第104話 板挟みほどつらいものはない
「買い物に行くわよ」
授業も終わり、放課後。帰りの準備をしている俺の元に来て、戦さんが唐突にそう言った。
「買い物? 何買いに行くの?」
「服。後、化粧品」
ぶっきらぼうに、けれど、少しだけ恥ずかしそうにして言う戦さん。
俺は戦さんがおしゃれに興味を持ったのだと分かり、嬉しくなる。
「うん、行こう!」
「ん」
一つ、恥ずかしそうに返事をする戦さん。おしゃれに興味を持つのは良い傾向だ。深紅に褒められた事が良い刺激になってるのだろうか? なら、それは多分、恋する乙女になったという事なんだろう。恋に恋する乙女ではなく、恋と向き合う恋する乙女に。
「どこに行く?」
「モールで良いでしょ。あそこなら大体なんでも揃ってるし」
「じゃあ、行こうか。あ、でも、俺化粧品についてはあまり分からない……」
「そういう事ならこの私にお任せください、黒奈お姉様!!」
「うわっ!? びっくりした……」
急ににょきっと生えてきたように現れた美針ちゃんに思わず驚いてしまう。いや、本当にどこから出てきたの?
「うわ、あんたどこから湧いて出たのよ……」
「黒奈お姉様の居るところに私在り、ですわ! そんな事よりも黒奈お姉様!! お化粧品の事ならお任せを!! 私、お化粧には自信がありますわ!!」
ふんすーっと胸を張る美針ちゃん。
「別にあんたじゃなくても良いわよ。ねぇ、あんたの妹、花蓮ちゃん、だっけ? あの子呼べない?」
「ちょ、どうしてですの!? 私は乙女先輩よりもお化粧やお洋服に詳しいのですわよ!? 私を連れていかないで、いったい誰を連れて行くと言いますの!?」
「だから、花蓮ちゃん連れていくつってんでしょ。ねぇ、声かけてみてくんない?」
「お、お姉様ぁ!!」
涙目になって美針ちゃんが俺を見る。
せっかく立候補してくれたのだし、人数が多くても悪い事は無いだろう。それはそれとして、花蓮には声をかけようと思うけど。
「まあまあ、良いんじゃない? 人数が多ければそれだけアドバイスも増えるんだし」
「えぇ……? こいつのアドバイス……?」
「この私の何が不満なんですの!?」
「私服が全部ゴスロリの女の何を信じろっていうの?」
じとっとした目を美針ちゃんに向ける戦さん。
美針ちゃん、私服全部ゴスロリなんだ。ちょと意外……でもないか。
「ゴスロリの何が悪いんですの!? 可愛いではないですの!! ふりふりのフリル!! 華美な装飾!! どれをとっても最高ですわ!!」
「悪くはないけど趣味じゃないのよ。それに、私そういうの似合わないし」
確かに、戦さんは美少女と言うよりも美人、可愛いというよりも綺麗という言葉がしっくりくる。別に、綺麗な人がゴスロリを着ても良いのだろうけれど、戦さんのイメージには合わない。
「それに、今回は私ちょっと本気だから。本気で私に合う服を選びたいの」
ジト目を止めて、すっと真剣な表情をする戦さん。その表情に虚を突かれる美針ちゃん。そして、俺もその表情に少し驚いてしまう。
驚いたような顔をする俺達を見て、戦さんは真剣な表情を崩して言う。
「ま、着いてきたいなら好きにすれば。ただ、余計な口出ししないでよね。あんたと私趣味合わないんだから。如月、花蓮ちゃんに連絡入れておいて。私ちょっとお手洗いに行ってくるから」
「あ、うん」
俺は頷いて、とりあえず花蓮に連絡を入れた。少しだけ、戦さんの真剣な表情が気になったけれど……。
教室を離れ、私は少しだけ離れたトイレに向かう。
放課後という事もあり、トイレには人はおらず、完全に私だけの空間だった。まぁ、トイレを独り占めしても嬉しくはないけど。
「はぁ……我ながら、簡単な女……」
和泉くんに髪型を褒めてもらえただけで、心が舞い上がっている。じゃなきゃ、自分から服や化粧品の類を買いに行こうだなんて言わない。
まぁ、褒められた事だけが原因ではないけれど。
「そうですわね。乙女先輩がそんなに簡単な人だなんて、思っていませんでしたわ」
唐突に、私だけの空間に私以外の声が響く。
私は、声の主の方を見もしないで言葉を返す。
「言ってくれるじゃない。あんただって、随分と尻軽なんじゃない? 意中の相手がいるんじゃなかったの?」
「黒奈お姉様はお姉様として慕っているだけですわ。本命を忘れた事はありませんわ」
「はっ、どーだか」
けど、美針は案外良い鼻をしているかもしれない。目かな? ま、どっちでも良いけど。
「ま、私の邪魔はしないでよ。私、かなり本気だから」
「しませんわ。男になんか興味はありませんもの」
あんたの慕うお姉様も男だけどね。
とは、さすがに言わない。言ったところでこいつは信じない。思い込みの激しさはぴか一なのだから。
「それよりも、本当に、本気で、あの男を落とすつもりなんですの?」
「ええ。悪い?」
「いえ。ただ、道ならぬ恋だとは思いますわ」
「それはお互い様でしょう? それに……」
そこで、私は初めて美針の方を見る。
「……道ならぬ恋ほど燃えるのが、乙女ってもんでしょう?」
私の言葉に、美針はふんっと鼻を鳴らす。
「ま、精々頑張ってくださいまし。
「ええ、ありがとう」
「では、私の黒奈お姉様が待ってますので、私は戻りますわ」
それだけ言って、美針はそそくさと女子トイレを後にする。
私は鏡に向き直り、己の顔を見る。
「……大丈夫、私ならやれる。大丈夫、大丈夫、大丈夫……」
自らに暗示をかけるように大丈夫と呟く。
大丈夫。大丈夫ったら大丈夫。ちゃんと可愛くなって、ちゃんとおめかしして、ちゃんと前が向けるようになれば、ちゃんとあの人の顔を見れる。
私の、王子様の顔を……。
「時間が無いんだから、さっさと決めちゃいなさいよ、私……」
鏡の中の私を叱咤するけれど、現実の私と同じように不安気な表情しかしてはくれない。
私は一つ溜息を吐いてから、トイレを後にした。
「戻りましたわ、黒奈お姉様!」
嬉しそうにとことこ可愛らしい歩幅で俺の元へやってくる美針ちゃん。
「お帰り」
早かったねとか言わない。お手洗いに行った女性に、そんな失礼な事は言わない……って、深紅が言ってた。後、戦さんは? なんてことも聞かない。
「乙女先輩は目にゴミが入ったとかで、少し鏡と格闘してましたわ!」
「ああ、そうなんだ」
俺に気を遣ったわけではないだろうけれど、美針ちゃんがそう説明をしてくれる。
二人がお手洗いに行っている間に、花蓮には連絡を入れておいた。花蓮は二つ返事で了承してくれて、桜ちゃんも一緒に行くと言ったらしく、今は二人で昇降口で待ってくれている。
あまり待たせるのも悪いなと思っていると、教室に戦さんが戻ってくる。
「お待たせ」
「ううん、大丈夫。それじゃあ、二人とも待ってくれてるみたいだから、行こうか」
「ええ。二人って事は、桜ちゃんも一緒なの?」
「うん。一緒に行きたいって」
「それは心強いわね。現役女子高生二人が手を貸してくれるだなんて」
「ちょっと! 私も女子高生ですわよ!? 二人でなくて、三人ではなくって!?」
「
三人で――といっても、殆ど戦さんと美針ちゃんだけど――少しだけ騒がしくしながら、二人が待つ昇降口へと向かう。
昇降口にたどり着けば、花蓮と桜ちゃんが俺を見て手を振る。
俺も小さく二人に手を振り返して、少しだけ早足に二人の元へ向かう。
「ごめん、お待たせ」
「ううん、私達も今来たとこだから。ね?」
「うん!」
花蓮の言葉に、桜ちゃんがこくりと頷く。
「それで……」
花蓮がちらっと美針ちゃんを見た後に俺を見る。何故かジト目で。なんでだい。
「紹介してもらっても良いかな?」
桜ちゃんもこくこくと頷く。
「この子は蛛形美針ちゃん。花蓮達と同じ一年生だって。知らないって事は、クラスが違うのかな?」
「はい、黒奈お姉様!! 御二方とも初対面ですわ!!」
「黒奈?」
「お姉様?」
美針ちゃんの俺への呼び方に、二人とも訝し気な視線を俺に向ける。違うよ、二人とも。俺が強要してる訳じゃないから。俺、黒奈って呼んでってちゃんと言ってるから。
「え、えっと、蛛形さんは、なんで兄さんの事をお姉様って呼ぶの?」
花蓮が至極当たり前のことを美針ちゃんに尋ねる。そうすれば、美針ちゃんはむっと顔をしかめて花蓮を見る。
「貴女こそ、どうして黒奈お姉様を兄さんだなんて呼んでるのかしら? 黒奈お姉様に失礼ではなくって?」
思わぬ反発を受けた花蓮は、珍しくむっとした表情を浮かべる。
「兄さんは
私のを、強調して言う花蓮。なんだなんだヤキモチか? 可愛いぞ、花蓮。
「私の、ですって……!! 貴女、いったい黒奈お姉様の何だと言うんですの!?」
「妹ですが何か? 貴女こそ、兄さんのなんなの? お姉様だなんて呼んじゃって、妹にでもなったつもり? あいにく、兄さんの妹は私一人で充分だから。他を当たって」
言って、俺の腕を引いてきゅっと両腕で抱きしめる花蓮。どうしたんだ、花蓮。今日はやけに可愛いなぁ。お兄ちゃんは花蓮だけのお兄ちゃんだぞ~。
「如月、あんたそんなだらしない顔するんだ……」
「え、何が?」
「いや、なんでもない……」
何故だか戦さんが微妙そうな顔をしている。いったいどうしてだろう? 桜ちゃんも苦笑いしてるし……。
「き~~~~~~~~っ!! い、妹だか何だか知りませんが、黒奈お姉様を兄さんだなんて呼ぶ無礼極まりない貴女の好きにはさせませんわ!! その手を離しなさいな!!」
「嫌ですぅ~~~~! 兄さんの隣は、妹だけの特等席なんですぅ~~!! それよりも、兄さんは兄さんよ! 女扱いして失礼してるのはそっちでしょ!」
ねぇ、花蓮? 俺が女装した時嬉々として姉さんって呼んでたの誰だったかな? 俺の記憶だと花蓮だったと思うんだ。
「黒奈お姉様は立派な
落ち着いて美針ちゃん。俺は本当に男だから。どっちかと言うと間違えてるの美針ちゃんだから。早く気付いてぇ……。
俺のそんな心中など知る由も無い二人は、昇降口でわーきゃーと言い合いを続ける。
微妙そうな顔の戦さん。何かを覚ったように空気に徹する桜ちゃん。睨みあう両者に挟まれる俺。
誰か、助けてください……。
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