第6話 極道水産からキワミチ水産へ

「登美子、うちもそろそろ新しい家を探そうか」

「どうしたの、私はこの家で十分よ」


「でもね、凛々子も小学校の2年生だよ。自分の部屋が欲しいんじゃないかな」

「そうね、回りの子らは皆な、自分の部屋を持ってるわね」


「お金なら大丈夫だよ、会社のほうもうまくいってるし」

「そうね、考えてみましょうか」


 倫太郎が極道水産の社長になってから5年経っていた。

 赤字に苦しみながらも、社員を叱咤して、自からも営業にかけずり回り、ようやく親会社の〆一商事に配当も出せるようになった。会長の黒崎にも認められて、世間並の給料を貰えるようになった。


 裏社会に生きる〆一組の子会社であっても極道水産は、食品産業として世間に認められている普通の会社である。

 〆一組の組員とは違い、倫太郎には普通の会社役員らしい形振りが必要であった。


 倫太郎と登美子は入船町の元 漁師の飯場から、浦見町の一軒家に転居することになった。浦見町は入船町から南大通リを挟んだ高台で、眼下には釧路市街が一望できた。遥か彼方には、雪を頂く雄阿寒岳、雌阿寒岳が見えた。


「お母さん、今度ユキちゃんを呼んでもいい?」

「いいわよ、お母さんはお菓子を作って待ってるわね」と、浦見町の家は毎日、幸せに満ちていた。

 こんな生活を何年待ったことか、倫太郎と登美子が函館で知り合ってから7年、初めて手にした小さな幸せであった。


 運も味方した。このころ電子レンジが一般家庭に普及して、冷凍食品が各メーカーから発売されるようになった。

 極道水産も缶詰に続き2本目の柱として「キワミちゃん印 牡蠣フライ」を発売した。

 さらに、キワミちゃんシリーズとして「キワミちゃん印 海老フライ」「キワミちゃん印イカフライ」に引き続き「キワミちゃん印ハンバーグ」を発売するまでになった。もはや缶詰メーカーと言うよりも主婦の間では、冷凍食品メーカーとして知られるようになっていた。

 それに合わせて社名を「極道水産」をカタカナ表記の「キワミチ水産」に変えることにした。


 それまでは、キワミチ水産と正しく読んでくれる人は少なくて「ゴクドウ水産」

 などと、呼ぶ人もいた。

 そのために、その筋の人たちのことを俗にいう「極道者」と混同してしまうことが度々あった。

 これでは家庭用食品メーカーとしてふさわしくない、と判断した倫太郎は、〆一商事内にいっぱいいる本物の極道者たちの反対を押し切って、「極道水産株式会社」から「キワミチ水産株式会社」と会社の商号を変更した


 これには本物中の本物の極道者の黒崎も認めざるを得ないほど、〆一グループ内における倫太郎の存在は、大きくなっていた。

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