渡部の目的
翌日も、浩市は普段通りに店を開けた。
ヤクザの渡部は言っていた。明日もまた食べに来る、と。ああいうタイプは、有言実行を旨としている。言ったことは、必ず実行するはずだ。
理恵子は、厨房にて準備をしている。調理に関することは、全て彼女に任せていた。今の理恵子は、戦友のような存在である。彼女に背中を任せている、そんな気分だ。いてくれるだけで、ありがたい存在である。
誠司はというと、家で眠りこけていた。この二日間、あの男はほとんどの時間を睡眠に費やしている。いい気なものだが、ある意味では寝ていてもらった方がありがたい。ここで、また訳のわからない騒ぎを起こされても困る。
果たせるかな、渡部は今日も来店した。三人の手下を引き連れ、車で現れる。格好は、昨日と同じく釣り人スタイルだ。ただし、あのロッドケースやクーラーボックスの中には武器が隠されているのだろう。
真っ先に、店内に入ってきたのは渡部だった。ヤクザの集団が入店する場合、立場の低い者がまず店に入って来るものだが、彼らは違うらしい。もっとも立場が上であるはずの渡部が先頭切って入って来たのだ。
「おう、お前ら、そこに座っとけ」
部下に指示した後、渡部はひとりでカウンターに近づいて来た。浩市は、とりあえず挨拶する。
「いらっしゃいませ」
しかし、渡部は答えなかった。浩市の前で立ち止まり、スマホを取り出し操作し始めた。
やがて、こちらに画面を向ける。
「おはよう。お兄さんよう、この辺りでこんな奴を見かけなかったか?」
そんなことを言ってきたので、浩市は画面を見てみる。
映っているのは、ひとりの男だった。浩市は、かぶりを振って答える。
「さあ、見てないですね」
画面に映っている男は、田山より若く見えた。髪を金色に染めており、ブランド物のスーツを着て耳にはピアスが付いており、ネックレスやブレスレットまで身に付けている。繁華街をうろついている職業不詳の男、という感じだ。
しかし、よくよく見れば両者の顔には共通する部分が見受けられる。何より、額にうっすらと残っている傷痕……この人物は、田山に間違いない。だが、そのことを渡部に言うつもりはなかった。
「本当に見てないな? 間違いないな?」
念を押す渡部に、浩市は平静な表情で頷く。
「はい」
「そうか、兄さんは見てないのか。見てないとなると、ここらにはいねえってことになるな」
渡部は天井を向き、呟くように言った。
直後、すぐに浩市を睨みつける──
「兄さんよう、この際だから教えてやるよ。ヤクザを相手にして、やっちゃいけねえことが幾つかある。そのうちのひとつが、嘘をつくことだ」
低い声だ。明らかに、こちらを脅しに来ている。浩市は、無言のまま頷いた。
そんな浩市に向かい、渡部は語り続ける。
「俺たちの稼業はな、ナメられたら終わりなんだよ。堅気にナメられたら、金が稼げなくなる。稼げなくなったら、食っていけなくなるんだ。わかるよな?」
「はい」
「だからよ、俺たちヤクザはナメられねえために何でもやる。時には、五万円の
「あっ、いえ、そんなことは……」
「無理すんな。バカバカしいと思ってんだろうが。だがな、五万円の端金で五年の懲役行くバカがいるとなりゃ、相手もビビる。そんな連中とは揉めたくねえと思うよな。そうなりゃ、わざわざ荒っぽいことをしなくても銭を出してくれるってわけだよ」
「は、はあ」
答える浩市。渡部は、テーブル席にて座っている三人を手で指し示した。
「あいつらは、その五万円の金でも懲役に行くような連中だ。だから兄さん、俺に嘘をつくようなバカなことはするなよ。わかったな?」
「はい、わかりました」
浩市は、神妙な顔で返事をした。
すると、渡部の表情が一変する。先ほどまでの凄みある顔つきとは違い、にこやかな表情で懐に手を入れた。
何が出てくるのかと思いきや、一枚の写真を取り出しカウンターに置く。見れば、スマホの画像と同じ人物だ。生写真など見たのは何年ぶりだろう……と、浩市は場面に似合わぬことを考えていた。
一方、渡部は笑顔で口を開く。
「とりあえず、この写真はお前にやる。この男を見つけたら連絡くれな。あと、カツカレー四つ頼むわ」
言いながら、写真をとんとんと指で叩く。
「カツカレー四ですね。かしこまりました」
浩市の口からは、そんな言葉が出ていた。普段の接客で、かしこまりましたなどというセリフが出たことはない。どう見ても、こんな田舎食堂には不似合いである。
もっとも、渡部はそのことに触れたりはしなかった。席に座ると、さっそく部下たちに語り始める。
「あの野郎、どこに行ったんだろうな。見つけたら、この湖に沈めてやるか。それとも、森の中に埋めるか。どっちにしても、楽には死なせねえよ」
渡部は、浩市にも聞こえるような声で喋っている。やはり、この男は自分たちのやろうとしていることを内緒にする気などない。
しかも、この北尾村は都内とは違う。都内の繁華街には、至るところに防犯カメラが設置されていた。したがって、何か事が起きればカメラの映像をチェック出来るのだ。結果、すぐに逮捕される。
北尾村には、防犯カメラがない。さらに人目もない。拳銃をぶっぱなそうが日本刀で首をたたっ切ろうが、目撃者など現れないのだ。このヤクザたちは、殺人の物的証拠を残すようなヘマはしないだろう。証拠さえ残さなければ、やりたい放題である。
仮に何か起きて通報したところで、駆けつけてくるのは駐在の中里だ。あの男は頼りない。渡部たちの相手をするには、完全に力不足である。下手すると、丸め込まれて終わりだろう。
そんなことを考えつつ、そっと厨房へと入っていく。
調理中の理恵子は、ちらりと浩市を見た。大丈夫か、と目で聞いている。
浩市は無言で頷き、再びカウンターに立った。店内では、昨日と同じく渡部が部下たちに訓示を垂れている。
「いいかお前ら、俺たちの稼業はな、損得なんか考えちゃ駄目なんだよ。咄嗟の時に、これやったら懲役何年だ……なんてこと考えてちゃ、ヤクザは務まらねえんだ。わかってるな?」
「はい」
手下が、声を揃え答える。昨日から、この三人が発している言葉はふたつ。はい、もしくは、わかりました……だ。余計なことは喋らないらしい。こんな連中と一緒にいたら、息が詰まってしまいそうだ。
もっとも、渡部は違うらしい。反応の乏しい連中を相手に、一方的に話している。
「俺たちは、畳の上では死ねない覚悟がいるんだよ。いざとなったら、命捨てる覚悟はあるな?」
「はい」
「その代わり、きっちり生き延びたら、いい思いをさせてやる。だから、黙って俺に付いてこい」
「わかりました」
そんな物騒な訓示を垂れているテーブルに、浩市はカツカレーを運んでいく。
すると、渡部の語りは終わった。そこからは、食べることに集中している。他の三人も同じだ。
無駄口を叩くことなく、ものの数分で食べ終える。と同時に、渡部は立ち上がり歩いてきた。
「ごちそうさん」
言いながら、一万円札をカウンターに置く。浩市は、ぺこりと頭を下げた。
「一万円、お預かりします──」
「釣りはいらねえからな。取っとけ」
やや食いぎみに言ってきた渡部に、浩市は再び頭を下げる。
「は、はい。ありがとうございます」
すると、渡部はスマホを取り出した。画面を浩市に見せる。
田山と思われる男の画像だ。
「兄さんよう、ひとつ言っておく。この男はな、ろくでもねえ奴だ。あっちこっちで偽名を使い、悪さしてたんだよ。挙げ句、ウチの金を騙し取って飛びやがった」
吐き捨てるような口調で言う渡部に対し、浩市は無言で耳を傾けていた。
「こいつが今、どんな名前を使ってるかは知らねえし、何を企んでるかもわからねえ。だがな、ひとつはっきりしてることがある。こいつとかかわった奴は、みんな不幸になってるんだよ」
「みんな、ですか?」
「そうだ。俺は約束は守るし、義理は通す。だがな、こいつは違う。嘘は吐く、約束は守らねえ、裏切りは日常茶飯事だ。こいつに会ったら、何を言われようが無視して俺に連絡しろ。わかったな?」
「わかりました」
「もし、こいつの情報をくれたら、きっちり礼はするぜ。よろしくな」
浩市に言った後、渡部は子分たちの方を向いた。
「行くぞ。あのバカ、やっぱりこの辺りにいるらしいからな」
(渡部ですが、今日も来ました。田山さんの写真を見せてきました)
(あいつは嘘つきだ。何を言おうが信用するな。ハイハイ言って聞き流しておけ。また連絡たのむ)
本音を言うなら、どちらも信用できない。出来ることなら、こんな連中とはかかわり合いたくなかった。
しかし、今の浩市は田山に付かざるを得なかった。この男には、浩市たちの秘密を知られているのだ。
万一、田山が警察に逮捕されたら……この男は、警察との取り引きのために何でも言うだろう。その言うことの中には、浩市らの犯した罪も入っている。田山は、己の罪を軽くするためなら平気で浩市らを売る。
田山が渡部らに捕まっても、同様のことが起きる可能性がある。金の在り処を吐かせるついでに、ここであったことまで吐かせてしまうかもしれない。そうなれば、今度は渡部らに一生ゆすられるだろう。金はなくても、ヤクザに利用され続ける人生を送ることになるのだ。
ならば、このまま知らぬ存ぜぬという立場を貫き通すしかない。いずれ、田山はここを去る。渡部も、田山がいないとなれば帰っていくだろう。
それが、浩市らにとって一番いい終わり方なのだ。
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