来訪者
その日も、浩市は九時に店を開ける。いつもの通りだ。
今日もまた、何事もなく時間が過ぎていってくれることを祈っていた。ただでさえ、死体が浮いてくるかどうか戦々恐々としている状態だ。これ以上、余計なものを背負いたくない。
しかし、運命は非情だった。浩市を待っていたのは、さらなる想定外の事態であった。
午前十時を少し過ぎた頃、一台の車が国道から入って来るのが見えた。古びた日本車である。何ら怪しいところはない。
だが、この北尾村に入ってくる時点で妙なのだ。村人の車でないのは間違いない。
車は、店の駐車場に停まる。続いて、四人の男が降りてきた。皆サングラスをしており、帽子を被っている。この辺りでは、見たことのない者たちだ。単なる旅行者とも思えない。
その連中を見た瞬間、浩市は動いていた。厨房に入ると、ポケットからスマホを取り出す。
(妙な奴らが店に来てます。今日は来ない方がいいかもしれません)
こんなメッセージを田山に送信した。直後、すぐに厨房を出る。
ほぼ同時に、男たちも店に入ってきた。全員、釣竿を収納するロッドケースを背負っており、Tシャツの上にベストという格好だ。一見すると、釣りに来たおじさんたちという雰囲気である。
だが、光司湖は釣りで有名な湖ではない。水は濁っており、水草も大量に生えている。釣り糸を照らしても、その水草に引っかかる可能性が高い。釣り好きがわざわざ訪れるような場所ではないのだ。
この連中は、釣り人の格好をしている。しかし、間違いなく他の目的で来たのだ。おそらく堅気ではないだろう。
「お兄さん、この湖は何が釣れるの?」
そんな彼らの中でも、もっとも年上と思われる男が聞いてきた。浩市は、にこやかな表情で答える。
「いやあ、ロクなの釣れないですよ。だいたい、この湖に釣り客が来たことないですから」
「わかってねえなあ。そういうところこそ穴場なんだよ。何が釣れるか、まずは糸を垂らしてみねえとな」
言った後、男は顔を近づけてきた。カウンターを挟んでいるとはいえ、迫力は伝わって来る。年齢は四十代から五十代だろうか。短髪で、鼻骨が曲がっており唇は厚い。鼻は、殴られて曲がったのだろうか。浩市は、愛想笑いを浮かべつつも目を逸らす。
と、中年男の口から予想外の言葉が飛び出した。
「兄さん、あんた若い頃は相当ヤンチャしてたろう」
「えっ、僕ですか? いや、そんなことないですよ。ただの一般人です」
慌てて答えた。事実、浩市の高校時代はヤンチャなどとは無縁だった。
むしろ、ヤンキーと呼ばれる人種を毛嫌いしていたのだ。自分より弱い人間だけを狙い嬉々として暴力を振るう姿は、家族にだけ暴力を振るう父に似ている気さえした。
ヤンキーたちの方は、浩市に接触しようとはしなかった。あいつは危ないから、話しかけるな……当時、そんな空気が漂っていた。
したがって、ヤンキーもしくは元ヤンキーの言う「ヤンチャ」などという行為に興味はなかった。むしろ、校内ではおとなしい方だった。
ところが、目の前にいるヤクザは違う印象を受けたらしい。
「おいおい、そんなこと言わなくていいよ。俺にはわかってるから。兄さん、いろいろ見てきた顔してるよ」
「は、はあ、そうですか」
「こんな田舎村に飽きて都会に出て来たくなったらよ、いつでも連絡しな。ほら、これやるよ」
そう言うと、名刺を突き出してきた。さすがに、こんなものいらないとも言えない。
「あっ、これはどうも」
浩市は、愛想笑いを浮かべつつ受け取った。見れば「士想会 若頭補佐 渡部敬之」と印刷されている。
名刺を見てわかる通り、この男はヤクザだ。しかも、それを隠そうともしていない。むしろ、堂々と公表している。浩市に向かい、俺はヤクザだとアピールしているのだ。何らかの計算があるのだろうか。ヤクザでも釣りを楽しむこともあるだろうが、わざわざここに釣りをしに来るとは思えない。
とはいえ、相手の素性が早々に判明してくれたのはありがたい話ではある。
「
確認しつつ、大げさな態度で頭を下げる。
「ところで兄さんよう、ここらへんに泊まるところはあるかい?」
「泊まるところですか。昔はこの辺りにもあったんですが、今はないですね。駅前のビジネスホテルくらいでしょうか」
「ビジネスホテルかよ……まあ、仕方ねえなあ」
そう言うと、渡部は他の者たちの方を向いた。その時になって気づいたが、残りの連中は立ったまま両者の話を聞いていたのだ。
この三人、年齢は二十代から三十代だろうか。全員、無駄な脂肪は付いていない。サングラスをかけてはいるが、顔つきからして一般人とは違う。暇そうなチンピラをかき集めてきた、というわけでないのは明白だった。おそらく、渡部直属の部下なのだろう。
そんな連中を見回すと、渡部は再び浩市の方を向く。
「とりあえずよう、飯でも食うか。兄さん、カツカレー四つな」
「カツカレー四、ですね?」
「そうだ。早いとこ頼むぜ」
そう言うと、渡部はテーブル席についた。他の三人も、同じテーブルにつく。厨房では、理恵子が調理を始めていた。浩市は、カウンターにて渡部らの動きを見ている。
その渡部は、部下たちの顔を見回し、口を開く。
「いいか、よく聞け。今日から、朝はここでカツカレーだ。何とかいう野球選手も、毎朝カレーを食っていたらしいからな。他のものは食わせねえ。いいな?」
「はい」
「昼飯と夕飯は、駅前の店だ。店も食い物も、俺が全部選ぶ。他の店には行かせねえ。キャバクラも風俗も駄目だ。お前らみんな、今から懲役が始まったと思え。これが、俺のやり方だ」
大きな声で語っている。他の三人は、口を挟むこともなく黙ったまま聞いていた。
おそらく渡部は、浩市にも聞こえるように言っているのだ。俺たちは、明日も明後日もこの店に通い続ける……という意思表示である。果たして、何が目的なのか。
無表情で耳を傾ける浩市とは対照的に、渡部は熱く語り続ける。
「お前らだって、こんな生活嫌だろう。俺だって嫌だよ。だから、みんなで一刻も早くこの
「わかりました」
「いいか、早いとこ
「はい」
この時点で、単なる釣り客でないのはバレバレだ。渡部らも、そのことを隠すつもりがない。つまり、俺たちはここに仕事しに来たのだ……と、こちらに伝えているのだ。
そんな男たちのテーブルに、浩市はカツカレーの乗った盆を運んだ。緊張しつつも、皿とスプーンをテーブルに置いていく。
途端に、渡部の語りが止まった。無言で、カツカレーを食べ始める。他の三人も同じだ。一言も発することなく、ただただ食べることに集中している。
その姿には、見覚えがあった。ドキュメンタリー番組で観た刑務所の映像だ。モザイクにて顔を隠された集団が、無言で昼食を食べていた。おそらく、食事の時は私語厳禁という刑務所の規則ゆえ、なのだろう。
今の彼らは、映像で観た受刑者たちと全く同じだった。食事を楽しむ気がなく、ただただ動くための燃料を補給しているようにしか見えない。
しかも、彼らは食べるのも早かった。ものの数分で、全員が食べ終えてしまったのだ。
同時に、渡部が立ち上がった。他の三人も、すっと立ち上がる。まるで軍隊のようだ。食事が終われば、長居は無用とい思っているらしい。
「ごちそうさん。釣りはいらねえ、取っとけ」
言いながら、渡部は一万円札をカウンターに置く。
「えっ、そういうわけには──」
「いいから、取っとけって言ってんだよ。兄さん、こういう時はな、素直に受けとれ」
浩市の言葉を遮り、凄むような口調で言って来た渡部。こういう展開になると、逆らわない方がいい。
「は、はい。ありがとうございます」
「じゃあな。また明日来るからよ」
そう言うと、渡部は店を出ていく。他の三人はというと、浩市のことなど見ようともせず渡部の後に続いた。
全員が車に乗り込むと、すぐに発進させる。湖の脇にある道路を、ゆっくりと走っていった。
彼らが見えなくなった瞬間、浩市は動いた。スマホで、先ほどもらった名刺の画像を田山に送る。
すぐに返信がきた。
(ありがとよ。こいつなら知ってる。くれぐれも下手なことはするなよ。言われたことには、ハイハイ従っておくんだ。俺は、しばらく店に顔を出さない。連絡だけはよろしくな)
それだけだった。こちらの知りたかったことは、何も書かれていない。渡部らと田山、どのような事情があって追われる羽目に陥ったのか……その点について、教える気はないらしい。
とはいえ、はっきりわかったことがある。渡部とその部下たちの目当ては、田山で間違いない。わざわざ、こんな田舎村まで探しに来たのだ。
前に理恵子が、あいつはヤバい連中の金を盗んだんじゃないかな……と言っていたのを思い出す。どつやら、その読みは当たっていたらしい。
その時、理恵子が厨房から出てきた。
「なんか面倒なことになってきたね」
声をかけてきたが、浩市は何と答えればいいのかわからなかった。本当に面倒だ。まさか、こんな時に田山の関係者が店を訪れるとは……。
予想の斜め上をいく事態が、立て続けに起きていた。もはや、どう対処すればいいかわからない。
「もう、いいんだぜ」
気がつくと、そんな言葉が出ていた。
「は? どういう意味?」
「これ以上、俺たちとかかわると何が起きるかわからない。まさか、ヤクザまで現れるとはな……だからさ、抜けたきゃ抜けてもいいよ」
言った途端、肩にパンチを食らった。もちろん、理恵子の放ったものだ。
「あのさ、前にも言ったよね。あたしには、帰る場所がないって。このまま追い出されても、行くところがないんだよ」
静かな口調だったが、その目からは強い意思が感じられた。浩市は、思わず後ずさる。
行くところがない……などと言っているが、理恵子は有能だ。地頭もいいし、度胸もある。どこに行っても、問題なくやっていけるだろう。
にもかかわらず、ここに居てくれる気らしい。こんな危なっかしい兄弟の行く末を、最後まで見届ける気なのだ。
複雑な思いを感じ、浩市は下を向いた。そんな彼に、理恵子は問いかけてくる。
「だいたいね、あたしがいなくなったらどうすんの? 最後までやっていけんの?」
「そ、それは……ヤバくなったら自首するしかないだろ」
「だったら、それまでは付き合わせてよ。あと、ひとつ言っとく。今度、抜けたきゃ抜けていいなんて言ったら、本気でぶつからね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます