最終章 妹のために魔法少女になりました

第136話 喪失

 目を覚ました時、まず最初に目に飛び込んできたのは知らない天井だった。


 白色の、清潔感のある天井。次いで、つんと鼻腔をくすぐる薬品の匂い。


「黒奈さん!!」


 傍らから聞こえてきたのは聞きなれた一つ年下の友人の声。


 声の方を見やれば、そこには桜ちゃんが座っていた。


「桜ちゃん……?」


「良かった……本当に、良かった……!!」


 目に涙を浮かべながら、桜ちゃんは俺の手を握る。


 ここは……それに、なんで俺は寝てたんだ……?


「そ、そうだ! 皆を呼んできますね! ちょっと待っててください!」


 桜ちゃんは思い出したように言って、部屋を後にした。


 部屋を見回してみて分かる。ここは病院の一室だ。どうやら俺は入院していたらしいと覚れば、自分が気を失う前の事を思い出す。


「そうか、俺……」


 ヴァーゲに負けて、花蓮を奪われた。


「あれ……?」


 その事実を思い出したにも関わらず、俺の心はまったく動じていなかった。


 悲しいはずなのに。恐ろしいはずなのに。怒っているはずなのに。なのに、なのに……俺の心はこんなにも揺らいでいない。


「あ……」


 そこで、ようやく気付いた。


 感情を持っていかれたのだと。ファントムに襲われた者がどうなるのか、知らない訳では無い。奪われた感情と相対する感情を喪失する。


 俺の場合は、花蓮への兄いもうと愛を奪われ、その感情に相対する感情を失った。そして、花蓮への愛を失った俺は、怒る事も、悲しむ事も出来なくなった。何せ、花蓮を思う感情は失われたのだから。


 花蓮の事で怒れない。花蓮の事で悲しめない。


 寂しくも無い。辛くも無い。


 その事が、失ったものの大きさを俺に知らしめる。


「ぁあ……うぅっ……」


 自然と、涙が溢れる。


 この涙は花蓮のためじゃない。花蓮を思えない自分が情けなくて、負けてしまった事が悔しくて、奪われた事が悲しくて。


 布団を被り、痛む身体を丸めこんで泣く。


 こんな気持ちだったんだ。俺が助けられなかった人達はずっとこんな気持ちを味わっていたんだ……。


 怖い訳だ。恐ろしい訳だ。確かに自分が持っていた物が無くなってしまったのだから。怖くないはずが無い。


 あんなに思っていた事が消えてなくなる。その喪失感は、いざ自分がこうむってみないと分からない。


 心に大きな穴が空いたのに、そこが埋まらない恐怖。この恐怖と、一生付き合っていかなければいけないと思うと、心底恐ろしい。


 俺は、ただただ泣いた。それが何に由来しているのかは考えなかった。深く考えずに、ただ悲しみのまま涙を流した。


 今はそうしたい。今だけは、そうさせて欲しい。



 〇 〇 〇



 ひとしきり泣いた後、少ししてから桜ちゃんが皆を伴って病室に来た。


 呼びに行ってから時間が空いたのは、皆が気を遣ってくれたからだろう。皆、気まずそうに俺の事を見ているから分かる。


 来てくれたのは桜ちゃん、乙女、美針ちゃん、碧の四人だ。そこに、深紅の姿は無い。


「くーちゃん、身体は大丈夫?」


「うん、大丈夫……」


 節々が痛むけれど、問題ない。身体を動かすくらいならば出来る。


「深紅は?」


「……深紅は、まだ寝てる」


 俺の質問に、碧が俯きがちに答える。


「大丈夫なの?」


「命に別状はないらしいわ。ただ、あの日からまだ目を覚まさないのよ」


「一番手酷くやらておりましたから、ダメージの回復に時間がかかっているようですわ。今、私とクレブスちゃん、乙女先輩とツィーゲで回復を行っておりますわ」


「え、ツィーゲも来てるの?」


「ええ。と言っても、ツィーゲも怪我人よ。私達が……と言うより、あんたがやられたって聞いて、一人でヴァーゲに挑んで返り討ちにされたみたいよ」


「余計な事を言うなメェ」


 乙女の言葉に、不機嫌そうな声が返ってくる。


 扉の方を見やれば、そこには至る所に包帯を巻いたツィーゲが立っていた。


「あら、居たの? 影が薄いから気付かなかったわ」


「たった今来たばかりだメェ。メェの陰の薄さはまったく関係ないメェ」


「し、師匠ー! まだ動いちゃダメですよー!」


 ツィーゲの背後から、知らない少女が慌てた様子でツィーゲの身体を支える。


「煩いメェ。これくらいどうって事ないメェ」


「今さっき和泉さんを回復させてきたばかりじゃ無いですかー! 無理しないで横になっててくださいー!」


「牡丹、煩いメェ。病院内では静かにするメェ」


「師匠が私の言う事を聞いてくれないからじゃないですかー!」


 わーわーと騒ぐツィーゲと謎の少女。


 そんな二人を見て、乙女がすっと目を細める。


「事案?」


「それ以上余計な事を牡丹に聞かせたらお前のその口縫い付けてやるメェ」


「冗談よ。ただ、あんたとその子の組み合わせがどうにも、まだ慣れないのよね……」


「メェだってまだ慣れてないメェ」


 言いながら、ツィーゲは俺の元まで歩き、俺のベッドに腰掛ける。


 ベッドに腰掛けたツィーゲはちらりと碧を見るけれど、碧は顔を俯かせているだけでツィーゲを気にした様子も無い。


 そんな碧を見て、ツィーゲは溜息を一つ吐く。


「クリムゾンフレアは……和泉深紅はもうそろそろ起き上がると思うメェ。起きたら、お見舞いに行ってあげると良いメェ」


「うん。ありがとう、ツィーゲ」


 微笑んでツィーゲにお礼を言う。


「……はぁ……」


 しかし、ツィーゲは俺の顔を見るなり溜息を吐く。


「陰鬱が蔓延してるメェ。牡丹、ジメジメ空間からメェ達は退散するメェ」


「え、え?」


 特に話す事も無く、事務的な事を言ってから立ち上がるツィーゲに、少女は困惑している。


 しかし、ツィーゲが歩き始めれば、少女はその身体を支えるようにして付き従う。


 扉の方まで歩いたツィーゲは、そこでふと足を止める。


 まだ何か伝えたい事があるのかと思っていると、おもむろにツィーゲは扉の戸当たりに拳を打ち付けた。


 どんっと鈍い音が鳴る。


「まだ、負けてないメェ」


 苛立たし気にツィーゲは言う。


 少しだけ振り返り、けれど、しっかりと俺を見据える。


「そう思ってるのは、メェだけかメェ?」


 言って、ツィーゲは病室を後にした。


 出て行ったツィーゲから視線を俺に戻した乙女が難しい顔をしながら言う。


「まだ負けてない、か……私もそう思うけど……」


「実際にあの規格外の強さを見てしまいますと、勝つ算段は立ちませんわね……」


 意気消沈とばかりに沈んだ声音。


「ごめんなさい……」


 二人の後に、碧が小さな声で謝る。


 ぽつぽつと、雫が頬を伝い、リノリウムの床に落ちる。


「アタシが、余計な事したから……! アタシが、弱いから……!」


 泣き出してしまった碧を優しく迎え、背中を優しく叩く。


「別に、あんたが悪い訳じゃないでしょ」


 泣き出してしまった碧に対して、乙女が困ったように言う。


「確かに、あんたのやり方は間違えてたって思う。けど、あいつの強さを知ったら、逃げに徹するのも手の一つだと、今なら思える。ただ一点悪いところがあるとすれば、私達を頼らなかった事よ」


「そうですわ。それに、悪いのはお姉様を害そうとしたヴァーゲですわ! ……まぁ、私達も、元はヴァーゲの側ですけれど……」


「今は違う、なんて言い訳はしないわ。私達がやって来た事が悪い事だってのは分かってるし。ただ、それでも……」


「我々は、日の光が恋しかった。暗黒十二星座ダークネストゥエルブの行動原理はそれです」


 乙女の言葉を繋ぐ第三者の声。


 全員が声の方を向けば、そこには理知的な見た目をした青年が立っていた。


「フィシェ……あんた、何しに来たの? それに、私達の目的は口外しない約束のはずでしょ?」


「雲行きが怪しくなってきましたのでね。そうも言っていられないと判断しました」


「貴方は?」


「ああ、申し遅れました。私は暗黒十二星座ダークネストゥエルブが一人、魚座のフィシェと申します。以後、お見知りおきを」


 俺の問いに、丁寧な口調、穏やかな態度で名乗るフィシェ。


「とは言え、暗黒十二星座ダークネストゥエルブは事実上の解散ですけれどね。貴方達を含め、ヴァーゲを除いた全員が離脱していますから」


「レーヴェやアクアリウスも?」


「ええ。ああ、それと、ツヴィリングとも合流しました」


「そういえばいなくなってたわねあいつら。どこに居たの?」


「ツィーゲの下宿先です。彼の家で遊んでいるのを捕らえました」


「捕らえるって……まぁ、間違いでは無いとは思うけど……」


「ともあれ、ヴァーゲ以外は全員暗黒十二星座ダークネストゥエルブを抜けています。相手はヴァーゲとあの方だけですが……」


「正直、そのヴァーゲが一番の強敵よね……」


 ツヴィリングやあの方は聞き覚えが無いけれど、ヴァーゲを問題視している事は分かった。


 確かに、あの全てを無効化する能力は反則的なまでに強い。誰の攻撃も通らなかった。唯一、深紅の拳だけは通ったけれど、あれ一度きりだった。


「和泉くんの攻撃が一度だけ通ったけど、今の状態じゃ戦わせられないわね……」


「うん。俺達で何とかしないと……」


 けれど、どうやって……。


 それに、あれ程まで戦う気力があったのに、今では何の気力も湧かない。使命感も無ければ、義務感も無い。あるのは、戦わないといけないから戦うという、そんないい加減な気持ちだけだ。


「……その事なんだけどね、黒奈」


 乙女が言いづらそうな顔をしながら俺を見る。


「なに?」


 返せば、乙女は言うか言うまいか迷うような素振りを見せる。


 そうして乙女が迷っている内に、聞きなれた声が聞こえてくる。


「それについてはメポルから説明するメポ」


 ぽんっと煙を上げながら声の主は姿を現わす。けれど、現れた姿は、俺が見慣れた姿とは違った姿だった。


「メポル……?」


「そうだメポ。この姿では初めましてメポ」


 現れたのは、ダボダボの白い服を着た、手と足に白クマの手と足の形をした柔らかそうな手袋と靴を履いた、白髪の少女だった。


「君が、メポルなの?」


「そうメポ。こっちが本当の姿メポ」


 言って、メポルはその場でくるりと回ってみせる。


「まぁ、メポルの事はどうでも良いメポ。今重要なのは、黒奈の事メポ」


 ぷぴぷぴとやかましい音を立てながら、白髪の少女改めメポルは俺の元へと来る。


「単刀直入に言うメポ。黒奈。黒奈はもう魔法少女になれないメポ」


 淡々と、何の茶目っ気も無く放たれたメポルの言葉に、俺は言葉を出す事が出来なかった。

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