第3話 金庫の中の仏像
極東水産の社員となった倫太郎は、〆一組の組長の黒崎と会うため、組事務所に向かった。〆一組の事務所は春採湖を見下ろす高台にあった。
元は旅館であったようだ。壁に湖畔旅館という文字を剥がした跡が残っていて、その下に墨で「〆一商事有限会社」と書かれた木製の看板が架けられていた。
どうやら〆一組は一応は会社組織のようだ。
旅館だった痕跡は他にもみられた。
ガラスをはめ込んだ引き戸を開けて中に入ると、脱いだ履物を入れる下足箱が50個くらい並んでいて、一戸ごとにアルミで出来た鍵が付いていた。正面には大きな柱時計があって、振り子が左右に揺れていた。
ここに和服の女将が「いらっしゃいませ」と言って出てきたら、湖畔の旅館そのものだ。だが、出てきたのは和服の女将ではなくて、大きな体の厳つい男だった。
男は無言で「こっちへ来い」という意味だろうか、顎をグィと動かした。
脱いだ靴を下足箱に入れて、男の後についてピカピカに磨かれた木の廊下を歩いて行くと、障子張りの部屋の前で男が障子を閉めたまま「お連れしました」と言うと中から「おぅ、入れ」という声が聞こえた。
20畳くらいの部屋の正面に大きな木製の机があって、骨ばった顔に白髪の長い髪を後ろで束ねた男が座っていた。どうやらこの男が、社長というか、組長の黒崎らしい。
机の前に椅子がないので突っ立っていると、「お客さんだ、椅子くらい出してやれ」というと案内してきた男が「どうぞ」と言って、折りたたみ椅子を持って来た。
それからしばらく無言が続いたあと、黒崎は「お前が立花の代理か、今日は何を持って来た」と言った。低音で凄みのある声だった。
手が震えるのを感じながら、立花から言われた「二千万円以下で買い戻せ」の条件を書いた手帳を確認しようとして、内ポケットに手を入れたら、ナイフでも出すと思ったのだろうか、後ろに立っていた男に両肩をガシッと押さえ付けられた。
この黒崎という男に下手に駆け引きをしようものなら、何をされるか分からない、と思った倫太郎は、立花から言われてる限度額二千万をそのまま値切らずに「二千万円でどうでしょうか」と言ってみた。すると以外にもあっさりと「分かった、それで手を打とう、だけどな、立花の会社とはこれからも付き合いたい、立花にはそういっておけ」と言って、人の背丈ほどもある大きな金庫のダイヤルをクルクルと回して、重そうな扉を開いた。金庫の中には金色に輝く仏像が座っていた。
その下にもう一つ扉があって、その中から権利書と登記簿などが入った封筒を取り出して「持っていけ」と言った。
以外に簡単に交渉が終わり玄関に来てみると、下足箱に入れてあったはずの靴が、きちんと置かれて、案内してくれた男が「どうぞ」と言って50センチくらいある長い靴ベラを出してくれた。「ありがとうございます」と言って外に出ようとすると、「鍵を返して下さい」と言われて、ポケットの中に下足箱の鍵を入れてあったのに気が付いた。男は合い鍵を持っていたのであった。
靴を下足箱に入れるのは何かが起きたとき、靴を隠して逃げられなくするための方法なのかも知れない。
帰る間際になって、ここが組事務所であることを認識させられた。
何はともあれ、立花の希望通リ缶詰工場は、極東水産の手に戻った。
倫太郎は胸を張って缶詰工場に出社した。
工場は〆一商事の名義になっていた時も、極東水産の看板のまま操業されていて、工場長以下、誰も一時的ではあれ、〆一商事の手に渡っていたことを知らないようであった。
工場長は製造管理責任者という人が突然現れて、驚いたように「ちょっと待って下さい、会長に聞いてみます」と言って電話をかけ始めた。かなり長い時間待たされた後、ようやく「今日から来てくれることになった河村さんですね、工場長の木下です。よろしくお願いします」と言った。何とも風通しが悪い会社のようだ。
この工場の本当の責任者は倫太郎なのか、木下なのか分からないまま、この関係が続くこととなった。
ある日、木下が「今夜、飯でも食いませんか」と言った。倫太郎は何か不吉なものを感じた。
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