第102話 赤毛の少女
「じゃ、またねーくーちゃん。あと戦も」
「うん、また」
「あとってなによあとって」
碧の教室の前で別れると、俺達も自分の教室に入ろうとする……のだけれど。
「入らないの?」
何故だか戦さんは教室の扉に手をかけたまま止まってしまった。
「あんたには分からないでしょうけどね、イメチェンしたあとって教室入りにくいのよ」
「え、なんで?」
「似合わないって笑われるかもしれない。パンダでも見るようにジッと見られるかもしれない。そして何より和泉くんに見られるかもしれない……」
「かもしれないっていうより、深紅の視界には入ると思うよ」
ていうか、深紅は絶対に見ると思う。なんだかんだで色々なところに気を配ってるから。
「分かってないわね! 視界に入るのと見られるのは違うのよ!!」
くわっと勢いよく怒る戦さん。
「でも教室に入らないと何も始まらないよ? 早く入ろうよ」
「待ちなさい、いや待ってください。心の準備を整える時間を
怪訝な顔をしている生徒と目が合うと、俺は誤魔化すようににこっと微笑む。そうすれば、目の合った生徒は空気を読んで目を逸らしてくれる。……皆顔が赤いけど、風邪だろうか? 残暑があるから、俺も風邪に気を付けなくちゃ。
ともあれ、このままここにいても埒が明かない。それに、面倒くさい。
「とりあえず入ろうよ」
俺が扉に手をかけると、慌てた様子で俺の手を止める戦さん。
「ちょっ、待ちなさいよ! まだ心の準備が出来ないって言ってるでしょ!?」
「ただ教室に入るだけじゃん。必ず入るんだから早い方が良いよ」
「それは分かってるけど、心の準備が必要だって私言ってるわよね!?」
「言ってるね」
「じゃあ扉から手を離しなさいよ!!」
「聞くとは言ってないからね。開けるよー」
「あんたそんなに性格悪かった!?」
性格が悪いのは戦さんにだけは言われたくない。
ともあれ、俺はがらっと扉を開ける。戦さんに抵抗されたけど、俺より非力な戦さんの抵抗など無いに等しい。俺だって力あるんだぞー。
扉が開けば、皆が俺達の方を見ていた。まぁ、扉の前でああも騒げば注目を集めようというものだ。
皆の視線が集まっているので、戦さんが恥ずかしそうにしながら顔を俯かせて俺の後ろに隠れる。
「おはよー」
挨拶をし、俺は自分の席に向かう。
「ちょっ、ここで置いてく!?」
「だって俺もう座りたいし」
「あんた今日ドライじゃない!?」
「ドライじゃない。クールなんだ」
クールな男、如月黒奈。うん、これ良いね。
諦めたのか、恥ずかしさにうーっと唸りながら俯き加減で自席へと向かって行く戦さん。
皆の視線が戦さんに向かっている間に、俺は自分の席に座る。
「で、お前はなんでそんな髪型になってんだ?」
席に着くなり、深紅がそう尋ねてくる。
「理容室に行って、寝て起きたらこうなってた」
「ああそう……」
俺の回答に呆れたように笑う深紅。
「ね、深紅」
「なんだよ」
「戦さん、あの髪型どう思う?」
「戦さん?」
言って、深紅は戦さんの方を見る。
「へぇ、髪型変えたんだな」
「今気づいたの?! 俺と一緒に入ってきたじゃん!!」
「いや、俺からしたら、お前の方がインパクト強すぎて見てなかったわ」
「そこは女子である戦さんを見ようよ……」
あれだけ緊張していた戦さんがかわいそうだと思ってしまう。
「よく考えてみろ、黒奈」
「なにさ」
「もし俺が明日女子の髪型して登校してきたらどうする?」
「笑いながら写真撮る」
「違う、そうじゃない」
「じゃあなにさ」
「驚くだろ、普通に」
「うん」
「俺も男友達が急に女子の髪型をしてきたから普通に驚いたんだよ」
「ああ、なるほど」
つまり、俺が悪いという事か。ごめんね、戦さん。どうやら俺が邪魔してしまっていたようだ。
せめて戦さんの印象くらい聞いておくとしよう。
「それよりも、どう?」
「どうって、何が」
「戦さん。可愛い?」
俺に問われ、深紅は戦さんを少し見てから俺の方に向きなおる。
「まぁ、可愛いとは思うよ」
「好み?」
「……お前は何故そうもぐいぐい来るんだ……」
「ちょっと気になって」
「……」
ジトっとした目を向けてくる深紅。
「なにさ」
「……お前、余計な事考えてないだろうな?」
ぎくっ。
「よ、余計な事って?」
俺は深紅に平静を装って尋ねるけれど、深紅は溜息一つ吐いてから何でもないと言う。
……バレてない、よね? ちょっと突っ込みすぎたかもしれない。反省だ。
少しだけ冷や冷やしてしまう。
その後は、深紅の意識を戦さんに向けないように適当にお喋りをした。可愛いと言った深紅の感想はお昼休みにでも聞かせてあげよう。
あの後は特に突出して何かが起こる訳でもなく、授業は平常通り進んだ。
戦さんも最初は緊張した面持ちだったけれど、授業が進めば平常通り真面目にノートを取っていた。俺も特に変わった事も無く、真面目に授業を受けた。
そんなこんなで午前中の授業が終わり、お昼休みになった。
俺は今日も今日とて戦さんの元へ向かおうとした――その時、教室の後ろの扉が勢いよく開かれた。
思わずびくっと身を震わせて教室の後ろの扉を見る。
そして、それは俺だけではなく他のクラスメイトも同じだった。
教室の扉を開けたのは、一人の女子生徒だった。小柄な、綺麗な赤い髪をした少女。……どっかで見た事あるような……。
俺が少女に若干の既視感を覚えていると、少女は教室をぐるっと見渡した後、俺を見て大きくて綺麗な瞳をこれ以上無い程見開いて嬉しそうな笑みを浮かべる。
そして、だだだっと駆け寄ってくると、ぴょんっと飛び跳ねた。って、俺の方に飛んできてる!?
「見つけましたわ、私のお姉様ぁ~~~~~~~~!!」
お姉様って誰!?
そんな俺の疑問に答えてくれるわけも無く、女子生徒はまっすぐに俺の方に飛んできた――
「いや、危ないから」
――けれど、深紅がその女子生徒の首根っこを掴んで俺に衝突する寸前で止めてくれる。
女子生徒と衝突しなかった事にほっと安堵の息を吐きながら、俺は目前まで迫った少女の顔を見る。
「ちょっと何で邪魔をするんですの!? 私とお姉様の逢瀬の邪魔をしないでくださる!?」
深紅に宙ぶらりんにされながら手をじたばたとさせて暴れる少女。
え、お姉様って誰? もしかして、俺の事……? いや、いやいやいや。いやまさかそんな。いやないない。
「そのお姉様ってのが誰だかは知らないが、黒奈に突っ込むな。危ないだろうが」
「ああっ、お姉様のお名前は黒奈と言うのですね! 素敵なお名前……」
俺の顔を見ながらぽっと頬を赤らめる赤毛の少女。って、お姉様って、俺なのね……。
「あの、一つ良いかな?」
「はい! なんですか!?」
食い気味に俺の言葉に反応する赤毛の少女。
「俺、男だから、お姉様じゃないよ?」
「いえ、お姉様はとても素晴らしい女性です! 綺麗な黒い髪! 透き通るような白い肌! 目元の泣き
「ちょっ、ちょちょちょ! ストップ――――!!」
俺は慌てて目の前の少女の言葉を止める。このままだと延々と俺を称える言葉を羅列しそうで滅茶苦茶恥ずかしい。っていうか、今の時点でも相当恥ずかしい!! なに天使が舞い降りたって!! 俺そんなに良いものじゃないよ!?
「どうしましたの、お姉様?」
慌てて止める俺に、赤毛の少女はきょとんとした表情を見せた後、はっと何かに気付いたような顔をする。
分かってくれたかな? 皆の前でべた褒めされると滅茶苦茶恥ずかし――
「ああ、私の語彙が貧困なばかりに! 申し訳ありませんわお姉様!! 少々お待ちください!! すぐに辞書を持ってきてお姉様を彩る言葉を探し出して見せますわ!!」
――はい全然分かってなかった。ていうか俺が女の子じゃないって誤解が解けてない! この子の中ではもう俺はお姉様って位置付けなの!?
ばたばたと暴れて深紅の手から逃れようとする赤毛の少女。深紅も若干困り顔で俺の方を見る。そんな顔されたって俺だって困るよ……。
「と、とにかく、もうお褒めの言葉は良いから。もう充分だから」
「いえ、まだ足りません!!」
いやそっちが言い足りないんかーい! 俺はもうキャパ超えてるんだけど!?
「ちょっといい加減放してくださる!? というか貴方なんですの!?」
「和泉深紅。一応、有名人のつもりではいたんだけどな」
俺もまだまだだなぁと苦笑する深紅。
「貴方の事なんでどうでも良いんですの!! そんな事より、さっさと放してくださる!? 婦女子を宙吊りにして良いと思っていますの!?」
「君が黒奈にちょっかいかけないで、黒奈の話をちゃんと聞いてくれるっていうなら、放してあげない事も無い」
「黒奈黒奈と、そんなにお姉様の名前を気安く呼ばないでくださる!? 男なんかが呼んだらお姉様の美しい名前が汚れてしまいますわ!!」
キッと深紅を睨みながら言う赤毛の少女。うわっ、結構言うな、この子……。
しかし、深紅は怒った様子も無く、少女に言い返す。
「俺と黒奈は幼馴染だ。それに、黒奈はお姉様じゃなくて、どちらかというとお兄様だ。まぁ、お姉様に見えなくもないけどな」
深紅、最後に余計な事言わないで。
「貴方、そんな事を言ってお姉様に失礼だとは思わないんですの!? こんなに可愛いくて美しいお姉様が、男な訳無いですわ!!」
すみません、れっきとした男です……。
「……黒奈、生徒手帳持ってるか?」
「うん……」
深紅が呆れながら俺に問い、俺は鞄をごそごそと漁って生徒手帳を取り出す。
そこには顔写真と、俺の名前、それと性別などの個人情報が記載されている。もちろん、性別は男で記載されている。
「えっと、これ」
俺は、赤毛の少女に生徒手帳を渡す。
「お姉様の生徒手帳!! ああっ、大切に保管して家宝にいたしますわ!!」
「いやあげないから。とりあえず、性別のところ見て」
「性別……?」
俺の言う事は素直に聞いてくれるのか、赤毛の少女は生徒手帳の性別の欄を見る。
「如月黒奈。男……………………………………………………男?」
「うん」
俺が頷けば、少女はばっばっと音が鳴るほどの速度で生徒手帳と俺を見比べる。
そんな少女に、俺は改めて自己紹介をする。
「如月黒奈、二年生。正真正銘、男です」
「くぁwせdrftgyふじこlp!?」
「えっ、ちょっと!?」
俺が自己紹介をすれば、赤毛の少女は謎の奇声を発して白目を剥いて気を失ってしまった。
俺と深紅は互いに顔を見合わせて、一つ溜息を吐いた。
また、面倒な事になったぞ、と。
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