校を卒業後、十条製紙アイスホッケーチームの最大のライバルである苫小牧の、王子製紙アイスホッケーチームに入団した。

引木選手を失った鳥取町は、次代のエースフォア―ド候補として、翔馬に期待するようになった。地元の期待を一身に背負うこととなった翔馬は、釧路を離れることを許されない選手であった。


「分かったよ、凛々子ちゃん。僕は必ず十条製紙アイスホッケーチームの9番になるよ」」

「約束してね、私はどこまでも付いていくわ」と二人は固い約束を交わした。


 ☆☆☆


 今日も倫太郎は履歴書を持って会社回りを続けていた。キワミチ水産の代表の座を辞してから、もう何件回ったことだろう。だが新卒ならいざ知らず。倫太郎ももう45歳。どこの会社でも採用の枠は決まっている、中年となった倫太郎を迎えてくれる会社はどこにもなかった。思えば、函館、室蘭、苫小牧と流れて釧路にやってきた。


 そして元は漁師の飯場だった家を借りて、貧しい暮らしをしていたころ凛々子が生まれた。あれから15年。凛々子は中学3年生になった。半年後には高校受験を控えている。何としても仕事を見つけなければ、と、必死になった。

だが年齢に加えて、〆一組の関連企業の元代表という黒い肩書が邪魔をした。


 ある日、12年前極道水産を紹介してくれた可乃子という人から知らせがあった。可乃子は妻、登美子の友人で、函館時代に別れた房子の子どもを探していた時、卒業アルバムを見せてもらった人である、

 可乃子はややお節介なおばさんといわれているが、今回もある会社の情報を持って来た。


 その会社は合資会社㋥佐々木といい、佐々木勝也という人が代表を務めていた。

 勝也本人の弁によれば、この会社は清水次郎長の流れを汲む組織で、表向きの事業は不動産屋であるが、実態は零細企業を相手とする闇の高利貸であった。

 見方によっては〆一組と似たような部分もあるが、裁判沙汰にならない巧妙さを持っていて、20人いる社員の中で一人を除いて、警察のお世話になったことがない。


 倫太郎は履歴書を持って、米町にある佐々木勝也の自宅を訪れた。

 ㋥佐々木の事務所は末広町にあるが、勝也は自宅から電話で仕事の指示を出していた。

 倫太郎は佐々木勝也と会ったとき、予想とまるで違うので驚いた。〆一組の黒埼とは正反対で、柔和な表情で倫太郎に「あんた船を作ってたんだね、洞爺丸はあんたが作ったのかい」と聞かれた。

「いいえ洞爺丸は私が小学生のころに台風15号で沈没しています」と答えると「ああそうだったね、あの船には2回乗ったことがあるけど、いい船だったね」と何とものんびりとした話で終始した


 帰りしなになって勝也に「あとは事務所に行って湯山と相談して下さい」と言われ、その足で末広町の㋥佐々木の事務所に行き、勝也が言った湯山という人の面接を受けることになった。


 湯山という人のフルネームは湯山甚弥といって、㋥佐々木の中では唯一人、前科を持つ人であった。歳は30代後半で、いかにも高利貸の取り立て屋といった感じがする人であった。

 湯山は倫太郎を前にして「これから毎日、見るに堪えないほど辛い現場を見ることになりますが、あんたは耐えられますか。3日耐えられたら立派なものですよ」と言った。


 見るに堪えないほど辛い現場とは多分、厳しい借金の取り立てに、悩み苦しんだ末に、自ら命を絶つ人たちのことだろうと想像できた。こういう現場を平然と見ていれる人は多分、少ないだろう。

 だが今はどんな苦しみにも耐えなければならないのだ。

「がんばります。よろしくお願いいたします」と深々と頭を下げて、倫太郎は㋥佐々木に入社することとなった。


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