第19話 テレカの穴と勝利の女神
待ちに待ったその日がやって来た。今日は凛々子と翔馬が会う約束をした日曜日だ。
凛々子は鏡に向い、小遣で買った安い口紅を塗ってじっと自分の顔を見た。
「この顔で大丈夫かな……うーんもう一つかな…」と考えていると少し不安になってきて、母の化粧台から失敬してピンクの口紅に塗り直した。
10時ころバスに乗って釧路駅に向かった。幣舞橋を渡るとすぐ左側に建設中の建物が見えた。この建物は7月に開業予定のフイッシャーマンズMOOという観光施設で、この奥が冬になると氷祭りの会場になる。もう少し走ると右側に丸三鶴屋デパートが見えてきた。このデパートの屋上で氷祭りの会場を眺めて、幼いころの話を語りあったのが翔馬と出会った日だった。
釧路駅に着くと時間はまだ10時で、約束の正午まではたっぷり時間があった。
だけど翔馬と会うのが待ち遠しくて、10時30分発の電車に乗ってしまった。
待ち合わせをした新富士駅に着いた時は10時45分くらいだった。
ちょうど下リの特急スーパーおおぞらが到着した時間と重なって、ぞろぞろと沢山の人が降りてきた。
その中に真っ白いスーツを着たちょっと格好いい女性がいた。その人は改札口を出ると、駅前の喫茶店に入っていった。
するとそのあとすぐに、翔馬が喫茶店に入っていくのが見えた。
えっ、どうして?私と待ち合わせしたんじゃなかったの?と、信じられない気持ちになった。それからしばらくして二人が出てくると、女の人はタクシーに乗り、翔馬は凛々子を見つけると「やぁ」と言って手を上げて歩いてきた。
「今の人は誰?」と聞くと、「あの人は加治良一という代議士の奥さんで、加治静香さんという人だよ。詳しいことは家に着いてから話すよ」と言って歩きだした。
並んで歩いていると翔馬は凛々子より、頭一つ以上背が高かった。
少し行くと左手に十条製紙釧路工場が見えてきた。
翔馬は「ここのアイスホッケーチームには僕の先輩が何人もいて「お前もうちに来い」と言われてるんだけど、どうなるかな…………」と言って、工場の煙突から出る白い煙を見ていた。なぜだろうか、その時の翔馬は少し寂しげに見えた。
工場を過ぎて、少し歩いて鳥取大通りという幹線通リに出ると「この先に僕の母が働いているスーパーがあるから寄っていこうよ」と言って十条サービスセンターというスーパーに入った。翔馬のお母さんに会うのかと思って「今はまだ心の準備ができていません」というと「アハハ」と笑って「買い物をするだけだよ」と言って、おにぎりとポテトチップスを買った後、サービスカウンターで「この前、君が電話をくれたとき、テレホンカードが切れちゃったね、君には電車賃を使わせてしまったので、ここは僕が出すから好きなデザインを選んでよ」と言った。
「じゃあこれにするわ」と言って、キタキツネの絵柄のカードを選ぶと「それは500円のカードだよ、もっと高いのでもいいよ」と言った。
「でもこれで十分よ」と言うと「じゃあ僕が少し使ったけど、これをあげるよ」と、ポケットから出したカードは、十条製紙アイスホッケーチームが去年全国制覇を達成した記念カードで、使用した度数を示す穴が1個だけ空いた2,000円のカードだった。
2,000円のテレホンカードで話せる時間は約33時間なので「じゃあこのカードで毎日1時間話しても1ゕ月は使えるわね、だから毎日掛けるわ」と言うと「このカードは試合のとき、『穴が増えるように得点が増えますように』と願かけをして、持っていたものなので、ジャンジャン使って穴を増やしてよ」と言ったので「うん,毎日掛けて穴を増やすわね」と言うと「穴が増えて僕の得点が増えればチームの勝利数も増えるので、そうなったら君は勝利の女神ってことだね」
「えっ、私が女神なの」と言うと「釧路工業高校には女子はいないので、江南高校のようなチアガールがいないんだよ、でも君が見に来てくれた時は全部勝ったので、君は一人で江南高校の10人のチアガール以上の働きをしたのだから、もう君は勝利の女神だよ」
「はぁ、そうですか、でも責任感じちゃうな………」と思ったけど、悪い気はしなかった。
翔馬の家はそのスーパーから5分くらいの所にあった。
表札には「伊藤」と書かれた文字をマジックで消して「加治」と書いてあった。
新富士駅前の喫茶店で翔馬といた人の名前を翔馬は、加治静香さんと言った。
柳町アイスアリーナで試合を見た時、翔馬のユニホームには「ITOH」と書いてあった。なので翔馬は伊藤翔馬だと思っていた。だけど伊藤を消して加治となっている表札と、あの加治という名前の人と翔馬はどういう関係なのだろうと思うと、何故か、得体の知れない不安な気持ちが湧いて来て、体が強張るのを感じた。
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