第140話 母さん
かち、かち、かち、かち。
時計の針の音が
「ん、ぅ……」
頭を冷やそうと思って、どうやらそのまま眠ってしまったらしい。
「……喉、渇いた……」
ベッドから降り、一階のリビングに行く。
結局、寝ても覚めても情報過多で煮え切った頭は元に戻らないらしく、頭は冴えないままだ。
一階に降りれば、リビングの明かりが点いている事に気付いた。
俺、つけっぱにしちゃったっけ? いや、そもそも今日はリビングに入ってない。
あの少女が帰った後、家の鍵を閉めていない可能性が高い。
「……」
泥棒か……それとも、和泉家の人が心配して来てくれたか……。
俺が開けるべきかどうか悩んでいると、扉の曇りガラスに人型の影が差す。
「――っ」
自然と、身体に力が籠る。
大丈夫だ。俺は変身しなくたって戦える。それに、いざとなれは魔法少女に――
「あ……」
――俺、変身できないじゃん。
魔法少女に変身できない。それだけで、何故かとても心細くなった。
変身をしなくたって戦える。あの深紅とだって、組手で互角に戦えるのだ。
その事実があるにも関わらず、途端に恐ろしくてたまらなくなる。
俺がそうやって怖がっている内に、リビングの扉はゆっくりと開かれた。
「ああ、おはよう、黒奈」
現れたのは、思いもよらぬ人物だった。
泥棒でも、和泉家の人達でもない。良く見知った、けれど、最近まで家を空けていた人。
「母……さん……?」
「ん、ただいま」
にこりと、母さんは優しく微笑む。
「あ、う……ぁ……」
その笑みを見て、何故だか自然と涙が溢れた。
心細かった時に母さんの顔を見て安堵したというのもあるだろう。けれど、それだけじゃない。
「ごめ……なさい……! 俺、か、花蓮、を……! 護れなく、て……!」
すっと自然な動作で母さんは俺に近付き、優しく俺を抱きしめた。
「ごめんね。大事な時に傍に居てあげられなくて。でも、もう大丈夫だから」
優しく抱きしめられ、俺は声を上げて泣いてしまった。
最近、泣いてばっかりだ。
暫く母さんの腕で泣いて、落ち着いてきたところでリビングに入った。
帰ってきていたのは母さんだけじゃなく、父さんも帰ってきているらしいのだけれど、どうやら今は弓馬さん達と話し合っているらしく、家には居ないらしい。
「はい、どうぞ」
「ありがと……」
母さんが出してくれたお茶を飲み、一息つく。
泣いて多少はすっきりしたけれど、まだ頭の中はごちゃごちゃしてる。
俺は、俺がどうすれば良いのかが分からないままだ。
「私達が居ない間、黒奈とても頑張ってたって、美弦から聞いてるよ。モデルやったんだって? 凄いじゃない」
「うん……」
「ああ、あと、アイドルの子とお友達になったんでしょ? それに、
「うん……」
確かに、頑張ったと思う。その時その時、俺は頑張った。全力を尽くしてきた。それで、何とかなった。
けど、今は違う。頑張っても届かなかった。全力を尽くしても負けた。どうにもならなかった。
「……花蓮の事は、黒奈の責任じゃない。私達大人の責任」
「そんな訳無いじゃん!! 俺が一番花蓮の近くに居たんだよ!? 俺が、俺が花蓮を護らなくちゃいけなかったんだ!!」
「違うわ。私達の行動が遅すぎたの。ヴァーゲを止められなかった、私達の責任よ。いえ……花蓮を護れなかったあの時から……」
すっと母さんの表情が陰る。
「……母さんは、知ってたの? 花蓮が、二人居る事」
俺の問いに、母さんは驚いた様子も無く一つ頷く。
「ええ。その様子だと、黒奈は花蓮と血の繋がりが無い事まで知ってるのよね?」
「うん……」
「じゃあ、全部話さないとね」
母さんは居住まいを正して、俺の方を見る。
「花蓮はね、精霊とファントムの間に生まれた子供なの」
「――っ」
母さんの口から発せられた衝撃的な言葉に、俺は思わず息を呑む。
血の繋がりが無い事だけでも衝撃なのに、花蓮が人間じゃ無いって……。それに、精霊とファントムの子供?
「本来なら、精霊とファントムでは子供はもうけられないわ。純粋な光と純粋な闇の力は、互いに純粋な同属しか受け付けないの。愛し合う事は出来ても、子供を産むことはまず不可能なの。けど、花蓮は生まれた。極めて小さい可能性の
本来なら、生まれるはずの無かった存在。小さな可能性の少女。
「その精霊とファントムは、私達の友人だった。けれど、ヴァーゲの手にかかって、花蓮を残して亡くなってしまったわ」
遠い懐かしさを見つめるように、母さんは目を細める。
本当に、大切な人だったのだろう。それこそ、俺と碧のような関係だったのだろう。
「ヴァーゲは、花蓮をずっと狙っていた。それこそ、その友人が恋人同士になった時から、ずっと……」
「花蓮が生まれるかも分からないのに?」
「ヴァーゲにとっては生まれてくる存在が花蓮である必要は無いのよ。その子供が、精霊とファントムの間に生まれた子供である事だけが重要なの」
普段恋仲になる事の無い精霊とファントムが恋仲になったこと事態が、ヴァーゲにとっては都合の良い展開だったのだろう。産まれてくる子供が誰であれ、重要なのはその子供が精霊とファントムの間に生まれたという事実だけが、ヴァーゲにとっては一番大切な事なのだろう。
「総じて、精霊とファントムの間に生まれた子供にはある名前が付けられるの。それが、双極の特異点。聞いた事ある?」
「うん。もう一人の花蓮が言ってた。俺が可能性の特異点で、花蓮が双極の特異点だって」
「そうね。奇跡の度合いを比べる事は出来ないけど、希少性で言ったら黒奈の方が高いわ。双極の特異点の場合は、少しずつ解明が進んでいて、どうやって生まれるのかも少しずつだけど明らかになってる。けど、可能性の特異点はどうやって発生するのかすら分からない。本当に、突然現れるの」
そんな希少なものが俺の中に……。でも、もう……。
「話しを戻すわね。ヴァーゲはある程度花蓮が成長した段階で、花蓮を陰と陽の二つに分けたの。陰の花蓮がヴァーゲに攫われて、陽の花蓮を私達が保護したわ。本当なら、二人に別れる前に私達がどうにかするべきだったの。私達に護る力が足りなかったから、貴方達に苦しい思いをさせるはめになってしまった……本当に、ごめんなさい」
「母さんが謝らないでよ! 始まりがどうであれ、花蓮の一番近くに居たのは俺なんだ。兄として、俺が花蓮を護るべきだったんだ……」
「いいえ、黒奈はよくやってくれたわ。私達がヴァーゲを追っている間、ずっと花蓮を、私達が帰る家を護ってくれた。また、私達が一歩遅かったのよ……」
母さんの手が、俺の頭に伸びる。
優しい手付きで母さんは俺の頭を撫でる。
「もう少し早かったら、貴方の魔法少女の力を奪われる事も無かったわ……」
「……え?」
「え?」
「え、あ……ああ!!」
思いがけない事実に気づき、思わず大きな声を上げてしまう。
「なに? どうしたの?」
「か、母さん! 俺が魔法少女だって知ってたの!?」
「え、ええ。え、私が理解してるって知った上で話してたんじゃないの?」
「色んな事が一気に起こったから、まるで考えて無かった……」
今思えば、今までの会話は全部俺が精霊との契約者である事を前提に話されていた。
「……いつから知ってたの?」
「契約したその日にメポルが教えてくれたわ。黒奈が魔法少女になったって」
「め、メポルぅ……!!」
確かに内緒にしてとか言ってないけど! でも男の子が魔法少女になったんだから隠してくれても良いじゃん! ……いや、逆か。男の子が魔法少女になったから、心配して母さんに話したのか。
「って、メポルとも知り合いだったの?」
「ええ。厳密には、メポルの母親と友人関係にあるわ」
「へぇ……母さん、なんか交友関係広いね」
「それなりにね。黒奈だって、随分とお友達増えたんじゃないの?」
「うん……色んな人が、俺と友達になってくれたよ」
「ふふふっ、良かったわ。貴方、ずっと深紅くんや碧ちゃんが居れば良いって感じだったから、少しでもお友達が増えたのなら、お母さんは嬉しいわ」
……確かに、少し前まではそう思ってたかもしれない。実際、深紅や碧が居れば、それ以外の友達は欲しいとは思わなかったし……。
多分、花蓮や桜ちゃんが魔法少女である俺を受け入れてくれたから、少しだけ自身がついたんだと思う。
「あ、そう言えば、深紅くん目が覚めたみたい」
「本当!?」
「ええ。明日にでも、一緒にお見舞いに行きましょう」
「うん!」
深紅が目覚めたと知り、俺はほっと安堵に胸を撫で下ろす。
あの中で、深紅が一番手酷くやられていたから……。
「こ、後遺症とか、無いよね? どこか、動かないとか……!」
「特には無いみたい。起きて直ぐにご飯を食べるくらいには元気だったらしいわ」
「そっか……」
なんか、深紅らしいと言えば、らしい話だ。
「けど、珍しくとても不機嫌だったみたいね。手酷くやられた事が、そうとうショックだったのかもしれないわね」
あの子、殆ど負け知らずだから。
母さんは優しい笑顔でそう言うけれど、俺にはとてもそうとは思えなかった。
深紅は、負けても不機嫌になったりはしない。少しは落ち込むけれど、反省して次に生かすように努力をする。多少不機嫌にはなったりするけれど、直ぐに自分で落ち着かせる事が出来る。
そんな深紅が、不機嫌になる理由に、俺は一つしか心当たりがない。
俺と同じだ。大切な人を護れなかった自分を、情けないと思っているのだ。だから、周囲を鑑みれない程に機嫌が悪くなっているのだ。
けど、深紅はまた立ち上がる。その心の強さが、深紅にある。その力が、深紅には残ってる。
「……」
ぽっかりと穴が空いたように軽い胸に手を当てる。
俺はどうだ? 俺には、その力が無い。俺にはもう何も無い。俺は、もう立ち上がれない……。
「……っ」
かきむしるように、ぎゅっと手を閉じる。
なんで……俺はもう戦えないんだ……!!
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