疑惑
九時になり、浩市は店を開けた。何事もなかったかのように、普段通りの生活をしている。
もっとも、心の中は違う。あれから、ネットで死体が浮かんでくるケースを調べてみた。結果、様々なことが判明する。
死体が浮かび上がる理由は、腐敗が進みガスが溜まるためらしい。状況にもよるが、少なくとも数日が経過しないと浮いて来ないそうなのだ。
また、水が深いと水圧により浮かんで来れない可能性が高い……とのことだった。
光司湖の水深は、かなりのものだ。ならば、ふたりの死体は沈んだままになっている可能性が高いと思われる。
ただし、ガスが溜まるまでには最低でも数日かかる。つまりは、まだまだ様子見の段階ということだ。
仮に死体が浮かんできた場合、その時はボートで回収し、もう一度沈めるしかない。だからこそ、湖のチェックは欠かせないのだ。
十一時を少し過ぎた頃、いつものように田山が現れた。メガネにマスクと、相変わらずの不審者スタイルでカウンター席に座る。
「旅行者は来てないな?」
「ええ。業者の車が来ただけですね」
ここまでは、いつもの通りである。しかし、ここからは違っていた。
「そうか。で、お前の方はどうなんだ?」
「えっ? どうって?」
「悩みごとは解決したのか?」
田山は、なおも聞いてくる。
悩みごと、つまりはふたりの死体のことである。一昨日まで、冷凍庫に放置されていた。しかし、今はもうない。
「ええ、まあ、何とか」
そう答えると、田山はクスリと笑った。
「だろうな。お前、なんか一皮剥けた感じだ。いい面構えになってきてるぜ」
「はい? どういうことです?」
浩市は聞き返すが、田山の方は目を逸らせた。興味を失ったかのようにスマホを取り出し、操作しつつ口を開く。
「まあ、片付いたってのはいいことだよ。それより、ミックスフライ定食頼む」
「わかりました」
続いて現れたのは、駐在の中里だ。いつもなら、どうでもいいような話をして去っていく。しかし、今日は違っていた。来るなり、こんなことを言ってきたのだ。
「実はさ、高田さんとこの和夫くんがいなくなっちゃったらしいんだよ」
「えっ? 高田?」
浩市はドキリとしつつも、怪訝そうな表情で聞き返した。
「そう。この店にも、何度か来たことあるよね?」
「はい、ありますけど」
「どこに行ったか知らない?」
もちろん知っていた。あの男は今、この湖の底にいる……などと思いつつも、素知らぬ顔で答える。
「知りませんよ」
「まあ、そうだよね」
意外にも、中里はあっさりと引いた。続けて、そっと周りを見る。まるで、誰もいないのを確かめているかのようだ。わざわざそんなことをしなくても、客が他にいないのはわかっているはずなのだが……。
やがて、中里はそっと口を開いた。
「ここだけの話だけどさ、彼は結構ヤバイことしてたんだよ」
「ヤバイこと? 何ですか?」
「実はね、彼は東京でいろいろやってたんだよ。動画なんかも投稿してたってさ。いわゆる私人逮捕系っての? それもやってたみたい」
「ああ、なるほど」
もっともらしい顔で相槌を打ちながらも、浩市は目の前にいる男の口の軽さには呆れていた。仮にも警察官という職に就いている身でありながら、個人のプライベートな事情をここまで明かしていいのだろうか。もしこれが公になれば、減給では済まないだろう。下手すれば、首が飛ぶような事態になるのではないか。
中里は、口の軽さゆえに何か問題を起こしてしまい、この北尾村に飛ばされたのではないか。
その中里は、得意気に喋り続けている。
「でさあ、あんまりやり過ぎて東京にいられなくなって、こっちに帰って来たんだよ。これ以上は、俺の口からは言えないけどね」
これ以上は……などと言っているが、ここまで言えば、もう充分である。
だんだん読めてきた。高田は、都内で怪しげな動画を投稿していた。私人逮捕系と称して犯罪者を捕まえるものも、そのひとつだ。無論、奴ひとりでは出来ない。何人かで組んで行なっていたのだろう。
ところが、その私人逮捕系も上手くいかなくなった。やがて、都内で何かやらかして田舎へと戻ってきた。
常人なら、実家でおとなしく過ごすべきだろう。しかし、高田は違っていた。田舎の村でも、ウケそうなネタを探し続けていたのだ。
誠司に接触しようとしていたのも、ネタ探しのためだろう。かつて刑務所に行っていた誠司ならば、面白い話が聞けるかもしれない……そんな計算をしていたのだ。
浩市は、改めて高田という男の疫病神ぶりを思い知った。本当に、あいつは周りの人間に害悪を撒き散らすことしかしない。まさに、誠司と同じタイプの人間だ……。
そんなことを考えている浩市の前で、中里は一方的に語り続けていた。話のネタが出来たことが、よほど嬉しいようだ。
「でも、和夫くんは懲りてなかったみたい。帰って来た後も、北尾村をあちこち撮影してたね。近頃では、ここの湖には変な生き物がいるとか言ってたらしいよ」
ビクリとなった。内心の動揺を隠して、平静を装い尋ねる。
「変な生き物?」
「うん。なんか、でっかい外来魚みたいなのを見たんだって。それも、人間より大きな奴だってさ。東京にいる仲間と一緒に、詳しく調べてみたいとも言ってたそうだよ。両親は、またバカなこと言ってる……って、相手にしてなかったそうなんだけどね」
「そうですか。何を考えてんでしょうね」
一応はそう言ったものの、浩市は内心で舌打ちしていた。
高田の言っていた変な生き物とは、間違いなくあの怪物だ。高田の両親は本気にしていなかったようだが、奴の仲間はどうなのだろう。
私人逮捕の動画など制作している時点で、ロクな連中でないことは想像がつく。おそらくは、動画を見てもらうためなら何でもするタイプの人間であろう。
直後、浩市の頭にある考えが浮かぶ。高田は、そんなロクデナシ共と連絡を取り合っていたらしい。となると、今度はその連中が乗り込んできたりしないのだろうか。
いや、さすがにそこまではしないだろうが……。
「ちょっと、大丈夫?」
不意に、中里が顔を覗き込んできた。浩市は、どうにか笑顔を作り聞き返す。
「えっ、何がですか?」
「今さ、すげえ怖い顔してたからさ」
「いや、そんな私人逮捕なんてやってる連中が、ここに来たら嫌だなあ、なんて思っていたんですよ」
「ああ、なるほど。まあ、そうだよね。でも、客になってくれるかもしれないじゃない」
「なってくれるわけないじゃないですか。そんな奴ら、ちょっと来てあちこち撮影した挙げ句、何もないことを確認してすぐに帰っていきますよ」
「それもそうだね。まあ、とにかくさ、和夫くん見かけたら家に連絡するよう伝えといてよ」
そう言うと、中里は去って行った。
中里がいなくなった後、浩市はふと湖の方を見てみた。
湖面は、いつもの通り静まり返っている。水は濁っており、お世辞にも綺麗な湖とはいえない。わざわざ足を運びたくなるような場所でないのは確かだった。
しかし、ここには怪物が棲んでいる。発見されれば、それこそ世界的なニュースになりかねない存在が、ここに潜んでいるのだ。
だが、浩市にとってそれよりも重要なことがある。この湖には、ふたりの死体が沈んでいるのだ。彼にとっては、そちらがバレることの方が大問題であった。
その時、理恵子が厨房から出てくる。今の話は、全て聞いていたはずだ。浩市の背中に、そっと触れた。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ」
答えた後、忌々しげな表情で湖に視線を移す。
「しかし、あの高田は面倒な奴だな。死んでからも、奴に悩まされるとは思わなかったよ。動画仲間が、ここに来たりしなけりゃいいけどな……」
「いくらなんでも、大したネタもないのにわざわざこんな田舎村まで来たりしないよ」
「だといいんだけどな」
浩市の不安は晴れない。ただでさえ心配事を抱えている身だというのに、さらなる不安の種がまたひとつ増えてしまったのだ。
「俺たち、どうなるんだろうな」
思わず呟いた言葉に、理恵子がそっと答える。
「大丈夫。ここを凌げば、何とかなるからさ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます