第147話 ファントムの世界へ

 天秤が崩壊するのを見届けてから、俺は腕の中に居る花蓮に目を向ける。


 花蓮は泣きながら俺に抱き着いていた。多分、感情を持て余してるんだろうと思う。


 一人にならなくちゃいけないと思っていた。一人になりたいと思っていた。それを、俺も望んでいるはずだと思っていた。


 けれど、俺の出した答えは二人を受け入れるというものだ。


 俺の言葉を聞いて、花蓮の心は揺らいでいるのだろう。


 優しく、泣きじゃくる花蓮の背中を叩く。


「大丈夫。心配な事も、怖い事も多いかもしれない。けど、私はずっと花蓮のそばに居る。だから、大丈夫だよ」


 泣く子のあやし方なんて変わらない。ただ優しく、抱きしめてあげれば良い。


「お、兄ちゃん、と……一緒に、居たいよぅ……!!」


「うん、一緒に居よう。私だけじゃない。皆も、花蓮を待ってるから。だから――」


 帰っておいで。


 優しく、安心させるように、花蓮に言ってやる。


 花蓮は変わらず涙を流しながらも、力強く一つ頷いた。


「ふぅ……」


 花蓮が頷いた事で、安堵して息が漏れる。


 これで頷いてくれなかったら、もうどうしようも出来なかった。素直に頷いてくれて良かった……。


「大丈夫ですか、ブラックローズ!」


 ゆったりと地面に降りると、チェリーブロッサムが心配そうに駆け寄ってくる。


「うん、大丈夫だよ。ありがとう、ブロッサム」


「いえ! なんのこれしきです!」


 言って、むんっと両腕で力こぶを作るチェリーブロッサム。


 そんなチェリーブロッサムの姿を見て、思わず安堵で頬が緩む。


「なごんでる場合じゃ無いメポ! 引き合う力が無くなったとは言え、まだ三世界の統合は続いてるメポ!!」


 いつの間にか近くに居たメポルが慌てたように俺達に言う。


「え、花蓮ちゃんを助け出せば良いんじゃなかったんですか!?」


「双極の特異点はきっかけに過ぎないメポ!! 装置は壊れたけど、引き合う力はまったく衰えてないメポ!!」


「可能性の特異点の力かメェ」


「そうメポ! まだ統合が続いてるという事は、可能性の特異点は三世界統合の可能性を見出しているメポ!」


「つまり、まだまだ終わりじゃ無いって事ね……」


 ヴァーゲは深紅に任せれば良い。深紅なら、絶対に倒してくれるから。


 だから、俺達が向かうべきは――


「もう一方の装置へ向かうメポ! 此処は他の者に任せるメポ!」


「だね。直ぐに行こう。……っと、その前に」


 俺は花蓮を優しく引き剥がすと、目を見て花蓮に言う。


「花蓮は、先に家に帰ってて。家には母さんも父さんも居るから。二人に久しぶりに顔を見せてあげて」


「ううん。私も一緒に行く。その……あの子に、酷い事言っちゃったから……謝りたいの……」


 しゅんっと落ち込んだ様子で言う花蓮。


 あの子とは、もう一人の花蓮の事だろう。


 俺は花蓮を護る事が出来ない。変身をたもっているだけで精いっぱいだからだ。


 今回の戦い、俺は足手まといにしかならない。


「連れて行くと良いメェ」


 どうするべきか悩んでいると、ツィーゲが花蓮の方に助け舟を出す。


「一人二人護るくらい、メェ達なら訳無いメェ。むしろ、後でもう一度狙われるよりも、近くで護っていた方が効率が良いメェ」


「そうです! わたし達が護りますよ!」


「二人とも……」


「それに、寄り道してる暇もないメェ。さっさと終わらせて、さっさと帰れば良い話だメェ」


「一個壊せたんです! もう一個だって、簡単に壊して見せますよ!」


「お前はもっと他人と同調する事を憶えるメェ……」


 呆れたように、ツィーゲが言う。


 確かに、花蓮が一人になったところを狙われないとも限らない。


 それに、さっきずっと傍に居ると言った。いきなり離れるのは、かわいそうだ。


「分かった。けど、私の傍から離れないでね?」


「うん!」


 笑みを浮かべて頷き、花蓮は俺の手を握る。


 俺も、離さないようにしっかりと花蓮の手を握る。


「じゃあ行くメポ!! ツヴィリングとシュティアは此処で残りのファントムの対処を頼むメポ!!」


「「えー!! 僕もお姉ちゃんと一緒に行きたーい!!」」


「文句言うな! 此処で頑張って褒めてもらえば良いだろ!」


「「う~……分かったぁ……。お姉ちゃん、またね!!」」


 呑気に手を振ってくるツヴィリングに手を振り返し、メポルの作ったゲートを使ってもう一人の花蓮の元へと向かう。


 瞬きの間で景色が変わる。


 日の光が差す温かみのある精霊の世界とは打って変わって、月の光が差す冷たいファントムの世界へと足を踏み入れる。


 ファントムの世界でも戦闘は激化しており、あちこちで絶え間なく戦闘音が聞こえてくる。


 戦闘の中央に、精霊の世界にあったのと同じ装置があった。


「花蓮!!」


 大きな声で名前を呼べば、皿の上で花蓮がこちらに顔を向けるのが分かった。


「待ってて!! 今行くから!!」


 言って、俺達は駆け出す。


「ヴィダー! アクアリウス! フィシェ! 道を作るメェ!!」


「命令すんでねぇこの山羊野郎!! ジンギスカンになっちまえ!!」


「お前本当にメェに対して当たりが強すぎないかメェ!?」


 ヴィダーが文句を言いながらも、巧みな身体捌きで次々と敵を遠方へと吹き飛ばす。


「まぁ、最初に脱落したツィーゲに命令されても、ねぇ?」


 ふと、上空から声が響く。


 直後、高圧力の水流が俺達の前方の敵を、まるで汚れを洗い流すように吹き飛ばす。


「お前だって二番手だメェ!! それに、相性の良いはずのクリムゾンフレアに負けたじゃないかメェ!!」


「うぐっ……に、二体一ですからぁ!? 私はそこのブラックローズも相手にしましたから!!」


「見苦しい事この上ねなぁ」


「ちょっとヴィダー! あんたどっちの味方なの! ていうか、あんたなんてチェリーブロッサムに負けたじゃない!! 私達と同じ土俵に立ててると思わないでよね!!」


「そ、そんなこつ言ったら!! あそこの山羊だってチェリーブロッサムとブラックローズの二人に負けてるだぁよ!」


「残念だったメェ! メェは手加減して負けただけだメェ! その後は勝ってるメェ!」


「……あの、なんかわたしけなされてません? すっごい腑に落ちないんですが……」


 三人の醜い言い争いを聞いて、チェリーブロッサムが納得しかねるといった顔をする。


「大丈夫だよ。後で全員倒せば良いだけだから。アクアリウスとツィーゲをぼこぼこにしてあげれば良いよ」


「……分かりました。終わったらあの二人と合わせてヴィダーもやっちゃいますね」


「ジュースとポップコーン片手に応援してるメポ」


「まさかの映画感覚!?」


 メポルの言葉に、いじけたように唇を尖らせるチェリーブロッサム。


「三人とも、お喋りはそこまでです。さっさと仕事を終わらせますよ」


 いつの間にか俺達の後ろを走っていたフィシェが三人をたしなめる。


「お前は戦わないメポ?」


「ふっ……なめてもらっては困ります。私、こう見えて結構弱いんですよ?」


「決め顔で言う事じゃ無いメポ!!」


「因みに、今走るのも……ちょっと、しんどいです……」


 言葉通り、だんだんとペースダウンしていくフィシェ。


「お前なんで前線に来たんだメポ!?」


「だって置いてけぼりって寂しいじゃ無いですか!!」


「いや知らんメポ!!」


 心底どうでも良いと言わんばかりに、メポルが力強くツッコミを入れる。


「いつもこんな感じだったの?」


「うん」


「へぇ……」


 気になって花蓮に訊ねてみれば、花蓮は特におかしい事は無いと言わんばかりに頷く。


 俺達、こんな人達と真剣に戦ってたのかぁ……。


 いや、真剣だったけど。今だって真剣に戦ってるけど。


「ふふっ」


「……お兄ちゃん?」


 急に笑い出した俺に、花蓮が小首を傾げる。


「ああ……うん。こんな楽しい人達だったら、戦うよりも前に会いたかったなって」


 戦って出来た今の関係を否定するつもりは無いけど、それでも、敵として立ちはだかる前に話してみたかったとは思ってしまう。


「ブラックローズ! 肉体言語も大事だと思います! 特にあの三人には!!」


「ふふふっ、そうかもね」


 チェリーブロッサムの言葉に、思わず笑ってしまう。


 緊張感はまったく無いけれど、なんだろう……やっぱり負ける気はまったくしないなぁ。


「ブラックローズ! そうかもねじゃないメェ!! お前の妹分が暴力を是としているメェ!! 止めろメェ!!」


「じゃれあいだよ、じゃれあい」


「それにしては目がマジなんだメェ!?」


「水瓶では水が飲めて、山羊も羊も焼いて食べられますよね……」


「「「ひぃ……ッ!?」」」


「ブロッサムがサイコパスになってるメポ!?」


「あと、ついでにお魚も食べられます」


「私は関係無いはずでは!?」


 誰とも戦闘してこなかったのにと嘆くフィシェ。


 なんだか一気にわちゃわちゃとし始めてきた。


 世界の命運がかかっているというのに、皆に気負いの様子は無い。


 ヴィダーとアクアリウスが道を作って、俺達はそれの道を通る。若干フィシェが離れてきたけれど、気にしている余裕はない。


 あっという間に装置の元へとたどり着けば、俺は浮かび上がって皿の上に乗る花蓮と高さを合わせる。


「花蓮!! お待たせ!! 迎えに来たよ!!」


「兄さん……」


 沈んだ様子で俺を見る花蓮。目の下にはくっきりとクマが出来ており、その目には生気が無い。


「……兄さん、私……偽物なんだって……」


 俯き、花蓮は言う。


 あぁ、花蓮の謝りたかった事って、これだったんだ。


 多分、偽物だなんだって花蓮に直接言っちゃったんだろう。それこそ、花蓮がこんな風になってしまうくらいには。


「違うよ。花蓮は偽物なんかじゃない」


「……でもね。私、小学生に上がる前の事、何にも思い出せないの……一つ二つは、あるはずなのに……」


 後からできた、後出しの人格なんだって……。


 そう言った花蓮の声は涙ぐんでいて、ちらりと見えた頬には涙が伝っているのが分かった。


「なら……一人に戻った方が良いのかなって……」


「戻らなくて良いよ。ううん、違う。戻っちゃダメだよ」


「……どうして? 私は、偽物なのに……」


「じゃあ花蓮は、今まで過ごしてきた日々を忘れちゃったの? 楽しかった時の事も、辛かった時の事も、悲しかった時の事も、嬉しかった時の事も、全部忘れちゃったの? その時感じた気持ちは、嘘だったの?」


 俺が問えば、花蓮はゆっくりと首を横に振る。


「なら、花蓮の過ごしてきた日々は間違いなく本物だよ。それに、花蓮に偽物も本物も無い。そんな言葉で、私達の過ごしてきた日々を否定させたりはしない。私の過ごした日々に居た花蓮は、他の誰でもない花蓮だよ」


 そして、それはこれからも変わらない。


 こらからだって、毎日、俺と花蓮は過ごしていくんだ。


「花蓮。偽物とか本物とか、後とか先とか、そんなの関係無い。花蓮は、毎日楽しくなかった?」


 俺の問いに、花蓮は首を横に振る。


「なら、帰ろう。私は、花蓮が居ないと寂しいよ」


 俺が言葉に、花蓮は声を出さずに頷く。


「……私……お兄ちゃんと、一緒に……居たいよ……っ」


「うん、私も同じ気持ちだよ。だから、待ってて。直ぐに出してあげるから」


「うん……っ」


 とはいえ、今の俺に力は無い。


 他人頼りなのは凄く情けないけど、皆に頑張ってもらう他無い。


「よく言ったね、黒奈。後は僕達に任せて」


 皆に声をかけようとしたその時、よく知った声が聞こえてきた。


「え?」


 振り向けば、そこに居たのは俺の良く知る人物だった。

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